【内田雅也の追球】「今を懐かしむ」瞬間 感傷を忘れ、いよいよ最後の戦いがやって来る
スポニチアネックス / 2024年10月8日 8時2分
ノックバットを手に右翼から本塁へとファウル地域をゆっくり歩く。阪神監督・岡田彰布はいつものように歩いた。赤とんぼが舞っていた。
甲子園球場での練習。シート打撃を捕手後方に腰かけて眺めた。広報から監督会見の連絡があった。今季限りでの退任が表面化(3日)してから4日目、初めて報道陣に対した。岡田は開口一番「別に何もないよ」と照れ隠しのように言った。
前日(6日)、コーチ陣、選手たちに退任の意向を伝え、球団社長・粟井一夫が退任とフロント入りを発表した。けじめがついたと判断して口を開いたのだろう。
すでに退任は周知の事実になっていた。「辞める」とは口にはしなかった。クライマックスシリーズ(CS)、日本シリーズに向け「2年間の集大成やんか。最後のゲームの……」と言った。格好のいいセリフなどない。それも岡田らしい。あまり眠れていないのか。目を赤くしていた。どこか寂しそうに見えた。
「一日でも長く」と選手たちに伝えた。日本一を目指すのだから当然だが、自身の監督生活を少しでも長くという思いもあろう。残された時間をいとおしく感じているのだろうか。
「今を懐かしむ」というデジャビュ(既視感)に似た感情がある。重松清の短編『コーヒーもう一杯』(文春ウェブ文庫)で、学生時代の主人公が同棲(どうせい)していた年上の彼女とコーヒーをいれて飲む。無性に懐かしく感じる。
「いま懐かしいわけじゃないの」と彼女に指摘される。「これから懐かしくなるのよ。あなたはいま、未来の懐かしさを予感してるの」。いつか別れの時が訪れる。将来いつか懐かしくなる。
岡田もいつか、こうしてユニホームを着て、赤とんぼの中を歩き、パイプ椅子で白球を追った日々が懐かしむだろう。
監督は孤独なのだ。ヘッドコーチ・平田勝男は岡田の孤独を知る。「大学の頃からの長い付き合いだからね。最後まで付き合うよ」と明るく言った。遠征先では試合後の食事に必ず同席し、新幹線の移動では到着を待った。常に喜怒哀楽をともにしてきた。
感傷はさておき、さあ、最後の戦いだ。デジャビュとは逆に、普段見慣れたもののはずなのに、それが初めて見るもののように感じられることをジャメビュ(未視感)と呼ぶ。そんな日々がやって来る。 =敬称略=
(編集委員)
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