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さようなら、ドラえもん 大山のぶ代さん苦悩と葛藤 女優で大成目指すも声優イメージ出来上がり…

スポニチアネックス / 2024年10月12日 4時31分

番組のナレーションの仕事も担当していた大山のぶ代さん

 人気アニメ「ドラえもん」の声を四半世紀にわたって演じ、国民的な人気があった声優の大山のぶ代(おおやま・のぶよ、本名山下羨代=やました・のぶよ)さんが9月29日午後4時23分、老衰のため都内の病院で死去した。90歳。東京都出身。葬儀は親族で行った。「ぼく、ドラえもん」のせりふを子供たちがまねするなど、愛嬌(あいきょう)あるだみ声は広く親しまれた。

 少女時代、自分の個性的な声に劣等感を抱いていた大山さん。周囲にからかわれ、引っ込み思案になっていると、母親から「声が悪いからって黙ってばかりいたら、しまいに声も出なくなる。なにか声を出すようなクラブに入りなさい」と助言を受け、中学で放送部に入部。次第に演劇にも目覚めた。

 芸能界では当初女優として活躍。徐々に声優としての仕事が増え、40代半ばだった1978年、ドラえもんの声の依頼を受けた。特徴ある声が唯一無二の“強み”となり、国民的な声優になった。

 ただ、古くから大山さんを知るテレビ局関係者は「女優や役者として大成するのが目標だった。声優としてドラえもん=大山のぶ代というイメージが出来上がったことには葛藤や苦悩もあったようだ」と振り返った。

 繊細で優しい性格だが、仕事に対する姿勢はストイック。「周りがいいかげんなことをやっていると“そんなんでいいと思っているの!”とスタッフや共演者に声を荒らげることもあった。情熱は人一倍だった」と明かした。

 私生活では夫の砂川さんとおしどり夫婦で知られたが、第1子が死産、第2子も先天性の疾患のため生後3カ月で死去するという不幸に見舞われた。夫婦そろって麻雀好きで、子供を亡くした悲しみを忘れさせるために、水谷豊(72)おりも政夫(71)ら麻雀仲間が大山さんの自宅に集まり卓を囲んだという。

 料理研究家としての顔も持ち、繊細な一面は料理にも生かされた。大家族で育ち、曽祖母や祖母から受け継いだ和食や季節の食べ物を大事にした。料理番組「夕食ばんざい」(82年、フジ)などで腕を振るい、料理本「大山のぶ代のおもしろ酒肴」(主婦の友社、81年)は136万部以上のベストセラーを記録した。

 ≪「丁寧に楽しく作りたい」≫大山さんがドラえもんの声を担当することになった70年代後半は第1次アニメブームの真っただ中。粗製乱造な作品が増えていたと感じていたといい「丁寧に楽しく作りたかった」と自伝の中で明かしている。そこで当時の録音監督に「5人の子供のチームワークが大切。気の合う仲間たちと演じたい」と直談判。共演歴の多かった小原乃梨子さん、野村道子(86)、肝付兼太さん、たてかべ和也さんが起用された。

 ≪芸能活動のきっかけは俳優座養成所入所≫大山さんは俳優座養成所に第6期生として入所。同期には「家政婦は見た!」シリーズで主演を務めた市原悦子さんらが在籍。1期下には冨士眞奈美(86)や田中邦衛さんらが名を連ねる。冨士とはNHKドラマ「この瞳」で一緒に女優デビュー。駆け出し時代は約4年半、同じ部屋で暮らしていた。女優としては「水戸黄門」「熱中時代」など数多くの作品に出演した。

 ≪「太陽にほえろ!」脚本“ブロック崩し”の名人≫大山さんは声優以外の分野でもマルチな才能を発揮した。脚本家として、ドラマ「太陽にほえろ!」の脚本を手がけたことも。また、ブロック崩しゲーム「アルカノイド」の愛好家としても知られた。06年にはその腕前をフジテレビ「トリビアの泉~素晴らしきムダ知識~」で披露し、全面クリアを成し遂げた。訃報を受け、SNSでは「アルカノイド」がトレンド入りした。

 大山 のぶ代(おおやま・のぶよ、本名山下羨代=やました・のぶよ)1933年(昭8)10月16日生まれ、東京都出身。高校在学中に俳優座養成所に入所。60年にNHKで放送された人形劇「ブーフーウー」のブー役を演じたのをきっかけに声の仕事のオファーが舞い込むようになった。05年に放送業界で働く女性を対象として「放送ウーマン賞」を受賞。06年には自伝「ぼく、ドラえもんでした。」を出版、翌07年には音響専門学校の校長に就任した。

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