1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. 格闘技

岩田翔吉 早大出身で初の世界王者「絶対に歴史に名を刻みたいという気持ちがあった」

スポニチアネックス / 2024年10月13日 19時46分

<8大タイトル戦>王座を奪取した岩田(撮影・島崎忠彦)

 ◇プロボクシングWBO世界ライトフライ級王座決定戦 同級1位 岩田翔吉(帝拳)<12回戦>同級2位 ハイロ・ノリエガ(スペイン)(2024年10月13日 東京・有明アリーナ)

 ライトフライ級の元アジア3冠王者でWBO同級1位の岩田翔吉(28=帝拳)が王座決定戦で同級2位ハイロ・ノリエガ(31=スペイン)を3回3分TKOで破り、プロ15戦目で世界王者となった。岩田は2度目の世界挑戦での悲願達成で、名門・帝拳ジム史上12人目の日本人世界王者。早大出身選手として初めて世界のベルトを獲得した。

 岩田はノリエガのスピードに手を焼いたものの「相手が攻めてきてくれた方が自分の攻撃が当たるなと思っていた」と冷静だった。3回に右アッパーからの連打で最初のダウンを奪い、ラウンド終了ゴングと同時に右ボディーからの左フックで2度目のダウンを奪取。レフェリーが即座に試合を止めた。

 井上拓真(大橋)や田中恒成(畑中)らプロアマに世界王者がそろう“95世代”の一人。高3でインターハイを制しながら直接プロ入りせず、「自分の人生、ペースがある」と早大に入学して心理学やスポーツビジネスを学んだ。

 試合後の会見では「早稲田大学のボクシングは凄く強いわけではない。チャンピオンが今までいないというのは知ってたので、絶対に歴史に名を刻みたいという気持ちがあった」と思いを吐露した。

 リング上に続いて試合後の会見でも、前日にIBF世界ライトフライ級タイトルマッチで世界王者に返り咲いた矢吹正道(32=LUSH緑)との統一戦を熱望。「実現できたらうれしい。日本人対決で盛り上がるとファンから言われる」と語った。

 進退を懸けた一戦だった。「今回負けて、次頑張りますとは言えない。そんなに甘い世界じゃないと思っている」。デビューから9連勝で臨んだ22年11月の世界初挑戦では、WBO同級王者ジョナサン・ゴンサレス(プエルトリコ)に0-3判定負け。接近戦、アウトボクシングと試合中にスタイルを変える王者に「動揺して」自慢の強打を空転させられ、ポイントを奪われ続けた。再起後4連続KO勝利で世界再挑戦にこぎつけたが、再び敗れれば有望選手ひしめく名門で“次”はないと自覚していた。

 元2階級制覇王者の粟生隆寛トレーナーが「スーパーフライ級でも通用する」と明かすパンチ力に頼らず、相手と駆け引きしながら組み立てる試合運びを意識。技巧派のノリエガ対策として、フェイントや角度などパンチに変化をつける工夫も積んできた。かつてはスパーリングを重ねると体のどこかに痛みが出ていたが、中村正彦ストレングス&フィジカルコーチの指導でインターバル走などに取り組み、課題だったスタミナ面も強化。「体の強さは2年前とは比べものにならない」という岩田に対し、中村コーチも「合宿では走り込みで他の選手から遅れて迷子になっていたのに、持久力のレベルが一段階上がった」と進化を認めていた。

 ライバルたちの活躍を励みに遅れて参戦したプロの世界で、「今回は彼らと同じ世界王者になりたい」と決意を示していた。試合後は、小学生の頃に総合格闘技の指導を受けて「戦いを楽しむこと」を教わった故山本“KID”徳郁さんの墓参を予定。9月の七回忌に参列できなかった分、世界のベルトを手に報告するつもりだ。

 ◇岩田 翔吉(いわた・しょうきち)1996年(平8)2月2日生まれ、東京都渋谷区出身の26歳。9歳で山本“KID”徳郁さんのジム「KILLER BEE」に入門。中2からボクシングに専念し、日出高3年時にインターハイ制覇などアマ71戦59勝(16KO・RSC)12敗。帝拳ジムに入門し、18年12月に米国でプロデビュー。21年11月に日本ライトフライ級王座、22年7月に東洋太平洋とWBOアジア・パシフィック王座も獲得して3冠王者となった。身長1メートル63、リーチ1メートル62の右ボクサーファイター。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください