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川藤幸三氏 18歳から成長を見守った阪神新監督へ「腹くくってやれ」「球児というのは筋を通す男」

スポニチアネックス / 2024年10月21日 5時17分

17年、川藤氏(右)と談笑する藤川

 【川藤 幸三氏(上) 球児にYELL】阪神・藤川新監督とゆかりのある人物が思い出を語るとともに、激励のメッセージを送る「球児にYELL」の第3回。川藤幸三タイガースOB会会長(75)が、入団1年目から見守ってきた新指揮官の実直な人柄を紹介した上で、2015年途中に日本球界に復帰した際には水面下で接触し、古巣復帰を口説いたことなどの秘話も明かした。上下2回にわたって語る。

 藤川監督とせなあかんのやけど、長い付き合いだから球児と言わせてもらおう。ついに球児が監督になるのか。楽しみだし、応援したい。高知商から18歳で阪神に入ってから、ずっと球児の成長を見てきたんや。

 要請を受けたという報告を受けて、ひとつだけ言ったんや。「お前が決めることや。分かっとるはずや。こうしてほしいという注文はちゃんと付けた上で、腹くくってやれ」。覚悟を決めて、球児は受けたんだと思う。

 入団1年目の安芸キャンプで、「メシ行くぞ」と言って以来の関係や。たぶん「遊食楽座」という居酒屋に行ったんだと思う。えんぴつみたいに球児は細かった。火の玉と言われる真っすぐを投げるとは当時は想像もつかんかったな。

 ドラフト1位がどれだけのものか。一人前になるまで、キャンプでは球児のブルペンをずっと見ていた。アウトローへの真っすぐだけを必死で投げていた。向こうはそれ一本。ワシも最初から最後まで見ていた。後になって球児は言った。「このオッサンは何も言わずに、ずっと見てる。この人に“ええ球や”と言わせたい、と思って投げてました」とな。

 それから、いろんなことがあった。1軍に定着できずに悩んだ時期もあったし、JFKとして圧倒的な力を発揮したときも、もちろん見続けた。どんな場面でもチームの勝利のために腕を振って、ファンの人を喜ばせる。その信念を支えにしていた。球児というのは筋を通す男やった。それは確かに言える。

 もう時効やから、内緒の話を打ち明けるわ。あれは球児がメジャー挑戦から日本に戻ったときや。阪神球団の一部に獲得への慎重論があって、復帰のオファーはなく、独立リーグの高知に入団した。ある球団の上の人から「球児を説得してくれ」と頼まれ、高知市内で二人で会った。「お前が着るユニホームはタテジマだけや。修羅場の戦場に戻ってこい」と口説いた。ワシの思いを球児は受け入れてくれた。その表情を思い出す。(タイガースOB会会長、<下>に続く)

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