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元NPB審判員が見た慶大の清原ジュニア・正吾 異例のキャリアの男が持つ無限の可能性

スポニチアネックス / 2024年10月23日 5時19分

東農大との練習試合で一塁守備につく慶大・清原(右)と一塁塁審を務めるスポニチ・柳内記者(撮影・村上 大輔)

 11年から6年間、NPB審判員を務めた柳内遼平記者(34)が、フル装備で選手の成長や魅力をジャッジする「突撃!スポニチアンパイア」。第16回は東京六大学野球リーグの慶大で不動の4番を担う清原正吾内野手(4年)だ。父は西武、巨人などで歴代5位の525本塁打を放った和博氏(57)。プロ志望届を提出した長男はプロ入りできるか、グラウンド目線で見極めた。

記者の世界は気に入られてナンボ。人、ネタを引き寄せるためにスマイルキープの鉄則も審判服に袖を通せば忘れてしまう。拳に力が入り、コトがあれば退場させる覚悟も湧いてくる。東農大との練習試合に臨んだ慶大。「4番・一塁」を担う清原の現在地をジャッジするため覚悟を胸に一塁塁審を担当した。

 清原は昨春のリーグ戦で開幕スタメンもチャンスをつかめず秋はベンチ外。スタンド応援を続けた昨秋リーグ戦で「応援される選手になろう」と決意したという。守備についた清原の第一声は「チワッ!」。タレントを目指せると思うほど端正な顔立ちに浮かぶ笑み。そして打者が一塁に出塁すると先手必勝のあいさつを欠かさない。プロ野球でも「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」。中日・荒木雅博ら名選手ほどあいさつが早く、丁寧だった。

 「4番、ファースト、清原君」。1メートル86、90キロの右打者が打席に入る。鋭いスイングはインパクトの瞬間まで脱力をキープできているため第一印象は「柔らかい」。NPB審判員時代、2軍からスターに駆け上がった打者の共通点は柔らかさにあった。ソフトバンクのルーキーだった柳田はマン振りがトレードマーク。それでも振り出すまでに柔らかさがあり変化球に対応する伸びしろがあった。殺気を感じさせない脱力と強いインパクト。清原は相反する2つを一瞬で入れ替えられるすべを備えている。今季リーグ戦で2本塁打を放ち、どちらもゴルフのドライバーで捉えたように打球が伸びた。脱力から生み出す強いインパクトがスラッガーの軌道を生む。

 第2打席で外角低め直球を逆らわず、はじき返した右飛に驚いた。打った瞬間、審判員は経験に基づき落下点を予想できるのだが、ほとんどスライスせずに飛距離が出たため予想外の地点に着弾。アウトとしながら「これこそザ・清原の右打ち…」と声が漏れた。逆方向の右翼席にアーチを連発した父のDNAは息子にも芽吹いている。

 第3打席は直球を左前へ。一塁を回る際に歯を光らせた。中学、高校で野球経験がなく6年のブランクを経て慶大野球部に。素人同然だった男が目の前で慶大の4番として「戦国東都」の投手から快音を響かせた。不可能と思われた挑戦を次々成功させたからこそ、我々アマ担当記者はプロ入りが夢物語ではないと信じている。

 打つ、守る以外のセンスも見落とせない。野手は目の前を走る走者が塁を踏むか確認するのだが、プロ野球選手でも忘れることがある。この試合で清原は全ての走者の触塁を逃さず目で追っていた。ミスを逃さない貪欲さは勝負の世界で生きる資格がある。

 一塁塁審でないと感じ取れない魅力があふれた2時間35分。率直な評価は育成指名レベルとしたい。ただそこに「6年のブランクから慶大4番に成り上がった成長速度」の係数をかけると解はどうなるか。

 拝啓、プロ12球団のスカウト様――。異例のルートを歩む男が持つ無限の可能性に懸けてみませんか。

 ≪小3から野球、中学でバレー部、高校でアメフト部≫清原は父に憧れ、小3からオール麻布で野球を始めた。「大きな重圧があって(野球から)目を背けたくなった」と中学ではバレーボール部、慶応(神奈川)ではアメリカンフットボール部に所属。大学で「両親を喜ばせたい」と再び白球を追った。入部当時から打撃の飛距離はずばぬけていたが、めったに芯に当たらず、ノックでは一人だけ失策を連発。猛練習で6年のブランクを克服した。リーグ戦を視察した日本ハム・栗山英樹チーフ・ベースボール・オフィサーは「違った可能性を彼が野球界に示してくれるのかなと感じる。それは本当に凄いなと思いました」と語っていた。

 ≪父・和博氏は39年前のドラフト会議で涙≫愛息のリーグ戦を毎試合観戦してきた父・和博氏。PL学園時代の85年ドラフト会議は11月20日に都内で開かれた。5季連続甲子園出場、甲子園通算13本塁打の強打者として当時最多の6球団(南海、日本ハム、中日、近鉄、西武、阪神)が競合の末に西武が交渉権を獲得した一方、本人が入団を熱望するなど相思相愛と思われていた巨人は早大進学を公言していた同僚の桑田真澄を単独で1位指名。その後の会見で清原は「今は何も考えたくない」と涙を浮かべた。39年の時がたち、清原家の長男がドラフト会議に臨む。

 ◇清原 正吾(きよはら・しょうご)2002年(平14)8月23日生まれ、東京都出身の22歳。小3から「オール麻布」で野球を始め、慶大で野球を再開。弟の勝児は慶応(神奈川)で昨夏に日本一に輝くなど2度の甲子園出場。好きなミュージシャンはラッパーのWILYWNKA(ウィリーウォンカ)。1メートル86、90キロ。右投げ右打ち。

 【後記】清原は試合に集中するためリーグ戦期間は個別取材に応じていない。そんな時こそ当企画。ともに試合に出場すれば言葉を交わすよりも分かり合える。

 審判をしているときは痛みを感じない「アンパイア・ハイ」を久々に味わった。NPB審判員時代は球審を務めた際、右腕にファウルが直撃し骨にヒビが入ったことがある。それでも「ハイ」のおかげで痛みはなかった。

 企画の5日前、自転車乗車中に大きな石がタイヤに絡んでスリップし背中から着地した。右足首、左肩の痛みが企画前夜まで続くも当日にビックリ。痛みはなく走れるようになっていた。緊張感による「ハイ」だ。ただ長持ちはしない。いま、この原稿のキーを打つたびに左肩に激痛が…あの時と同じくヒビが入っているに違いない。 (アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)

 ◇柳内 遼平(やなぎうち・りょうへい)1990年(平2)9月20日生まれ、福岡県福津市出身の34歳。光陵(福岡)では外野手としてプレー。四国IL審判員を経て11~16年にNPB審判員。1軍初出場は15年9月28日のオリックス―楽天戦(京セラドーム)。16年にMLB審判学校卒業。同年限りで退職し公務員(行政)を経て20年スポニチ入社。

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