早明戦 12・1に100回目の激突 ラグビー・マガジン前編集長が選ぶ思い出の5試合
スポニチアネックス / 2024年11月28日 4時47分
1923年12月24日に初対戦が行われたラグビーの「早明戦」は12月1日、東京・国立競技場で記念すべき100回目の対戦を迎える。さまざまなドラマを生み、日本ラグビー史を彩ってきた早大と明大による定期戦。その伝統の一戦を40年以上も野球少年、選手の同級生、はたまた取材者として見守ってきた早大出身のラグビーマガジン前編集長・田村一博さん(60)に、思い出に残る5試合を選んでもらった。
【雪の早明戦 87年 早大10―7明大】
早大4年に在学中の試合。でも実際に国立で観戦したわけではない。所属していた早稲田GW(ラグビーサークル)の試合があった、はず。でも「雪の早明戦」として後世まで語り継がれる試合を、同世代の選手がしたことが衝撃だった。メンバーは早稲田には堀越正己、今泉清、明治には吉田義人がいた(いずれも1年)。ラグビーの新しい時代、スター誕生の試合でもあった。
早大の永田隆憲主将と頓所明彦は同じクラス。その後は日本選手権も制して日本一になるんだけど、自分もちょっぴり貢献したと思っている。何人かの授業の代返をしたこともあるから。それで練習に行けたこともあったはず。当時は紙での出席確認。数人分の用紙を手に入れるのが大変だった。
【「怪物」に当たり続けた“2浪戦士” 81年 早大21―15明大】
俗に早大の大西鉄之祐監督の采配で、明大圧倒的有利の下馬評を覆した試合として知られている。旧国立競技場は聖火台まで人があふれるほどの熱気。早稲田のフランカーに「ドス」と呼ばれた渡辺隆さんという選手がいたんだけど、明治のNo.8で「怪物」こと河瀬泰治さんに、今のルールなら絶対反則っていうタックルをバチバチ決める。2浪して早稲田に入り、大学からラグビーを始めた苦労人だった。
当時、鹿児島の野球少年だった僕は、この試合をテレビ観戦した。だから、そういう背景は仕事でラグビーを取材するうちに知った。観戦当時よりも、取材者としていろんな人に話を聞き、存在が大きくなった試合だ。
【土壇場で同点呼んだ独走80メートル 90年 早大24―24明大】
旧国立競技場は記者がロッカールームや入退場口で試合直前までいて良かった。ロッカーからは部歌が響き、出てきた選手は泣いている。試合前の校歌斉唱もなかったから、選手が5、6段のコンクリート階段をカッカッカッとスパイクを鳴らして駆け上がり、そのままピッチへ駆け出すシーンは格好良かった。吉田義人は、必ずバックスタンド側のラインまで走っていたな。
試合は残り2分で12点を追いかける早稲田が追い付き引き分け。最後に80メートルの独走トライを決めた今泉清が語り草だけど、みんなが大騒ぎする中で落ち着いて同点のキックを決めたSO守屋泰宏も凄い。花形選手もいれば、地味だけど仕事をきっちりこなす選手もいた。
【無名叩き上げたちが導いた大逆転 95年 早大20―15明大】
下馬評は関係ないと言われる早明戦の中でも象徴的な一戦。前評判も、終盤までリードしていたのも明治。終了直前まで明治が左奥を攻めたが、早稲田のSO速水直樹からWTB山本肇へとつなぎ、70メートルを走りきって逆転トライを奪った。明治の選手も必死に追いかけたけど、ドタバタとした走り方ながら逃げ切ったシーンが印象深い。
山本は神奈川・藤沢西出身でラグビー界では超無名校。この年は3番の山口吉博も江戸川学園取手出身で、叩き上げの選手が多かった。一方の明治は山岡俊(元日本代表)がいて、赤塚隆(95年W杯代表)がいて、鈴木健三(後のプロレスラー)もいたオールスター軍団。それでも勝負は分からないのが、早明戦の面白さだと思う。
【旧国立での激闘史に「ノーサイド」 13年 早大15―3明大】
旧国立競技場では最後の早明戦で、試合よりもユーミン(松任谷由実)が来て「ノーサイド」を歌ったことが印象深い一戦だった。早明戦の価値が落ちていた時期で、前年は3万人台、前々年は2万人台の入りにとどまっていたが、最後の国立を盛り上げようと両校OBが結束して、集客に奔走。4万6961人の大観衆で埋まった。
日本ラグビーのカレンダーがどんどん変わっている中で、早明戦は12月第1日曜日の固定開催。決して推進派ではないけれど、現役とOBが一体となって伝統を受け継いでいく姿勢は大事にしたい。今や150年以上の歴史を誇るバーシティーマッチ(オックスフォード大―ケンブリッジ大)ですら、時期と会場が変更になってしまったのだから。
▽早明戦 1923年の初対戦以降、戦争で中断した43~45年を除いて毎年対戦している伝統の一戦。順位にかかわらず関東大学対抗戦の最終節として、例年12月の第1日曜日に国立競技場で行われる。過去99戦で早大の55勝、明大の42勝、引き分けは2回。最大の点差は、71―7で早大が勝利した07年。優勝を懸けた全勝同士での対戦は計28回ある。
◇田村 一博(たむら・かずひろ)1964年(昭39)生まれの60歳。早大卒業後の89年4月にベースボールマガジン社に入社。ラグビーマガジン、週刊ベースボールの編集部所属を経て、97年からラグマガ編集長。以後、編集長を24年1月末まで26年間務め、3月末で退社。6月18日にラグビー専門ウェブサイト「Just RUGBY」を立ち上げ、編集長を務めている。現役時代のポジションはフッカー。
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