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【阪神 火の玉ルーキーズ】ドラ1・伊原陵人(1)15歳で出会った“最高の教材” 背中追い続けて

スポニチアネックス / 2024年11月29日 5時17分

智弁学園時代の伊原

 阪神が今秋ドラフト会議で指名した9選手のこれまでの足跡を「火の玉ルーキーズ」と題して振り返る。1位指名の伊原陵人投手(24=NTT西日本)は16年に智弁学園(奈良)に入学。同年選抜で優勝したチームには、村上頌樹投手(26=現阪神)がいた。2学年先輩のエースから何を学んだのか――。本人、親族、恩師らの証言から、計5回にわたって即戦力左腕の素顔や野球人生の分岐点を紹介する。

 陵人は智弁学園入学時から“最高の教材”に恵まれた。チームは選抜に優勝した直後。エースとしてけん引したのが、後に阪神でも同僚となる3年生右腕の村上だった。入学直後の練習で、初めて村上のキャッチボールを見たときの衝撃は、今でも忘れられない。直感で、その大きな背中を追うことを決めた。

 「地面に着くんじゃないかというところから胸にボールが来る。遠投を始めたら、ボールが全然落ちてこない。投手の理想像は、この人やなって思いました」

 練習中は村上の一挙手一投足に注目していた。智弁学園・小坂将商監督(47)は「伊原は村上をよく見て育った。いい関係性でした」と証言する。ポテンシャルの高さを中学時代から買っていた小坂監督は、1年時から村上ら上級生の練習メニューに陵人を交ぜるようにした。

 「村上は自主練習中、外野のグラウンドを黙々と一人で走っていた。それを伊原は見ていて、同じようにずっと一人で走るようになりましたね」

 指揮官の思惑通り、英才教育の効果はてきめんだった。陵人が当時を振り返る。

 「高校では自主性というか。村上さんを見て全体ではなく、自分でやる練習の大切さに気づかされました」

 そんな村上と伊原にはある共通点がある。小坂監督が明かす。

 「村上も伊原も、打撃がいいんですよ。これは投手にとって大事なことです」

 村上は強力打線の3年春の選抜では6番を任され、決勝の高松商戦では中越えのサヨナラ打を放ち初優勝を決めた。陵人は2年秋の奈良県大会決勝・高田商で右翼席へ同点弾。打順は下位だったが一発長打を秘めており、双方とも打撃のいい投手だった。

 「打撃がいいと、野手の気持ちが分かった上で投げられる。村上も伊原も、野手に信頼される投手でしたね」

 陵人はピンチを背負うと、何度も後ろを振り返りバックに声をかけた。2年秋から背番号1を背負うと、小坂監督の目にはかつての村上の姿と重なるように映った。

 10月24日のドラフト会議当日、陵人が阪神から1巡目で指名されると、村上から小坂監督の元に1件のメールが入った。「なんであいつが1位なんすか!ってね。でも、最後には面倒みますって、偉そうに書いてました。まだまだ、伊原は村上から学ぶことは多いと思います」。阪神で再び“村上塾”に再入門し、プロのイロハを学ぶ。その先に、ともに虎の先発ローテーションを守る師弟コンビの姿があるはずだ。 (松本 航亮)

 ◇伊原 陵人(いはら・たかと)2000年(平12)8月7日生まれ、奈良県橿原市出身の24歳。小1から晩成フレンズで野球を始め、主に投手。八木中では軟式野球部。智弁学園では2年春から背番号11でベンチ入りし2年秋から背番号1。3年春に甲子園出場。大商大では2年秋に最優秀投手、3年春に最多勝、最優秀防御率でベストナインを受賞。NTT西日本では2年連続で都市対抗出場。1メートル70、77キロ。左投げ左打ち。

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