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【阪神 火の玉ルーキーズ】ドラ2・今朝丸裕喜(中)メンタルトレで磨かれた“プラス思考”

スポニチアネックス / 2024年12月5日 5時17分

中学時代に関メディベースボール学院でプレーした今朝丸(家族提供)

 父・裕さんが「暇さえあったら(「ドラえもん」の)のび太みたいに寝ていた」と振り返る裕喜の本庄中時代。1メートル60から25センチも一気に身長が伸びた3年間にプレーしたのは、クラブチームの関メディベースボール学院だった。「体験(入部)に行って楽しかった」のが理由。ここで、大舞台にも臆することなく投げられる精神力を手に入れた。

 同期には京都国際(京都)の今夏の全国制覇に貢献した左腕・中崎琉生、東海大相模(神奈川)の遊撃手・才田和空ら、のちに甲子園で再会するメンバーばかり。その中でも裕喜は光っていた。元オリックス外野手の井戸伸年総監督は「コントロールが良かった。速さも中学の時でも130キロ後半から140キロ弱は出ていたけれど、何より躍動感みたいなものがありましたね」と明かす。

 2年時から3年生チームの試合で先発するなど、早くから頭角を現した。練習は平日1日と土日の週3回。筋力をつけながら徐々に球速も上がってきた一方で、課題もあった。「平然と投げる時と、ピンチの時の差が凄く分かりやすかった」と井戸総監督。それが改善された要因に、チームが練習の一環で3カ月単位で行うメンタルトレーニングがある。

 多くの五輪選手をサポートしたメンタルトレーナーの臼井博文氏を講師として招き、マウンドでピンチの時の気持ちの切り替え方や、一度冷静になって自らの目標と目的に立ち戻る方法を伝授。「マイナス思考でもないけど、プラス思考でもなかった」と当時を回想する裕喜を、臼井氏がさらに強く伸びやかに成長させてくれた。

 「マイナスにならずに、打たれても“やばい”とかの感情にはならず前を向いてやることができた。(今後も)関メディで基礎を教えてもらったプラス思考でやっていったら、おのずと結果もついてくると思った」

 裕さんは「泣いているところを小さいころからずっと見たことがない」、母・宏美さんも「試合で負けても泣かなかった。家に帰ってきても普段と変わらない。切り替えが早かった」と証言する。元来の“自分推し”のマインドが、メンタルトレーニングで磨きがかかった。そのハートの強さは、甲子園初登板初先発でも発揮された。高校2年時の23年選抜、3回戦の東邦戦。19年春の優勝校を相手に、大舞台の緊張感にも負けず、大歓声をバックに6回2/3を4失点(自責2)と好投した。この大会は計4試合に登板し、準優勝に貢献した。

 制球力の完成度が高かったため井戸総監督は「絶対プロに行く」と自らが動いて複数校に推薦した。ただ、身長が1メートル85に成長した半面、体重は60キロ台と線が細かったため即戦力と見られず、断られることも少なくなかった。そんな裕喜を「将来性がある」と評価し、受け入れたのが大角健二監督率いる強豪・報徳学園だった。 (杉原 瑠夏)

 ◇今朝丸 裕喜(けさまる・ゆうき)2006年(平18)6月2日生まれ、神戸市出身の18歳。小学3年時に横屋川井少年野球部で野球を始め投手。中学では関メディベースボール学院でプレー。報徳学園では2年春から2年連続で選抜大会準優勝。3年夏の甲子園は初戦敗退。50メートル走6秒5、遠投100メートル。1メートル87、77キロ。右投げ右打ち。

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