「北玉時代」を闘った天龍源一郎さんが北の富士さんを悼む「生きざまとして憧れの人だった」
スポニチアネックス / 2024年12月18日 20時42分
11月12日に82歳で死去した大相撲の第52代横綱で、解説者としても人気があった北の富士勝昭(本名竹沢勝昭)さんをしのぶ会が18日、東京都墨田区の八角部屋で開かれた。大相撲出身の元プロレスラー、天龍源一郎さん(74)も参列し「夜の帝王」とも言われた故人をしのんだ。
二所ノ関部屋に入門し1964年初場所で初土俵を踏んだ天龍さんが番付を駆け上がったのは北の富士と玉乃海のライバルがしのぎを削った「北玉時代」だった。北の富士さんが通算8回目の優勝を全勝で飾った71年秋場所に天龍さんは新十両に昇進。「俺たちの世代は大鵬さんが下り坂で、北玉時代だったから。すごく上のような感じがするけど、横綱でありながら平幕の相撲取りにもフランクに声をかけていただいた横綱という感じですね」と当時を振り返る。
北の富士さんは「夜の帝王」とも呼ばれ、破天荒な行動も注目された。「生き様として憧れの人だった。一番最初に相撲協会でゴルフをやり始めたのは北の富士さんで、ハワイにしょっちゅう行ったりするのも北の富士さんが一番最初。めちゃくちゃカッコいいお兄さんみたいな感じだった。あの頃の輪島さんとか、貴乃花もそうだけど、みんな北の富士さんの真似をして銀座に行ったり、そんなことを先走っていた人」
憧れの人との対戦は一度だけ実現。自身最高位の西前頭筆頭で迎えた1974年初場所2日目。寄り切りで北の富士に敗れた。北の富士さんは同年7月に引退。天龍さんも所属部屋のゴタゴタなどで2年後に引退し、プロレスに転向した。
それでも90年代には京都で、北の富士さん、八角親方(元横綱・北勝海)と会食する機会があった。「あの時は初めて相撲取りはお酒が強いなと思いましたよ」。両国国技館での興行で北の富士理事の粋な対応も忘れられないという。「“天龍ちゃんいる?”と来て、みんなに声をかけてくれた時に、わざわざ理事室から地下まで来てくれたのはすごくうれしかった。そういう何気ない所作がかっこよかった」と粋な生き様に心酔していた。
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