原辰徳氏「人生においても強い影響」“恩師”渡辺恒雄さん追悼「燦然と輝いた存在」
スポニチアネックス / 2024年12月19日 13時19分
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さんが、19日午前2時、肺炎のため東京都の病院で死去した。98歳。プロ野球巨人の前監督でオーナー付特別顧問の原辰徳氏(66)が追悼した。
原氏は球団を通じ、「私にとって、野球だけではなく、人生においても強い影響を与えていただいた恩師でした。厳しいご指導をいただいたこともありましたし、温かい言葉で励ましていただいたこともあります。渡辺主筆は、私の人生の中で燦然と輝いた存在です」と追悼。「野球界のため、日本のため、世界のためにご尽力いただき、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします」と感謝の言葉を伝えた。
渡辺さんはプロ野球・巨人のオーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問などを歴任し、日本球界の発展に寄与した。原氏は80年ドラフト1位で巨人に入団し、81年リーグ優勝、日本一に貢献。数々のタイトルを獲得し95年に引退。引退後は02年から計3度、歴代最長となる通算17年間巨人の監督を務め、巨人監督歴代最多の1291勝、9度のリーグ優勝、3度の日本一と輝かしい戦績を残した。
渡辺さんは1926年5月30日生まれ、東京都出身。株式会社読売新聞社社長、読売ジャイアンツ(巨人)の球団オーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問、社団法人日本新聞協会会長を歴任した。「ナベツネ」のニックネームで知られ、政財界に幅広い人脈を築いた。07年、第54回カンヌ国際広告祭で世界のメディア業界の中から傑出した人物を讃える「メディアパーソン・オブ・ザ・イヤー」を受賞。
副社長時代の89年、読売巨人軍の球団内で組織された最高経営会議のメンバーに選ばれたことをきっかけに球団に関わるように。その発言が球界に強い影響力を及ぼすようになり、96年にオーナー就任。記者としての知識を生かし素早く野球業界について学び、球界発展の立役者となった。
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