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【内田雅也の追球】「盟友」「一心同体」の哲人

スポニチアネックス / 2024年12月20日 8時1分

オーナー会議で話し込む阪神・久万俊二郎オーナー(右)と巨人・渡辺恒雄オーナー(2002年11月8日、名古屋市内のホテル)

 訃報が伝わった巨人元オーナー・渡辺恒雄と阪神の名物オーナーで知られた久万俊二郎は盟友の間柄だった。

 久万が90歳で他界した2011年9月、渡辺は「俺と久万さんは一心同体だった」と別れを惜しんだ。「俺と久万さんの時代が、俺にとっちゃ最高の時代だった。何でも話をしたし、彼は何でも意見を言ったよ。もちろん反論も含めて。あんな率直な人はいなかった」

 渡辺が巨人最高経営会議の一員となった1989年からの付き合いだった。久万は84年にオーナーに就いていた。

 盟友関係が表に出たのは2004年の球界再編だった。オリックス・近鉄の合併に、もう1組の合併が浮上、渡辺は「10球団なら1リーグ」と主張していた。阪神では球団社長(当時)・野崎勝義が「2リーグ制堅持」と試案を示し、セ各球団を行脚していた。

 球団役員会で容認したはずの久万が野崎に待ったをかけた。清武英利『サラリーマン球団社長』(文藝春秋)に「喧嘩(けんか)の結果、巨人が“別の球団と組む”と言い出せばどうするのか」など久万の発言がある。

 渡辺から久万に連絡がいったのだろう。渡辺は後に、久万が「一度屈(かが)んで伸び上がる。屈伸だ」と1リーグ制を支持していたと話した。

 どこか、2リーグに分裂した1949(昭和24)年を思わせる。阪神は阪急、南海、東急などとの盟約書にオーナー・野田誠三が署名・押印していたが、巨人側に寝返った。行き先不明だった球団代表・冨樫興一の署名が欠けていた。野田は「巨人と同一行動をとる」と決めていた。歴史的な巨人―阪神の盟友関係はそのまま渡辺―久万に引き継がれていた。

 久万は渡辺を「ナベツネさん」と呼んでいた。年齢は久万が6歳上だが親しみがこもっていた。

 戦中に東京帝大(現東大)に入学した同窓である。渡辺は文学部哲学科だった。「私も哲学をやりたかった。父親に“哲学じゃ飯を食えん”と反対されたんだ」と法学部政治学科に進んだ。

 04年、裏金問題でオーナー辞任を決めた直後、久万は4冊の哲学書を買った。フッサールの原書だった。渡辺は学生時代、カントやヘーゲルの原書講読をしていた。

 久万が鬼籍に入って13年。待っていたことだろう。ともに「素人」と認めていた野球ではなく、今度は好きな哲学の話ができる。 =敬称略= (編集委員)

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