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長嶋茂雄氏 「ワタツネさん」渡辺恒雄さんとの別れに沈痛「頭は白紙」 原氏「恩師でした」

スポニチアネックス / 2024年12月20日 5時31分

14年、巨人のセ・リーグ3連覇(V3)の祝賀会で、バットで鏡割りする(左から)渡辺氏、長嶋終身名誉監督、原監督。

 ◇渡辺恒雄氏死去

 言葉を失った。巨人・長嶋茂雄終身名誉監督は、球団を通じてコメントを発表。「突然の訃報でした。しばらくは、何が起こったのか、頭は白紙の状態でした。古く長いお付き合いで、巨人を離れてもたくさんの思い出があります」と悲しんだ。

 出会いは現役時代だった。親交があった中曽根康弘元首相を通じて、まだ政治記者だった渡辺氏との交流が始まった。そして渡辺氏がオーナーに就任した96年12月、チームを指揮していたのが長嶋氏だった。報道陣に渡辺氏の話をする際には親しみを込めて「ワタツネさん」という呼び方を使っていた。リーグ3位に甘んじた98年、シーズン中の8月には「退任願」を提出。フロントが森祇晶氏を後任候補に挙げ動き始めた。だが渡辺氏は「辞任すると言われても慰留する。巨人への貢献度は長嶋監督の方がオレより1万倍も大きいんだ」と退任願を受理せず続投が決定。01年に自ら身を引くまで支えてくれた。チームの勝利を誰よりも喜んでくれた渡辺氏。「今、何を話せばよいのか、巨人が勝った時の渡辺さんの笑顔しか浮かんできません」と追悼した。

 前監督の原辰徳オーナー付特別顧問も渡辺氏のバックアップを受けた一人。「私にとって、野球だけではなく、人生においても強い影響を与えていただいた恩師でした。厳しいご指導をいただいたこともありましたし、温かい言葉で励ましていただいたこともあります」と悼んだ。

 通算17年の監督時代にはシーズン中に都内で会食することもあり、チームの現状などについて意見交換も行った間柄。「渡辺主筆は、私の人生の中で燦然(さんぜん)と輝いた存在です。野球界のため、日本のため、世界のためにご尽力いただき、本当にありがとうございました」と冥福を祈った。(川島 毅洋)

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