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石川さゆり 2024年の「能登半島」 紅白で「ご縁が染み入っているような歌に」

スポニチアネックス / 2024年12月29日 8時39分

「能登町復興応援特命大使」の委嘱状を受けた石川さゆり

 【牧 元一の孤人焦点】歌は変化する。その人の思いが表れるものだからだ。1977年に発売した当時の「能登半島」、2003年に紅白で披露した「能登半島」、そして今年の紅白で歌う「能登半島」は異なる。

 歌手の石川さゆり(66)が1月1日の能登半島地震の被害に遭った石川県能登町の「復興応援特命大使」に就任した。

 12月25日に都内のスタジオで委嘱状交付式が行われた。能登町の大森凡世町長(62)は「町民に勇気と希望を与えるとともに、町の魅力ある情報を発信し、復興への一翼を担って頂きたい」と要請。委嘱期間は12月29日から3年間で、石川は「何ができるか分かりませんが、できる限りのことをやろうと思います。1年ずつ住民の皆さんの生活が元に戻っていくように、全国の皆さんに呼びかけ、心をつないで行きます」と応じた。

 石川は1977年に「能登半島」を発売した後、数多く同町や周辺を訪れ住民と交流。昨年12月11日に石川県の和倉温泉でディナーショーを開催したが、その3週間後に能登半島地震が起きた。

 「すぐに現地に行きたいと思いましたが、でも行って何ができる?と思い直しました。状況を把握しながら自分ができることを探そうと考えました」。今年1月7、8の両日、大阪で行ったコンサートから義援金の募集を始め、4月から8月にかけて計4回、能登町、輪島市、珠洲市を訪れて被災者を激励した。

 現地の状況について「かなり復興したと言われていますが、そこで暮らす方々の生活はいまだに厳しい。家族がバラバラに暮らす方々がいて、お年寄りは買い物にも行かれず、ボランティアの協力が必要」と指摘。自らの役割に関しては「私にできるのは歌を届けること。歌い手として、皆さんに心をつないで頂けるようなことができたら」と話す。

 大みそかの「第75回NHK紅白歌合戦」では21年ぶりに「能登半島」を歌う。「今この曲を歌わずしてどうするんだ!と思いました。行ったり来たりしているうちに親戚のような感じになった能登のみなさんのことを思い、お会いしたお一人お一人のお顔を思い浮かべながら、しっかり歌わせて頂きたい」と語る。

 「能登半島」はヒット曲「津軽海峡・冬景色」(1977年)の次に発売した曲。「当時は“これが売れなかったら一発屋と言われてしまう”という、しがみつき方をして歌っていました」と述懐。それから45年以上が経過し、能登半島地震を経た今、「私が過ごして来た月日、見て来た景色、結んで来た皆さんとのご縁が染み入っているような歌になればいいなと思います」と胸の内を明かす。

 この曲をテレビで歌う意味に関しては「能登の仮設住宅にお邪魔した時、小さなテレビが置いてありました。住民の方から『私たちはなかなか出かけることができない。テレビで社会の出来事を感じています。さゆりさんの歌もここから流れてくるんです』と聞いた時、テレビが皆さんにいろんなことを伝えているんだと思いました」と話す。

 大森町長は大使の来年以降の活動について「能登で歌って頂くことが町民のみなさんの元気につながる。その調整が第一。あとは、いろんなところで能登の魅力をPRし、復興へのメッセージを発信して頂きたい」と希望。石川は能登の魅力について「おいしいもの、すてきな場所がたくさんあります。カニやブリ、お酒がおいしく、海が美しい」と笑顔を見せる。

 大森町長が「1年ずつ復興していこうと思うので、その姿を見て頂きたい」と話すと、石川は「みんなで一緒に喜んでいきたいと思います」と応じた。

 いずれその時が訪れるであろう能登での「能登半島」も、大みそかの紅白での歌唱とはまた違うはずだ。

 ◆牧 元一(まき・もとかず) スポーツニッポン新聞社編集局文化社会部。テレビやラジオ、音楽、釣りなどを担当。

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