1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. スポーツ総合

曙は日本人より日本人 伝統重んじた「大将」 クリスティーン麗子夫人が追悼「私たちを見守って」

スポニチアネックス / 2024年12月30日 5時2分

曙さんの遺影の前で2人の息子と写真収まる曙クリスティーン麗子さん(クリスティーン麗子さん提供)

 ◇24年追悼 スポーツ界の名士たち

 ハワイ出身の大相撲初の外国出身横綱で、K―1、プロレスなどでも活躍した曙太郎さんが4月、心不全のため54歳の若さで死去した。98年に結婚し、7年にも及ぶ闘病生活を支えた曙クリスティーン麗子夫人(53)が現在の心境を明かし、「日本人より日本らしかった」と言われた故人を悼んだ。

 私たち家族は夫のことをずっと「大将」と呼んでいました。病院で「横綱」とか「曙さん」だと周囲を動揺させてしまうこともあるでしょう、と。尊敬の意味も込めた愛称です。

 亡くなった時は本当に普通でした。それまでに2、3回危ないときがあって米国から子供を呼んだこともありました。そう言う時に限って急に回復して「お父さん、絶対ドッキリだよ」と息子たちに突っ込まれてましたね。4月6日でした。普通に食事をして、急に目を閉じて寝てしまったようでした。心の準備もなかったし、まさかの気持ち。闘病生活はつらく長いものでしたが最後は苦しまずに旅立ったと思います。いい顔をしていました。

 半年以上たった今、“独りぼっちなんだな”と思うことがあります。20年以上クリスマスもお正月も一緒だったのに、初めて大将がいない。ちょっと寂しいです。骨は2つに分けました。一つは私たちのもと、もう一つはハワイに持っていって海に散骨することも検討しています。生前、残りの人生はハワイに住みたい意向を持っていましたので。

 言葉も習慣も文化も分からずに、国技の世界で努力を重ねて成功したのは凄いと思います。生前「一般の人ができないことをたくさん経験し、見てきた」と話していました。横綱時代に「日本人よりも日本人らしい」とも言われていました。知人が「曙」と呼び捨てにするとたしなめるなど、相撲界が重んじてきた言葉遣い、礼儀を大事にしていました。

 こんなはずじゃなかったのにといつも思っているし、2人で一緒に年を取ることがかなわなかったのは、ちょっと寂しい。最近は車を運転すると毎回「64」(第64代横綱)に遭遇するんです。車のナンバーや店の看板など。あ、大将が私を追っかけているんだと。母とも「また64番、大将気になっているのかな」と話しています。子供には厳しい面もありましたが優しくユーモアたっぷりのお父さん。これからも私たちを見守ってほしいと思います。 (曙クリスティーン麗子)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください