1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. 野球

日本航空石川 1日で能登半島地震発生から1年…苦境にも負けず追った白球 北信越準Vで来春選抜出場濃厚

スポニチアネックス / 2024年12月31日 5時2分

青空の下、ダッシュを繰り返す日本航空石川の選手たち(撮影・尾崎 有希)

 今年1月1日に発生し、500人を超える死者を出した能登半島地震から、明日で1年が経過する。甚大な被害を受けた石川県輪島市にある日本航空石川の野球部は、今秋の北信越大会で準優勝し、来春の選抜に2年連続の出場が濃厚。21日から5日間、野球部以外の全校生徒が一時的に在籍する東京都の青梅キャンパスで合宿を行ったチームを取材した。(取材・柳内 遼平)

 ≪及川蓮志主将 野球をしてもいいのかな…迷いも「甲子園」の目標が救い≫能登半島地震は1月1日、午後4時10分に発生した。マグニチュード7・6、最大震度7の揺れが北陸を襲った。内野手の及川蓮志(れんじ)主将(2年)は帰省先の岩手県宮古市の携帯電話ショップで、テレビの地震速報を目にした。部員67人のうち、石川県出身は11人。「ヤバいと思った。仲間が大丈夫なのか、不安だった」。安否を確認したくてもスマホはデータ移行中だ。1分が1時間のように感じた。

 野球部のグループLINEには続々報告が入り、夜には全員の生存を確認。仲間に死が迫った一日に「凄い怖いというか(地震が)恐ろしいものだと感じた」。生活も一変した。

 練習拠点は輪島市から一時的に山梨へ。1月19日から練習再開も「野球をしていいのかな」と迷った。同26日には選抜に選出され、3月は初戦敗退も甲子園出場。元日から始まった目まぐるしい日々で「甲子園という目標があったからすぐに集まれた。目標があったからすぐに立ち上がれた」と救いになった。

 4月から野球部員のみ、県内での公式戦参加への利便性などを考慮して石川に戻った。校舎は被災地への支援拠点で、自衛隊員や総務省職員と共同生活を送った。追い打ちをかけるように、9月には奥能登豪雨で川の氾濫や土砂崩れが発生。心が折れそうになる中で、秋季大会期間中だった野球部は泥出しや家財搬出などのボランティア活動に従事した。「被害に遭われた方のことを思いながら過ごしたい」と、共に歩んだ。

 及川は幼稚園年少だった11年に、岩手で東日本大震災で被災した。幼稚園で本棚が倒れ、大泣きしていたという。厳しい生活の中で、今秋の北信越大会は決勝まで勝ち進み、来春に踏みしめるであろう甲子園は主将としての大役を担う。「震災、震災になるのも良くない。地元を元気づけようじゃなくて、もし見てくださる方がいれば、自分たちのプレーで元気が出ればいい。日本一を獲りにいきたい」。一高校球児として元気を振り絞って、夢の舞台に挑む。

 ≪石川智規 輪島の自宅が倒壊…野球やめるか悩むも部長の父が支えに≫輪島出身の外野手・石川智規(2年)の自宅は地震で倒壊した。顔見知りだった近所の人々の多くが助からなかった。もし地震の瞬間、野球部長を務める父・明夫さんら家族で広島旅行に行っていなかったら…。考えたくない「もし」がある。

 「輪島を目の当たりにして恐ろしさを実感した。周りの人がいなくなって、家もなくなった。自分が助かったのは奇跡的だと思う」

 復興が簡単に進まないように、石川もゆっくりと心の傷に向き合った。6月3日朝には再び輪島で震度5強の地震が発生。ショックを受けた石川は練習を休み、寮の部屋で何度も何度も頬を拭った。夜が更け、ようやく目が乾いてきた時「こもっていても何も変わらない。頑張らなきゃ」と立ち上がった。

 野球をやめるか悩み「まだ高校生の自分が野球をやめてどれだけのことができるだろう」と初めて等身大の自分を知った。悩み、考え抜いた上で、野球に青春を燃やすと決めた。「学校では先生、家では父。どんな時も味方でいてくれる」。父が心を支えてくれた。

 まだベンチ入りしたことがない。小学校から輪島では快足が有名だった50メートル走6秒0の外野手は「選抜はメンバーに入りたい」。父と息子、高校最後の1年も父子鷹で駆ける。

 ≪野球部以外は青梅に≫日本航空石川は震災直後、選抜を控えた野球部や一部生徒が山梨校に移り、それ以外は自宅や避難所からオンライン授業を受けた。選抜後、野球部員と指導者を含む教諭は石川校に戻った。また明星大から青梅キャンパスを無償提供される形で、野球部以外の生徒たちは青梅校へと移った。青梅校には1月5日に開幕する春高バレーに出場する女子バレーボール部ら野球部以外の生徒がいる。25年は部単位で徐々に石川校に戻っていく予定だ。

≪「5回勝って日本一」中村監督視線は頂点≫北信越大会決勝では敦賀気比(福井)に5―6で惜敗も、王者と互角の戦いを見せた。選出が有力視される来春の選抜に向け、中村隆監督=写真=は「5回勝って日本一を目指したい」。神戸市出身で10歳の時に阪神大震災を経験し「ガラスで足が血だらけで家を出た」と回想する。監督としても20年にはコロナ禍の影響を受けるなど激動の歩み。「生きていたら、そういうことがいっぱいある。乗り越えるしかないんです」と語った。

 【日本航空野球部の1年】

 ▼24年1月1日 能登半島地震が発生。

 ▼1月19日 避難先の山梨で練習再開。

 ▼1月26日 選抜選考委員会で出場校に日本航空石川が選出。

 ▼3月25日 選抜1回戦で常総学院(茨城)に0―1で敗戦。

 ▼4月15日 輪島のグラウンドで練習再開。

 ▼4月22日 野球部以外の生徒が東京都青梅市の校舎で授業再開。

 ▼9月21、22日 奥能登豪雨が発生。

 ▼10月20日 秋季北信越大会準決勝で7―0で高岡第一(富山)に勝利し25年選抜出場が濃厚に。

 ▼12月25日 青梅校の合宿で練習納め。

 【後記】しばしば、残念に思うことがある。高校野球地方大会や甲子園取材の際、不幸があった選手に美談を誘導するような質問を耳にする。記者として質問しなければならない。だが個人的には時間をかけ、人生の歩みを聞いた上で、初めて扱っていい話だと思っている。

 多感な時期に震災を経験したダメージは計り知れない。だからこそ今回は「話したくない、思い出したくないことは語らなくていいですよ」と前置きした。取材の最後は意気込みを聞くことがセオリー。余計なお世話だが、質問する前に「君たちの高校野球をやればいい。何も背負う責任はないよ」とも口を出した。原稿に載る言葉のインパクトが減ろうが、子供たちが大きすぎる荷を背負うよりマシだ。ネット上はバズり重視の時代でも、オールドメディアの人間として古い矜持(きょうじ)を捨てたくない。 (アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください