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松井秀喜氏 5連続敬遠は「勝手にでき上がった伝説」イチロー氏は「ああいうストーリー、欲しいなと…」

スポニチアネックス / 2025年1月5日 21時58分

1992年、明徳義塾戦で5連続敬遠の星稜・松井秀喜

 ヤンキースGM特別アドバイザーの松井秀喜氏(50)が、5日放送のBS-TBS特番「イチローVS松井秀喜~今だから話せる本音対談~」(後7・00)に出演し、語り草になっている高校野球時代の5連続敬遠について振り返った。

 1学年違いで、ともに日米球界を沸かせたレジェンド同士の対談。昨年9月に収録された。

 松井氏は92年、星稜(石川)からドラフト会議で4球団から1位指名を受け、抽選で交渉権を得た巨人へ入団した。一方のイチロー氏はその前年、愛工大名電(愛知)からドラフト4位でオリックス入り。ともに名門校出身ながら、プロ入りまでのプロセスはまったく違った。

 イチロー氏から「高校時代から背負ってきたものというのは影響していないの?」と問われると、松井氏は「そういう意味では、5敬遠というのは、伝説という意味では私にとってプラスかもしれないけど、背負ったというものとしては余計なものかなという気はしましたね」と答えた。

 92年夏、全国高校野球選手権2回戦で、松井氏は明徳義塾(高知)から5連続敬遠と徹底警戒され、試合も敗れた。試合後には「相手のやり方なんで、よく分かりません」との言葉を残している。

 イチロー氏は「ああいうストーリー、欲しいなと思うけど。俺、何もないからね。ただの1回戦負け、2回(戦負け)…。いいよね、甲子園のストーリーがある人は」とこぼした。当時の反響も覚えており、「5敬遠でさ、試合が止まる、物が投げ込まれて試合が止まるなんてことは、あるの?他に、あの試合以外で。甲子園、高校野球だからね」と、驚きとともに振り返った。

 松井氏も「(試合後の)明徳の校歌、一切聞こえなかったですね。校歌が終わったかも分からなかった」と、場内からの大ブーイングを回顧。「でもあれが、ある意味でエネルギーに変えられた時期があった」とも明かした。横浜(神奈川)松坂大輔氏が、京都成章(京都)との決勝で達成したノーヒットノーランや、甲子園通算13本塁打の記録を打ち立てたPL学園(大阪)清原和博氏の名を挙げて比較。「松坂みたいな、ああいう伝説もあるし、キヨさんみたいな伝説もあるし。自分はまったく何もやっていない中の、勝手にでき上がった伝説」と、率直な思いを口にした。

 それを踏まえての、自身の5敬遠。松井氏は「“あいつ5回、甲子園で敬遠されたんだよ”というね。“じゃあ、実力はどうなんだ?”と、誰もがそこに疑問を感じるわけで、そこを払しょくさせたいというか。その伝説をもっと、ちゃんとした伝説のままにしなきゃいけないというね。それがエネルギーになったという意味では、良かったなと思いますけどね。当時の感覚は全然、違いましたけど」と振り返っていた。

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