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【リーグワン】神戸SH日和佐「特別な一年になることは間違いない」阪神大震災から30年

スポニチアネックス / 2025年1月17日 5時2分

家族やチームメンバーと黙とうする神戸・日和佐(右から2人目)(撮影・後藤 正志)

 1995年1月17日に発生した阪神大震災から、17日で節目の30年になる。ラグビーリーグワン神戸の選手らは16日、神戸市中央区の公園「東遊園地」を訪れ「1・17のつどい」のための灯籠に火をともした。SH日和佐篤(37)は7歳の時に阪神大震災を経験。震災から30年のシーズンを「特別な一年」と位置付け、リーグワン初優勝を目標に掲げる。復興のシンボルとして、決意を示した。

 神戸で戦う意味を誰よりも理解している。日和佐は言葉に力を込めた。「特別な一年になることは間違いない。特別な一年にするために、日頃の準備が大事になります。飛躍の年にしないといけないと、一人一人が感じています」。震災から30年の節目。悲願のリーグワン初制覇へ、自然と心は奮い立つ。

 どれだけ時間が過ぎても風化しない記憶がある。神戸市北区出身。7歳の時に震災を経験した。チームの前身、神戸製鋼が日本選手権7連覇を達成した2日後のことだった。当時、二段ベットで就寝中だったが、激しい揺れに恐怖を覚えた。被害が少なかった地域とはいえ、及んだ影響は小さくない。通うラグビースクールの練習場がポートアイランドにあったため、液状化現象で半年間使用不可に。がれきだらけになった街の風景は今も脳裏に焼き付く。

 阪神大震災を乗り越え、会社とラグビー部はどう立ち上がってきたのか。毎年1月17日が近づくと、このテーマを題材にしたテレビ番組を部員、スタッフで視聴する。このチームで戦う意味を改めて理解するためだ。震災当時を知る選手、スタッフは少ない。神戸市出身者に限れば、現役選手で震災を経験したのはチーム内で日和佐一人だけになった。

 南海トラフ地震の発生も想定される今後。小学6年生の長女、瞳さん(12)と地震について話す機会も増えた。「“とにかく(国道)2号線まで逃げろ”という話はしています。ただ、集合場所など、もっと具体的な話をしていかなければいけません」。幼少期に得た教訓をもとに、家族と対話を重ねていく必要性も感じている。

 16日は家族や仲間と神戸市中央区の公園「東遊園地」を訪れ「1・17のつどい」のための灯籠に火をともした。震災発生時刻の12時間前の午後5時46分に黙とうを行った。「がんばろうKOBE」を合言葉に活躍したプロ野球のオリックスや神戸製鋼ラグビー部の姿を再び思い出した。「本当に僕たちの支えになった。スポーツの力はそういうところにあると思う。僕らも何かを感じてもらえるようなプレーを必死になってやりたい」。気持ちを新たにした。

 今季は開幕から3試合連続で先発し、全4試合に出場。19日の浦安戦(ノエスタ)は特別にデザインされたジャージーを着用して戦う。毎年、犠牲者を追悼するイベントでともされる「1・17」などを黒地のジャージーに表現したものだ。特別な一年。復興のシンボルとして、神戸のファンに一つでも多くの勝利を届けたい。「街を代表して戦うことをみんなで共有したい。プレーで、何かを感じてもらえたら本当にうれしい」。強い覚悟を持ってピッチに立つ。(吉仲 博幸)

 ◇日和佐 篤(ひわさ・あつし)1987年(昭62)5月22日生まれ、兵庫県神戸市北区出身の37歳。5歳から兵庫県RSで競技を始める。報徳学園、法大出身。サントリー(現東京SG)を経て18~19年シーズンに神戸移籍。日本代表キャップ51。1メートル66、70キロ。SH。

 ○…神戸のレニー・ヘッドコーチらスタッフや選手23人が16日、「1・17のつどい」に参加した。紙灯籠に点灯し、午後5時46分から黙とう。日和佐は家族とともに足を運び、ろうそくを手に灯をともした。チーム最年長39歳の元日本代表PR山下裕史は「今、ラグビーができているのは当然じゃない。感謝して、いろんな人の思いを背負ってラグビーをしていかないといけない」と語った。

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