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照ノ富士 晴れやかに引退会見“2回楽しんだ”大関から序二段転落後に横綱へ…波瀾万丈の土俵人生総括

スポニチアネックス / 2025年1月18日 4時48分

伊勢ケ浜親方(右)と握手する照ノ富士(撮影・西尾 大助)

 優勝10度の第73代横綱・照ノ富士(33=本名・杉野森正山、伊勢ケ浜部屋)が17日、現役を引退した。理事会で引退と年寄「照ノ富士」の襲名が承認され、今後は後進の指導に当たる。東京・両国国技館で行われた記者会見では大関から序二段まで番付を落としながら、不屈の闘志で最高位に就いた土俵人生について涙を見せずに語った。今場所後に誰も昇進しなければ、来場所は93年初場所以来の横綱空位となる。土俵では綱獲りの豊昇龍が豪ノ山を送り出し、1敗を守った。

 唯一無二の土俵人生に自ら幕を引いた。照ノ富士が師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)へ「もう一回負けたら引退したいと思います」と覚悟を伝えたのは、若隆景に肩透かしで敗れた初日の取組後だった。

 「前へ落ちることはあまりなかった。稽古不足もあるが、体もついていかなくなった。思い通りの相撲をできなくなり、中途半端な気持ちと体で土俵に立つべきではないと思った」

 その夜、同じ思いをドルジハンド夫人にも伝え、2日目は長男・照務甚(テムジン)くんら家族を国技館へ招いた。不安を抱えていた3場所ぶりの出場。2、3日目こそ連勝したが4日目、翔猿に送り出されて2敗目を喫し、決断した。序二段へ転落した際には引退を認めなかった伊勢ケ浜親方は「横綱昇進が奇跡に近い。いつでも(引退を)言ってきていいよという気持ちでいた」と承諾した。

 思い出の一番にはその序二段で取った19年春場所初日を挙げた。両膝のケガや内臓疾患の影響で十両まで落ち、さらに4場所連続全休明け。「14年間で一番緊張してソワソワした」。最高位が三段目の9学年年下・若野口に勝利し、横綱まで駆け上がる起点とした。

 21年秋場所での横綱昇進時、「長くは取れないと思っていた」。それでも優勝6度を最高位で重ねた。昨年名古屋場所で念願だった10回目に達した。12勝中、10秒未満の相撲は8番を数え「毎日目指した相撲が完成した実感がある」と語っていた。「豪快」に代わる「速攻」の横綱像を打ち立てた。ところが、8月の夏巡業で左膝を負傷し、持病の糖尿病も悪化。血糖値も上がって10キロ以上、体重が落ちた。腰痛も深刻だった。知人によればこの頃、引退意思を固めたという。

 「やり過ぎている。もうちょっとという気持ちは全くない」

 3年以上にわたって一人横綱の重責を担い、力を出し切った満足感を語った後、「相手と戦うよりも自分と向き合ってきた。自分にうそをつかないで、自分に負けるなって言い聞かせてきた。相撲人生を2回楽しむ良い機会になった」。14年間の土俵人生を総括した。

 今後は照ノ富士親方として後進の指導に当たる。今年7月、伊勢ケ浜親方が65歳の定年を迎えるのに伴って伊勢ケ浜部屋を継承するとみられる。「(新弟子は)人生を懸けて入ると思う。自分にうそをつかない、自分を曲げない力士を育てたい」。土俵上で貫いた精神を、今度は弟子へ注ぎ込む。

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