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東芝・金井慎之介 野手転向に秘めた知られざる思い 「一日でも早くチームに貢献したかった」

スポニチアネックス / 2025年1月24日 11時1分

東芝・金井

 野球ができる喜びをかみしめながら、日本一への道のりを歩んでいく。東芝・金井慎之介外野手(21)が、入社4年目の今季にかける意気込みを明かした。

 「チームとしては今年こそ都市対抗、日本選手権の2大大会で優勝したい。個人としてはしっかりレギュラーを勝ち取って、チームの軸として頑張りたいです」

 野手転向から半年にも満たなかった昨秋の日本選手権で、2大大会のデビューを果たした。初戦のHonda熊本戦で「6番・DH」として初出場。続くヤマハとの2回戦でも「6番・DH」でスタメン出場を果たすと、2安打を放つ活躍を見せた。今も金井の脳裏に鮮やかに浮かぶシーンは、ヤマハ戦で訪れた8回の第4打席。4点を勝ち越し、なおも2死走者なしから、外寄りの直球を左前へはじき返した。

 「やっと、チームの一員になれた気がしました」

 万感の思いを込めて臨んだ大会だった。昨夏の都市対抗予選終了後。大河原正人監督との個人面談に臨んだ金井は、思いも寄らぬ言葉をかけられた。

 「野手に挑戦してみないか?」

 類い希なる野球センスを誇る一方で、金井は度重なる故障に泣かされてきた。中学3年時にはU15W杯に投手として出場。名門・横浜(神奈川)でも1年夏からベンチ入りし、外野手との投打二刀流で活躍した。2年生で最速148キロをマーク。高校球界屈指のサウスポーとしてドラフト候補にも挙がったが、2年秋に左肘を痛めてしまい、甲子園に出場した高3夏も背番号は7だった。東芝に入社後は再び投手に専念したが、2年目には左肩痛を発症。チームスタッフによる目いっぱいのサポートを受けたが、投球はおろか、左肩を上げるのもままならなかった。

 「ピッチャーは投げてなんぼ。先が見えない状態が1年以上続いていたので、すごく悩んでいました」

 大河原監督から野手への挑戦を持ちかけられたのはまさしく、金井が葛藤を抱えている時期だった。「高校の最後は思うように投げられなかった。東芝で心機一転、頑張りたい」。並々ならぬ決意で向き合ってきた投手というポジション。歯を食いしばってリハビリに励んでいたのは、もう一度、マウンドで輝くためだった。それでも金井は迷うことなく、大河原監督にその場で「野手をやらせていただきます」と返答した。金井は言う。

 「どんな形でも良いから、一日でも早く貢献したい思いがありました。チームに求められているものがあるのであれば、それに対して全力で向き合うべきだと」

 リハビリ中、金井が欠かさず、続けていたことがある。左肩を痛めて間もない頃、福本翼投手コーチに呼ばれた。「何でも良いから、毎日、何かを続けてみろ」。痛めている左肩に支障をきたさない範囲での投げる動作であったり、素振りをしている様子を撮影。その動画を、福本コーチに送信することを日課とした。練習日だけではない。オフの日も、年末年始も、1日も欠かすことなく、福本コーチが昨秋に退部するまでの1年半、動画を送り続けた。

 「福本さんは毎日、何かを続けるという習慣をつくってくださった。そのやり取りの中でいろいろ声をかけてくださって。スタッフであったり、チームの先輩、同期、高校の同級生、両親もそうですが、そういう方々の存在が自分の支えになりました」

 多くの人間に支えられたからこそ、今がある。感謝の思いを胸に刻み、金井はバットマンとしての新たな野球人生を切り開く。

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