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【内田雅也の追球】「カフー」を夢見る前夜

スポニチアネックス / 2025年2月1日 8時0分

寒緋桜が咲いたバイトするならエントリー宜野座スタジアム(撮影・須田 麻祐子)

 沖縄の空は曇っていた。キャンプイン前日、東シナ海に面した阪神のキャンプ1軍宿舎に選手全員が集まった。宿舎が異なる2軍の選手たちもやって来た。

 いや「1軍」「2軍」ではない。監督・藤川球児はこのキャンプでそんな呼称を廃止すると宣言していた。1月21日のスタッフ会議の後、記者団に「1軍、2軍というものは撤廃」と話していた。「これまで高知県(2軍)と沖縄県(1軍)で遠かったので、そういう呼び名になっていましたけど、何のくくりも必要ないと判断しました」

 だから、練習する球場のある地名に応じ「宜野座組」「具志川組」と表現するように求めた。

 思いだしたのは村山実である。監督に復帰した1988(昭和63)年のキャンプ前、「1軍、2軍という呼び方はやめてもらいたい」と言った。キャンプ宿舎の名称で「タマイ組」「東陽館組」と呼び、書くように報道陣に求めたのだった。

 ともに投手出身。藤川は高知商から入団時、村山への憧れを語っていた。選手を分け隔てなく扱いたいとの純粋な心がみえる。横一線の競争という論理もあろう。

 究極の思いは「監督の重要な仕事の一つは、すべての者を幸福にしてやることだ」だろう。1960~80年代、オリオールズの名将、アール・ウィーバーが語っている。

 ただし「全員幸せ」はかなわない夢である。阪急、近鉄を創設初優勝に導いた名将、西本幸雄が「全員を幸せにしてやりたいが、それは無理なんや」と語っていた。「誰かを使えば誰かの出番はなくなる。選手たちは皆、親御さんにとって掌中の玉や。妻や子どももいる。何とか幸せに、と思うが……」。初めて監督をした大毎退団時、選手一同から「ニシさん」と感謝の詰まったプレートを贈られた西本でさえ、無念の思いがあった。

 ならば、監督ができるのは「全員を同じ方向に向かせる」である。藤川もこの日「チームを一つにまとめていくのが自分のテーマ」と話した。

 原田マハのデビュー作『カフーを待ちわびて』で、おばあが毎晩唱える「カフー、アラシミソーリ」。琉球言葉で「カフー」は「果報」、幸せを意味する。「幸せでありますように」

 せめて、キャンプイン前夜は祈りたい。曇り空から輝く夕日ものぞいていた。 =敬称略= (編集委員)

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