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吉田義男氏が死去 「タテジマをヨコジマに…」 FA清原獲得のために吐いた球史に残るラブコール

スポニチアネックス / 2025年2月4日 18時37分

1996年11月15日、清原(左)とFA交渉する吉田監督(右)と三好球団社長

 プロ野球の阪神を監督として1985年に球団史上初の日本一に導いた吉田義男(よしだ・よしお)氏が3日午前に脳梗塞のため死去したことが4日、分かった。91歳。京都府出身。通夜、告別式については非公表。

 1969年に現役を引退した吉田氏は、75年に一度目の監督就任。3年間チームを率いた後、85年に再び指揮官としてタクトを振った。同年に球団史上初の日本一へ導き、87年のシーズン限りで退任。そして97年から同球団で初めて3度目となる監督の座に就いた。

 第3次政権が誕生した96年オフ、最初の大仕事がFA宣言した清原和博(当時西武)の獲得だった。同年11月15日の第1回交渉。三好球団社長とともにテーブルについた吉田監督は身を乗り出し、「タテジマのユニホームをヨコジマにするぐらいの意気込みなんです!!」と訴えた。タテジマといえば、タイガースの象徴。熱すぎるラブコールに、清原も「阪神さんの熱意で汗が出てきました」と笑顔を浮かべた。

 結果的に、清原は巨人を選択したものの、当時低迷していた球団再建に懸ける吉田監督の思いは、確かにチーム、そしてファンに届いた。

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