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吉田義男氏死去、ONが追悼 長嶋氏「我々の仲間だった…」王氏「誰にも真似できない」球界中が沈痛

スポニチアネックス / 2025年2月4日 21時47分

NPB80周年ベストナイン ~Best nine of 80 years~に選ばれる(前列左から)吉田義男、長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督、ソフトバンクの王貞治球団会長、高木守道。(後列同)福本豊、山本浩二、張本勲の各氏(2014年)

 プロ野球の阪神を監督として1985年に球団史上初の日本一に導いた吉田義男(よしだ・よしお)氏が3日午前に脳梗塞のため死去した。91歳。球界のレジェンドの訃報に球界から続々と悲しみの声が寄せられた。

 阪神と巨人。ライバル球団で選手として、監督としてしのぎを削り、球界のためにともに歩み続けてきた偉大な先輩、戦友の悲報に巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(88)は「突然の訃報にただ驚くばかりです。我々の仲間だったプレーヤーが…。残念としか言葉がありません。小柄の遊撃手でありながら、大型選手並みのプレーをされていたのは忘れられない思い出です」と追悼メッセージを発表した。

 また、ソフトバンクの王貞治会長(84)は「捕るが早いか投げるが早いかと言われた華麗な守備は、誰にも真似できないほど素晴らしかった。1964年東京五輪の年に、シーズンが終わって一緒にヨーロッパ旅行に行きました」と思い出を回想。「その後フランスで一生懸命野球を広めてくれて、ムッシュ吉田で有名でしたね。ゴルフも好きな方でご一緒させていただきました。とても紳士的な方、ジェントルマンでした。吉田さんのような大変素晴らしい方が旅立たれてしまいとても残念です。心よりご冥福をお祈りいたします」と別れを惜しんだ。

 公私ともに親しい間柄だった張本勲氏(84)は「よっさんが、また名選手が一人亡くなった。あの人が大好きだった。年に何回も会食していた。もう会えないと思うと本当につらい」と沈痛な思いを吐露。「75年オフ。私は日本ハムから巨人に移籍したが、実は吉田さんから誘われていて阪神に行くつもりだった。宝塚に土地まで買った。しかし、そこで巨人からの話があり、決定事項のようになってしまった。慌てて吉田さんに電話すると、憎まれ口一つなく“張やん、良かったなあ。頑張りや”と言っていただいた。なんと懐が広いのか。涙が止まらず、受話器を手に、西の方角へ頭を下げましたよ」と秘話を明かした。そして「『牛若丸』は遊撃の守備も天下一品。長いプロ野球の歴史でもトップだろう。私はよっさんを歴代ベストナインに選ぶ。本当に、残念でならない」と悼んだ。

 選手と監督としてタテジマのユニホームを着た田淵幸一氏(78)は「私が阪神で一緒だったのは、吉田さんが最初に阪神の監督を務めた75~77年。前任の村山実さんは熱血漢で、吉田さんは冷静さを併せ持っていた。そんな指揮官の“人情”に触れたのは75年オフだ。私は同年に43本塁打でタイトルを獲得。すると、吉田監督に大阪のステーキハウスに呼ばれた。“お祝いをしよう”。なかなか監督にタイトルを祝われることなどない。うれしかったし、よく覚えている。記念に自分でネクタイを作り、それを吉田さんにも渡した。監督時代は選手に遠慮せず“おまえ、これは駄目だよ”“あれは良かったな”とコーチを通さずに直に言ってくれる人だった。最後に会ったのは2年前の阪神OB会。とてもお元気だったが…。心からご冥福をお祈りしたい」と思い出を振り返り、思いを寄せた。

 日本ハムの新庄剛志監督(53)は「突然の訃報に驚くとともに、とても悲しく残念な思いです。タイガースで監督と選手としてプレーした2年間、僕のことを温かく見守ってくれた方でした。吉田さんに“面白い”と思ってもらえるような野球をこれからも続けていきます。心よりご冥福をお祈りいたします」と天国の恩師へメッセージを寄せた。

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