岡田彰布氏「退院したら食事に…」 吉田義男さんとの約束実現せず 阪神85年V戦士たちが沈痛
スポニチアネックス / 2025年2月5日 5時19分
吉田さんの悲報に阪神前監督で球団オーナー付顧問の岡田彰布氏(67)は「寂しい気持ちでいっぱいです」と別れを惜しんだ。
「プライベートでも交流がありました」と同じゴルフクラブの会員だった。「12月に入院されるまで元気にゴルフをされていました。『退院したら食事に』と話していたのですが……」会食の約束は実現しなかった。
「一番の思い出はやはり1985年の日本一。若くて(当時27歳)、夢中でプレーしていた私たちを引っ張っていただきました」
前年84年オフ、監督に就任した吉田さんは「外野でくすぶっていた岡田を内野に戻して再生した」と二塁手として新境地を開いた。
一昨年、岡田監督の下、リーグ優勝を果たした時には真っ先に祝意の電話があった。
同じく、85年優勝時の4番でOB会長の掛布雅之氏(69)は「ぽっかりと大きな穴が開いてしまった感じです」と悼んだ。「入団2年目(75年)に吉田監督(当時)に三塁のレギュラーにしてもらいました。日本一になった85年に『ウチには日本一の4番バッターがいる』と言ってもらえたのは最高の名誉でうれしい言葉でした」
掛布氏は今年1月に野球殿堂入りを果たした。「報告を直接することはかなわなかったが、少しは恩返しできたかもしれない」
同じく85年メンバーで元監督の真弓明信氏(71)は「一番の思い出はコンバートを言われた時。前の年は二塁で『外野をやってくれ』と。優勝の話になると『真弓がコンバートをOKしてくれたから』とよく話してくれました。本当に残念。タイガースの一番の貢献者です」
当時の主力選手たちは85年に思いをはせ、永遠の別れを悼んだ。
▼川藤 幸三氏 突然の訃報に驚いている。簡単に言葉が見つからない。入団時からずっとお世話になって85年の優勝を一緒に味わった。振り返ればたくさん思い出があるが今は長い間お疲れさまでしたとしか言いようがない。100歳まで生きてタイガースを見守ってくださると思っていた。それでも、ここまで野球人生を全うされたのは本当に凄いこと。心からご冥福をお祈りします。
▼佐野 仙好氏 群馬に移ってから、なかなかお会いする機会はなかったが、ずっとお元気だと聞いていたので、ただただ驚いている。やはり思い出すのは85年の優勝。神宮で同点になる犠飛を打った夜のビールかけは忘れられない。野球に情熱を傾けた人生だったと思う。心からご冥福をお祈りします。
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