「父のような存在でした」仲田幸司さんが涙で思い返す吉田義男監督からの手紙
スポニチアネックス / 2025年2月5日 8時51分
吉田義男さんの訃報を受け、元阪神の仲田幸司さん(60)は思い出深い手紙について涙ながらに語った。
興南高(沖縄)からドラフト3位で入団して2年目、1985(昭和60)年5月5日の中日戦(甲子園)でプロ初登板を果たした。こどもの日の先発起用について当時、吉田監督から「おまえも高校野球で頑張って来たんやから子どもたちに夢を与えるんだぞ」と送り出された。5回3失点と踏ん張ったが敗戦投手となった。
1週間後の12日、ヤクルト戦(神宮)で再び先発起用された。今度は散発3安打に抑え、完封でプロ初勝利をあげた。
その翌朝、宿泊先のホテルで吉田監督から部屋に電話があり、呼び出された。
「マイク、昨日は何の日か知ってるやろ」と言われ「はい、母の日です」と返した。
「そうや、ようやった。今の気持ちを忘れんとしっかり頑張れ。お母さん孝行の足しにしなさい」。
手紙入りの封筒と賞金10万円をいただいた。仲田さんはそっくりそのまま沖縄の母・ナラエさんに送った。母もまた、そのままタンスのひきだしにしまい、大切に保管していた。仲田さんは帰省する度にその手紙を読み返した。
手紙には「プロ入り初完封、初勝利。実に立派な価値ある、素晴らしいものだった」とあり、次のような戒めも書かれていた。「タイガースは人気球団だから、これから誘いや誘惑もあるだろうけど、軽はずみについて行くんじゃなくて自分で判断して断る勇気も持ちなさい。仮に3回誘われたら1回は断れる人間になるように自分の身体を守ることも考えるように」。
仲田さんは米国ネバダ州で、米空軍将校の父と大阪・堺市出身の母との間に生まれた。米国名はマイケル・フィリップ・ピーターソン(通称マイク)という。1967年、父の配置転換に伴い沖縄県へ移住した。
「沖縄から出て来て、右も左も分からず不安に過ごしていました。吉田監督は父のような存在でした」と感謝を込めて話した。 (内田 雅也)
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