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谷口キヨコ 「セレンディピティの日」に思う…毎日はセレンディピティの可能性に満ちている

スポニチアネックス / 2025年2月7日 13時19分

私の最大級のセレンディピティは、銀次郎くんがうちに来てくれたこと

 【谷口キヨコのごきげん!? SOLOライフ】1月末に「セレンディピティの日」なるものがあった。最近たま~に聞く言葉、セレンディピティ(serendipity)。分かったような分からんような…。悪い意味ではないんやろな、というザックリ感でとらえてました。

 で、調べてみると『ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ること』だそうです。ワタシ思いますに、幸運なんて偶然やってくること以外にあるんかな、と。

 人生は偶然の積み重ね、なんて言いますやん。生まれてきたこと、命あることなんか究極の偶然みたいなもので、自分が自分であることもすごい偶然というか、「こうしてここに生まれたい」から成り立つ命とちゃうし。だからこそ生まれた意味や生きる意味を深追いして、つらいししんどくなったりすることも多いんですが…。

 生まれてきたこと自体、自分の意思ではないわけで、それを「必然」とドラマチックに表現する人もいますが、私はもっと平たく「偶然」とした方がしっくりきます。私の両親が私の両親であることも、すごい偶然やし…。だから、やっぱり人生自体が偶然だらけやと。

 何が言いたいかというと、わざわざ『セレンディピティの日』なんて名付けるのは、最近は世の中が偶然を期待してないというか、あてにしてないからやないか、と。セレンディピティの日じゃなくても、日々もっとふわぁっと、ええ偶然を期待してもええんちゃうかな、と思うんです。

 もともとはっきりと期待せずに積み重ねてきたことが(もしかしたら、それが努力とよばれるものかもしれない)、何かのきっかけで花開く。その後に自分の中では腑(ふ)に落ちる。私はそれがセレンディピティの正体やと思っています。

 つまり、そうやって暮らしている人全員に起こる、毎日の暮らしからのご褒美。やっぱり自分でやってきたことが、知らず知らずに自分に返ってくる。そう考えると、毎日の暮らしが自分一人だけで成り立って回っているような感覚になりがちですが、きっとそうではなくて…。だって幸運は外からやってくるじゃないですか。自分という箱を閉じていては幸運がやってきても気づかない。幸運も入ってこれない。自分を開いていないと幸運は訪れないから。

 で、その偶然が人間の希望になるときがある。「こうすれば必ずこうなる」「これをしなければ必ずそうはならない」。そんなことないですよね。そんなこと考えて行動してたら、思うような結果がでなかったとき、絶望します。具体的なことではなく、ふわっとした希望をもって毎日を積み重ねると、セレンディピティにめぐり会えることがある。まさにそれはめぐり合い。自分にもめぐってくることがあるんちゃうかな、と。そう思える世の中であってほしいし、そう思える自分でいたい。 絶望の中にいるときっとそんな風には思えないと思うけど…。

この世の中、ほんまにいろいろあるけど、絶望するには早すぎますよね。毎日がセレンディピティの可能性に満ちている…そうやって暮らしたいな。

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