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元阪神監督・吉田義男さん通夜 真弓明信氏ら約130人が参列 3日に脳梗塞のため91歳で死去

スポニチアネックス / 2025年2月7日 20時49分

吉田義男さんの祭壇

 脳梗塞のため、3日に91歳で亡くなった元阪神内野手で、監督も務めた吉田義男さんの通夜が7日、兵庫県西宮市内の斎場でしめやかに営まれた。阪神OBの真弓明信氏、木戸克彦氏、桧山進次郎氏や、阪神の谷本修オーナー代行、元球団社長の三好一彦氏ら、約130人が故人との別れを惜しんだ。

 真弓氏は「とにかく元気だったので、本当にびっくりしました」と話した上で「(一番の思い出は)内野から外野へのコンバートの話。それが一番かな」としのんだ。木戸氏も「本当に感謝しきれない。野球以外のことでも凄くお世話になりました」と話した。

 あいさつに立った喪主の長女・八田智子さんは「急に旅立った父ですが、いつもの笑顔と元気な姿を思い出していただければ幸いです」と話した。故人は昨年11月30日に阪神OB会総会に出席し、翌12月1日にはゴルフにも興じるなど元気だったが、12月上旬に突如体調を崩して脳梗塞と診断され、以降は闘病を続けていたという。

 吉田 義男(よしだ・よしお)1933年(昭8)7月26日生まれ、京都市出身。山城では2年夏に甲子園出場。立命大を1年で中退して53年に阪神入り。俊足巧打の遊撃手で、1メートル67と小柄ながら華麗な守備は「牛若丸」と呼ばれた。コーチ兼任の69年限りで引退。ベストナイン9度。通算350盗塁は球団歴代2位。球宴には13度出場し、56年第2戦で決勝打を放ち殊勲選手賞。3期8年に渡って阪神監督を務め、85年には21年ぶりリーグ優勝と球団初の日本一に導いた功績で正力松太郎賞を受賞。90~95年はフランス代表監督を務め、同国の野球普及に尽力した。92年に競技者表彰で野球殿堂入り。現役時代の背番号23は阪神の永久欠番。

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