さらばダイエット!ぽっちゃり体型を受け入れることで開いた、女子の新たな道~その1~

Suits-woman.jp / 2020年1月12日 11時0分

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「正月に太った3キロが戻らない」「休み明けに同僚から『太った?』と言われてショック」などの声が聞こえる今日この頃。“痩せている=キレイ”が“常識”なので、女性たちは少しでも太ると、過度なダイエットに走ったり、コンプレックスをこじらせたり……。

しかし、今の世の中は世界的にもプラスサイズモデルが生き生きと洋服を着こなしたり、キャットウォークを歩く姿が賞賛される流れが出てきました。無理なダイエットをしてギスギスに痩せたモデルは健康的ではないとも。それは日本も同じ。

今回は、ぽっちゃり体型を前面に出し、美しくハッピーに生きているラ・ファーファ モデルの大橋ミチ子さんにお話を伺いました。かつてはコンプレックスの塊だったという彼女が、体型を受け入れ、輝くまでの道程を紹介します。

大橋ミチ子 栃木県で育ち、高校卒業後、女優を目指して上京。その後、ぽっちゃり女子のためのファッション誌『la farfa』の専属モデルとして活躍中。ほかにも、肥満落下系堕天使アイドル『びっくえんじぇる』のリーダーほか、テレビ番組『中居くん決めて!』(TBS系)の準レギュラーなどを勤める。Instagram:ohashimichiko_officialでは、毎日体重を公開。取材当日は110kg。la farfa HP https://lafarfa.jp/models/detail/9

北川景子似の美少女が20kg激太りするまでの壮絶な日々

大橋ミチ子さんは、現在ぽっちゃり女子のための雑誌『la farfa(ラ ファーファ)』の専属モデルであり、タレント活動も行なっています。有名税でもあるのでしょうか、かつて体重が50kg台だった時代の写真が出回っており、当時は「栃木の北川景子」と言われていたそうです。女優志望だった大橋さんが、ぽっちゃり体型を受け入れて現在に至るまでに、どのようなことがあったのでしょうか。

「そもそも女優になりたかったんです。高校時代に演劇部に入っており、人前で表現する仕事をしたいと思いました。スカウトもされたことがあり、若さゆえの根拠がない自信もあり、高校卒業後にスーツケース1つで上京したのです」

ご両親は芸能界入りに対して、猛反対したそう。

「私、保育士になりたかったので、保育課がある私立高校に行かせてもらっていたんです。それなのに、芸能界に入りたいと言ったので、親は大反対。でも、どうしても夢を叶えたかったので、所持金6万円なのに、住むところも決めずに上京してしまったのです。東京についてすぐに、不動産屋さんに行って事情を話したら、家賃1万5000円の物件を紹介してくれて、入居。京王線の八王子から徒歩1時間の古いルームシェア物件で、私のスペースは2畳。でも、冷蔵庫もテレビもあったので、私にとっては天国でした」

家賃1万5000円のルームシェア物件は、エアコンが効かず、冬は家の中でもコートを着ないと寒く、屋根裏にはねずみも出たと大橋さんは語ります。

「1年半住んでいました。そこから都心の俳優養成所に、片道2時間かけて通っていたんです。駅まで歩くのもダイエットだと思って苦になりませんでした。私の身長は167cmなのですが、当時の体重は54 kgくらい。それでも上京時にがんばって7 kg落としたんです。でも養成所の先生は、「あと10 kg落とさないとデビューはできない」と言う。養成所には体重計があり、毎日計測していました。半年以上、水とヨーグルトしか口にしなかったのに痩せない。全然食べていないのに、『もっと痩せなさい』と言われるのが辛かったですね」

古い物件に住み続けたのも「ダイエットのためだった」と言います。

「追い詰められていたときは、メンタルも弱っていましたし、判断力もなくなっていたと思います。200万円もするエステの年間パスを契約したのもこの頃。明らかに高額なのに、「痩せられるなら安いものだ」と契約。このローンはもうすでに完済しているのですが、その返済に数年間苦しみました」

女優を目指して上京したのに、やっていたのはダイエットという日々が続いたそうです。それでも「痩せれば夢が叶う」と無理なダイエットを続けていた大橋さん。

「限界まで追い詰められていたかもしれません。養成所に行く途中にコンビニがあるんですが、あるときそこのドアが開いて唐揚げのいい匂いがしたんです。……そして、気づけば肉まんを泣きながらほおばっていました。痩せることが中心で人生が回っていることに気づいたんです。とにかく痩せることのプレッシャーと自己嫌悪の戦いに、精神的にも疲れ果てて、養成所をやめました。これが私にとって大きな転機になったのです」

「食べないダイエットって、結局落ちないんですよ。毎日ダイエットと体型のことばかり考えていました」と、当時を語る大橋さん。

ダイエットから解放され、20キロの激太り!

過食と絶望の日々……『la farfa』に出会い運命が変わる

女優になることがすべてだったのに、ダイエットが辛すぎて養成所を1年半で辞めてしまった大橋さん。反動で食べまくってしまったそうです。

「好きなものを食べられるようになったのですが、どれだけ食べても満たされず、半年で20キロぐらい太ってしまったんです。そんな自分もイヤで、毎日泣いて、この先どうしたらいいかわからない日々を過ごしていました。そんなある時、書店で見たのが、今私が専属モデルをしている『la farfa』です。見ると、ぽっちゃりしている女性が堂々とビキニを着て、ポージングしている……これに救われました」

『la farfa』はぽっちゃりサイズの女性たちに向けたファッション誌で、毎年モデルオーディションが行なわれているため、モデルと読者の距離が近いメディアとも言えます。この雑誌との出会いがぽっちゃり体型の自分を受け入れた瞬間だったと、当時を振り返る大橋さん。

「それまで、体型について悩み、痩せない自分を受け入れられなかったのですが、『la farfa』を見た瞬間に、体型なんてどうでもいいと思いました。それと同時に、私もモデルになって、太っていることをコンプレックスにしている人の力になりたいと思ったのです。私自身がとても大きなパワーをもらいましたから!」

好きな服を着ることで、魅力は輝き始める

ダイエットからの過食の中で苦しみながらも、大橋さんは生活や環境を変えていきたい気持ちが強かったようです。

「今の体型を受け入れて生活することが、すべてだと思ったのです。それまでダイエットが中心の生活だったり、激太りしてしまったりで、友達とご飯にも行けなかった。でも、自分を受け入れてからは友達と会って、食事やおしゃべりの時間が楽しくなりました」

とはいえ、ほぼ、3年ぶりに会う友人たちは、50kg台の「栃木の北川景子」時代の大橋さんしか知りません。

「20kgも太ればインパクトがあることはわかっていたので、会う前に「ちょっと太ったけどいい?」と自分から言いましたよ。そのときに『太ったね』と言われても『うん、そうだよ』って(笑)」

それまでは、体重を気にしてあまり食べられなかったのに、明るくたくさん食べるようになった大橋さんを見て、友人たちは「すごく明るく楽しくなったね」と言ったそう。

「結局、美しさというのは、体型ではなく、「自分をどれだけ受け入れているか」なんだと思いました。心の底から自分を受け入れて生きれば、自ずと輝いていくんだと思います。もう一つの変化は、ファッションです。かつては体型をカバーするダボッとした服を着ていたのですが、好きな服を着るようになりました。ミニスカートや短めトップスなども楽しむようになりました」

その後、念願の『la farfa』の専属モデルに合格し、モデルとしてのキャリアがスタートしました。

「未経験からのスタートで、ポージングもできなくて、カメラマンさんに指示されていました。先輩モデルが『大丈夫。すぐできるようになるから』と励ましてくれたことを今でも覚えています。私がモデルになったのは6年前なのですが、当時はサンプルのサイズが3Lくらいまでだったのに、今は5Lくらいまであります。渡辺直美さんが活躍していることもあり、世の中が変わってきていると感じます」

取材・文/前川亜紀
撮影/横田紋子

ぽっちゃり体型を「ポジティブなこと」とする世の中になるために~その2~へと続きます。

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