【麺喰い女子】ラーメンブームの源流がここに……幻の名店「淺草 來々軒」が新横浜ラーメン博物館で110年ぶりに復活!

Suits-woman.jp / 2020年11月13日 12時0分

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麺喰い女子の皆さん、ラーメンを食べていますか?

今回訪れたのは、ラーメン好きの聖地とも呼ばれる「新横浜ラーメン博物館」。こちらは全国選りすぐりの名店が集結するフードテーマパークとして知られている一方、日本のラーメンにおける歴史や文化を研究する、名称通り博物館としての役割も担っていることをご存じでしょうか?

最寄り駅は新横浜。当日入場券は大人380円です。

正解の見えないプロジェクトの担い手になったのは、あの名店!

その新横浜ラーメン博物館では今年の秋、日本で初めてラーメンを広めた原点といわれる「淺草 來々軒」を復活させたことが話題になっています。來々軒の創業は今から110年前となる明治43年で、閉店したのは昭和51年のこと。新横浜ラーメン博物館では約30年にわたって來々軒に関する調査と研究を進め、当時使われていた小麦粉や調理方法などを解明。そして創業者・尾崎貫一氏の孫・髙橋邦夫氏(87)、そして玄孫・髙橋雄作氏(32)の協力も得て、創業から110年、閉店から44年ぶりに來々軒を復活させたのです。

「淺草 來々軒」で当時使われていた小麦粉や調理方法などを徹底解明したそうです。

とはいえ閉店から44年経過した來々軒を、100%当時の味で再現するのは無理があります。食料事情も当時とは大きく異なっているのはもちろん、実際に食べたことがある人の記憶もさまざま。100人いれば100通りの“來々軒の味”が存在しているはずです。

そんな正解が見えないプロジェクトの担い手となったのが、新横浜ラーメン博物館に長年にわたって出店をしていた名店「支那そばや」。ラーメン好きな人なら知らぬ人はいない、故・佐野実さんによる自家製麺と厳選素材にとことんこだわったお店で、子孫である髙橋雄作氏直々の希望だったそうです。

前置きがかなり長くなりましたが、いよいよ復活した「來々軒」へ。新横浜ラーメン博物館はそもそも日清チキンラーメンが発売された昭和33年当時の街並みを再現していますが、來々軒のレトロな店構えがすっかりこの場所に溶け込んでいました。

「來々軒」入口の右側、ガラス越しに吊るされているのは、直火焼きのチャーシューです。

外国産が高価だった当時、食材はほぼすべてが国産だった

らうめん(青竹打ち)1100円 は1日120食限定。シウマイは1個150円です。割りばし入れも「淺草 來々軒」のものが再現されています。

今回いただいたのは、「らうめん(青竹打ち)」と「シウマイ(1個)」のセットです。明治・大正時代は今の時代とは逆で、ラーメンに欠かせない野菜や豚肉、小麦などは外国産の方が高価だったそう。そのため、今回もかん水とメンマ以外の材料はすべて国産の食材が使用されています。また現在のチャーシューはほとんど煮豚ですが、当時は手間がかかる焼豚が主流。作り方は「細長く切った肩肉に醤油と赤粗目、食紅、塩をまぶしつけて味を馴染ませ、かまどに吊るし直火焼きにする」という三代目・尾崎一郎氏の証言がもとになっています。

そしてスープは当時の証言によると鶏と豚と野菜を使用した清湯だったそうですが、さらに尾崎氏は「日本人の口に合うように」と、昭和初期頃から煮干しを加えていました。醤油は創業当時から「ヤマサ醤油」の濃口醤油を使用。スッキリとした味わいに仕上げています。

麺はのどごしのよいストレート細麺 でした。

麺は、創業当時に採用されていた「青竹打ち」によるもの。ただ來々軒では昭和10年以降は製麺機を使っていたそうで、こちらでは「機械製麺」の麺もいただくことができます。そして使用されている小麦粉は、群馬県の品種「さとのそら」。こちらは当時使用されていた日清製粉の前身である館林製粉が発売をしていた銘柄「鶴」と「亀」の系譜となる品種で、そこにたどり着くまでには『日清製粉株式会社史』をはじめ、幾度となく国会図書館に通って資料を読み漁ったそう。その苦労は、もはやラーメン作りの域を超えています。

そして「シウマイ」はラーメンと並ぶ來々軒の看板メニューだったそう。戦前のラーメン店のサイドメニューは餃子よりもシウマイが定番で、1個の大きさは60gとかなり大ぶりなのが特徴でした。

オーソドックスな醤油ラーメンだけど、ほかにはない味

「今回、味づくりをするにあたり“懐かしくて、また食べたい”というコンセプトがありました。でも懐かしいと思う味は、人によってまったく異なりますよね。たくさんの方の想いを1つの味にまとめることに、スタッフはとても苦労していたと思います」こう語るのは「支那そばや」のディレクターとしてお店に立つ佐野史華さん。そして実際に味づくりを担当した店長・松野下丈児さんは「苦労したのは技術的なことよりも、“皆に受け入れられるのか?”という精神的な不安でした」とのことでした。

「今まで個人的にうれしかったのは『ありそうでない』という言葉。オーソドックスな醤油ラーメンだけど、食べてみるとほかにはない。その言葉をいただいたとき、これが原点に近い味だと受け取っていただいたのかなと感じました」(松野下さん)

佐野史華さんの衣装は「淺草 來々軒」で実際に着用されていたウェイトレスの制服をイメージ。母である 「支那そばや」 代表・佐野しおりさんの手作りだそうです。

筆者も当然ながら、営業当時の來々軒の味を知りません。しかし実際に食べてみると「これはなんだか懐かしい!小さい頃に家族で食べたような気がする…」と感じたのは、筆者が東京出身だからでしょうか?スタンダードな醤油ラーメンで当然ながら、最先端のエッジがきいた味ではありません。しかし、このような心の琴線に触れる懐かしい味わいは、確かにほかのどのラーメン店にもない。おそらくそれは、來々軒末裔の方々と新横浜ラーメン博物館、そして支那そばやスタッフの想いと情熱が一体となった結晶ではないかと感じます。

さらに特筆したいのは、かまどで直火焼きしてつくられた焼豚の美味しさ!煮豚とは違う香ばしさとジューシーなお肉感は、かなり際立っていました。しかしそれでも、麺とスープの存在感がチャーシューに負けていないのです。

「淺草 來々軒」はメディアのPR戦略も積極的だった

しかし「淺草 來々軒」がラーメンブームの源流と呼ばれているのは、その美味しさだけではありませんでした。新横浜ラーメン博物館では現在、施設1階展示ギャラリーにて「淺草 來々軒 特設展示」を開催。來々軒がブームを起こした経緯と背景が展示されていますが、そこで分かったのは新聞や書籍などに來々軒が大々的なPRをしていたことでした。これぞまさに現在のラーメンブームに通じている戦略で、日本のラーメンの歴史を調べると、必ず來々軒の資料にぶつかる所以なのです。

正直、今回だけでは語り足りないことが多すぎるほどさまざまなエピソードがある來々軒。新横浜ラーメン博物館によると、來々軒の出店は3年間の期間限定だそうです。ラーメンのうんちくとしてはもちろん、とびきり美味しいラーメンとしても、その間に一度食べてみてください!

新横浜ラーメン博物館「淺草 來々軒」
https://www.raumen.co.jp/shop/rairaiken.html

新横浜ラーメン博物館
https://www.raumen.co.jp/

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