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別府駅前でバンザイしている銅像は誰?実はスゴイ人だった!【編集部ブログ】

TABIZINE / 2022年9月12日 21時0分

tabizine.jp

TABIZINE編集部員が、取材先やプライベートで気になった小ネタをお届けする編集部ブログ。今回は、大分県の別府駅前で出会った、なんともインパクトのある銅像。バンザイをしたこの方、実は別府観光の生みの親と言われている油屋熊八氏なんです。亀の井ホテルの前身である「亀の井旅館」創業者でもあります。地獄めぐりも温泉マークもバスガイドも油屋氏のアイデア! 「へえ」なエピソード盛りだくさんなんです。





TABIZINE編集部の山口です。





別府駅前にものすごく目立つ、バンザイしている銅像があること、そしてそれが一体誰なのか、ご存知でしょうか? 実はスゴイ人だったんです! 





「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」







こちらは、筆者が別府温泉の宿に泊まった際、目の前の港に貼られていた標語。「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」。そうなんだ〜と違和感なくすんなり納得できるのは、別府温泉が有名だからですよね。





でも、そもそも別府温泉を有名にしたのがこの標語だったとしたら!? んー、頭がこんがらがってきましたか?





ものすごいアイデアマン!油屋熊八氏







満面の笑みでバンザイのようなポーズをしたこの像の人物は、別府観光の生みの親と言われている油屋熊八氏。先ほどのキャッチフレーズ「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」を考案し、その言葉を刻んだ標柱を富士山山頂付近はじめ全国各地に建てて回ったのも油屋氏なんです。





銅像の裏には他にも、驚くべき油屋氏のエピソードが綴られておりました。



 



30歳のとき大阪へ出て米の相場で成功し、巨万の富を手にする。つけられたあだ名が「油屋将軍」

34歳で相場に失敗し全財産をなくす。臭くて暑い船底に乗りアメリカへ

3年かけてカナダからメキシコまで旅をし38歳のとき帰国

46歳の頃別府温泉に移り住み、ホテル経営を始める。それがやがて世界のお金持ちを迎える一流ホテルに成長

大阪の上空から飛行機でビラをまく

バスガイドが案内する観光バスを日本で初めてつくった

別府温泉の地獄めぐりを考案、爆発的人気を集める

別府港に桟橋を作る運動をした

湯布院温泉を観光地として開発した

別府-由布院-久住高原-飯田高原-阿蘇-長崎をむすぶ道路を造る観光プランを描く





温泉マークも油屋氏のアイデアだそうです。なんとすごいアイデアマンなのでしょうか。そしてまた実行力がすごい。地獄めぐりを考えたのも油屋氏だったんですね。ちなみに、銅像のマントにつかまっている小鬼くんが気になって仕方なかったのですが、地獄の門番のようです。マントの中にももう1鬼いるようです。





油屋氏のまわりには、別府観光のために尽力を惜しまない、面白い人たちが集まったそうです。





みんな子ども好きで、「オトギ倶楽部」を結成し童話や歌や演奏を聴かせたのだとか。クリスマスには、水上飛行機からサンタクロースが降りてくる演出で子どもたちを驚かせたこともあるそうです。





「オトギ倶楽部」で油屋氏は、“ピカピカのおじさん”と呼ばれていました。





「生きてるだけで丸儲け」が口癖だったそうです。









油屋氏の銅像の隣には、手湯があります。









手湯でほっこり癒されながら、筆者が今日ここに観光に来たのも、“ピカピカのおじさん”あってこそなのだなあと感慨深くなりました。





こんなに面白い人がいたんだ、それを知ることができただけでも、「生きてるだけで丸儲け」だと感じたのでした。



 

油屋熊八の像
大分県別府市駅前町12−13



 

参考
油屋熊八(あぶらやくまはち)の像|大分県観光情報公式サイト
まんが 油屋 熊八





 
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