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究極の愛され系!ムロツヨシの交友関係に学ぶ、「人に好かれる技術」

日本タレント名鑑 / 2016年4月2日 9時55分

究極の愛され系!ムロツヨシの交友関係に学ぶ、「人に好かれる技術」

ムロツヨシ流、人気者になる秘訣とは?

ムロツヨシは不思議な存在だ。

気づけば、いつの間にかテレビや映画に出続けている。

1~3月期には『悪党たちは千里を走る』(TBS)で堂々と主演。そうかと思えば、4月からは再び『LIFE!~人生に捧げるコント』で、芸人たちに混ざってコントを演じる。

また、福田雄一による一連の深夜コメディドラマには欠かせない存在だ。『勇者ヨシヒコ』シリーズや『新解釈・日本史』、『33分探偵』などに出演。それらを含めれば、いま最もコンスタントにテレビで「コント」を演じているのは、芸人の誰でもなく、このムロツヨシだと言っても過言ではない。

彼の演技の特徴は「過剰さ」だ。時にそれが“ウザい”と感じとられることもある。それでもムロツヨシは僕らの中に侵食するかのように当たり前のようにそこにいる。一体なぜそんなことができたのだろうか。

ムロツヨシ、「喜劇役者」としての出発

ムロツヨシは、自らを「喜劇役者」と称している。それは「勇気を持って」あえてそう名乗っているのだ。

「お笑い芸人さんもいるなかで自分の立場をどう説明しようっていうときに、やっぱり『喜劇役者』という看板を表に出そう」(『土曜スタジオパーク』2015年7月11日)と考えたのだ。

いま、日本で「喜劇役者」と呼ばれる俳優は数少ない。いや、ほぼいないだろう。その希少性こそがムロのムロたるゆえんだ。なぜなら、彼はデビュー以来徹底的に自己プロデュースを続けてきた男だからだ。

「役者? ムロツヨシ」

まだ仕事がなかった頃、ムロツヨシはそんなふうに書かれた名刺を自作した。

「待ってたら仕事は来るもんだ」

ムロも役者を始めたばかりのときは漫然とそんなことを考えてフリーとして小劇場界の中で様々な舞台に参加していた。だが、もちろん一向に仕事は来なかった。

本広克行も評価!ムロツヨシのピュアな野心

そもそもムロが俳優を志したのは、学生時代に観た舞台がきっかけだった。すぐに養成所に入ったが鳴かず飛ばず。1年で辞めると、劇場を自ら予約するという驚異的な行動力を見せ始める。たった一人で全てを手配し、一人舞台を行った。二日間の公演には、友人・知人ばかりだったが、満員の客がつめかけた。だが、まったく笑ってもらえず失意のムロはバイト生活に明け暮れた。

それでも役者の夢を諦めることはできなかった。そこから数多くの劇団に客演をしながらムロは自ら売り込むことにした。

ある舞台の打ち上げに、本広克行が訪れていることを知らされる。言わずと知れた『踊る!大捜査線』シリーズの演出を手がけた大物だ。

ムロはこのチャンスを逃すわけにはいかないと、本広の隣に座り矢継ぎ早に話しかけた。

「ムロツヨシです、使ってください」
「ムロツヨシはこう思う」
「ムロツヨシはこう考えてます」
「ムロツヨシもそう思います」

とひたすら名前を連呼し、その自作の名刺を渡し、自分の名前を必死で覚えてもらおうとした。

「うぜーな、お前みたいなの苦手なんだ」と本広に嫌がられても、ムロは引かない。

「分かります。ムロツヨシも嫌いです」

その売り込みが功を奏し、ムロは本広が演出を務めた映画『サマータイムマシン・ブルース』に起用される。

「お前の野心はキレイだ」

本広はカッコつけず「売れたい」と主張するムロの態度を気に入ったのだ。初の映像作品の仕事、いや、それどころか、初めてちゃんとギャラをもらった役者仕事だった。

その後、ムロは本広作品の常連となっていく。

小泉家の一員に!?ムロツヨシの圧倒的なコミュニケーション能力

「時々みせる負け犬のような悲しいまなざしで、相手に自分よりも格下と安心させ、いつの間にかムロツヨシを必要とさせるように売り込む営業が魅力」(『スタジオパークからこんにちは』2014年1月22日)と後に本広は評している。

これが大きな突破口となり、ムロツヨシは仕事と交友関係を大きく広げていったのだ。

山田孝之、瑛太、小栗旬、綾野剛、水川あさみなど、ムロツヨシを“友だち”に挙げる役者仲間は数知れない。

ついには元総理大臣まで“友だち”に加わった。

「おい、納豆を100回まわすとおいしいらしいぞ!」

とムロツヨシに向かって口を開いたのは小泉純一郎元総理その人である。

「回すぞ、みんな!」

食卓を囲んでいたのは政治家の小泉進次郎と俳優の小泉孝太郎の兄弟。そしてその中になぜかムロツヨシ。

「じゃあ、1人10回ずつだ!」

純一郎の号令で4人は交代で納豆を回し始めた。

そんな光景の中に自分がいることに違和感を覚えつつもムロツヨシは「うわっ、俺、家族みてぇ!」と心の中で叫んでいた(『A-Studio』2014年10月31日)。

もともと、孝太郎と仲が良く、週1回、彼の横須賀の自宅に泊まりに行くような関係だった。だが、その時、父親は総理大臣。総理官邸に住んでいたため、横須賀の自宅にはいなかった。けれど総理の任期を終えると、当然戻ってくる。いつものように、孝太郎の自宅に行ったら、そこに元総理がいたのだ。

「ウザい」から「愛おしい」へ!ムロツヨシの行動理念

驚くべき交友関係。それもムロツヨシをあらわすキーワードだ。

「どうか僕を好いてほしい」

ムロツヨシは常にそう考えて行動しているという。

「嫌われたくない」ではなく、「好かれるようになりたい」と(『土曜スタジオパーク』2015年7月11日)。

そうやって積極的に近づけば近づくほど、それを嫌う人もいる。けれど、嫌われた人にもさらにグイグイ近づいていくという。そうしていつの間にか、嫌っていた人にも受け入れられ仲良くなっていくのだ。

実はムロは幼いころ両親が離婚している。母が家を出ていき、親権を持った父親もすぐに別の女性の元に行ってしまい、親族に預けられた。

そんなとき、ムロを救ってくれたのが親友たちの存在だった。彼らはそんな境遇のムロに対しても分け隔てなく接し、家に遊びに来てくれた。

「友だちに救われてきた人生なんです」(同前)

ムロツヨシは言う。だから「一人でも多く、友だちが欲しい」と。

よくムロは先輩たちに「お前、八方美人だな」などと言われることがある。そんな時、ムロはこう返すのだ。

「失礼ですよ、先輩。八方美人じゃない、十六方、三十二方美人です」(同前)

“友だち”であれば、“ウザさ”も“愛おしさ”に変わる。

ムロは日本中、全ての人を、視聴者をも持ち前の三十二方美人を武器に“友だち”にしようとしている。

 

 

文/ てれびのスキマ

現在『水道橋博士のメルマ旬報』『日刊サイゾー』『週刊SPA!』『日刊ゲンダイ』『Yahoo!個人』などにテレビに関するコラムを連載中。
戸部田誠名義で『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』、『コントに捧げた内村光良の怒り 続・絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』(コア新書)を刊行。
2月17日には『1989年のテレビっ子』(双葉社) が発売された。

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