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「新生クソアイドル」から「楽器を持たないパンクバンド」へ!さらなる高みへと向かうBiSH

日本タレント名鑑 / 2016年5月16日 14時55分

「新生クソアイドル」から「楽器を持たないパンクバンド」へ!さらなる高みへと向かうBiSH

最初から「二番煎じ」と呼ばれる運命を背負った女の子たちは、1年をかけてどんな成長を見せたのでしょうか?2015年4月30日に初ライヴを行い、2016年5月4日にメジャー・デビューしたBiSHのこの1年は、そんな物語を見ているかのようでした。

BiS解散からBiSHの発表

BiSHは、かつて活動していたアイドルグループ・BiSが2014年7月8日に解散した後、最初期のBiSチームが「BiSをもう一度始める」と宣言し、2015年1月14日からメンバー募集を始めて結成されたグループです。BiSHをスタートさせたチームは、BiSのマネージャーだった渡辺淳之介やサウンド・プロデューサーの松隈ケンタら4人でした。

BiSの解散からBiSHの発表まで、わずか半年。それはリアルタイムで見ていてもあまりにも唐突な展開で、BiSの研究員(BiSファンの総称)であった私もさすがに複雑な感情を抱きました。

そして、メンバーの決定後いきなりひとり脱退するアクシデントを乗り越えて、前述のように2015年4月30日、BiSHはシークレットで初ライヴを行いました。当時のBiSHは、アイナ・ジ・エンド、モモコグミカンパニー、ハグ・ミィ、セントチヒロ・チッチによる4人編成。その初ライヴを音楽ニュースサイトのReal Soundでレポートしたとき(http://realsound.jp/2015/05/post-3135.html)、私は以下のように書いています。

「せいぜい客が10人程度だった最初期のBiSに比べれば、BiSHは注目度が高すぎる。メンバーもそれに釣りあうようにした結果、最初期のBiSのような『穴だらけ』の存在でないことに、贅沢な話ではあるが一抹の寂しさを覚えたことも事実だ。」

本当に贅沢なことを書いていますね。そして、この文章が当時メンバーを悩ませてしまったのかもしれません。というか、そんな話を聞いた気がします。

過熱する人気とプレッシャー

初期のBiSHの現場では、研究員と清掃員(BiSHファンの総称)が揉めることもあったと聞きます。BiSHのファンは一気に急増したために、BiSのように徐々にファンコミュニティを形成することが難しかった面もあるでしょう。そうした人気の過熱ぶりに、いびつなものを一番感じていたのは、実はメンバーと渡辺淳之介かもしれません。

BiSHは2015年5月27日にファースト・アルバム「Brand-new idol SHiT」をリリースし、新メンバーのハシヤスメ・アツコとリンリンを加えた6人編成になった後、2015年9月2日にファースト・シングル「OTNK」をリリース。「OTNK」はいきなりオリコン週間シングルランキングでベスト10入りを果たします。

BiSHが、BiSの「二番煎じ」として注目を集めた幸運な女の子たちという側面は否定できないでしょう。しかし、それは本人たちには常にプレッシャーとしてのしかかっていたはずです。

順調なセールスや動員の一方で、「TOKYO IDOL FESTIVAL 2015」の初日である2015年8月1日には、BiSHが一切観客を煽っていなかったのに、主催側に問題視される事態が起こり、同事務所のPOPが禁止事項を守らなかったことも重なり、2日目の2015年8月2日の出演をキャンセルする事態も起きます。その代替公演として、急遽2015年8月26日にZepp Tokyoで「TBS」が開催され、そこがハシヤスメ・アツコとリンリンのお披露目の場となりました。お披露目からしてイレギュラーな場であったわけです。

メジャーデビュー「楽器を持たないパンクバンド」

2016年1月19日、LIQUIDROOMでのワンマンライヴでBiSHはメジャー・デビューを発表しました。そのレコード会社は、なんとBiSと同じエイベックス。翌日の2016年1月20日、セカンド・アルバム「FAKE METAL JACKET」をインディーズ最後の作品としてリリースしています。

そして、2016年5月4日にシングル「DEADMAN」でメジャー・デビュー。「DEADMAN」は1970年代のUKパンクを連想させるサウンドです。松隈ケンタがUKロック好きであることを、これまでの作品でほとんど出してこなかったことを考えると新鮮でした。そして、1曲わずか99秒。カップリングの「earth」は小室哲哉の作曲で、キーボードを使わないバンド・サウンドで松隈ケンタがアレンジしています。

「DEADMAN」の発売日、タワーレコード渋谷店で開催されたリリースイベントは文字通りの超満員で暑いほどでした。BiSHの現場は客層が若く、女性も多くいます。「BiSに乗り遅れた」という感覚でBiSHを追いかけているようなルサンチマンを抱えている人は、ごくわずかなのではないでしょうか。

そして、初ライヴから1年を経たその日のライヴを見ながら感じたことは、BiS時代から行われてきた「クオリティの高いロックサウンドをアイドルのフォーマットの中に落とし込む」というコンセプトが、完全に結実していることでした。BiSを継承する形で、BiSHの現場も基本的には何をしても良く、いわゆるヲタ芸も禁止されていません。MIXを打つ人も、コールをする人も、サイリウムを焚く人もいます。

アイドル?ロック・バンドのような現場

しかし、現場としては不思議なほどヲタ臭くないのです。それは、前述した「クオリティの高いロックサウンドをアイドルのフォーマットの中に落とし込む」コンセプトを実践し続けた結果、いくらMIXやコールが起きても、本質的にはロック・バンドの現場のような雰囲気になっているのです。これは驚くべきことでした。BiSHがメジャー・デビューにあたって「楽器を持たないパンクバンド」というキャッチコピーになったことにも納得させられます。BiSHがアイドルである、という前提を知らない人がBiSHを見たらこう思うかもしれません。「なんで楽器を持たずに振り付けを踊っているの?」と。

そのメジャー・デビューを迎える前に、大きな変化の局面がふたつあったと私は感じています。

ひとつは、2016年2月26日に渡辺淳之介によってBiSH現場でのリフト禁止が宣言されたことです。BiSでも禁止されたことがなかったリフトがBiSHで禁止されたことには私も驚愕しました。それまでのBiSHは、リフトやクラウドサーフの激しい現場としても知られていたのですから、驚きもなおさらです。

禁止の理由はごくごくシンプルかつ明快で「BiSHのステージが見えないから!!」。実はBiSでも、活動初期の2011年に柵にのぼる行為が禁止されたことがあるのですが、研究員が一斉に反発し、現場での試行錯誤もあり、有名無実化された経緯があります。

そのぶん、BiSHでのリフト禁止宣言に対して大きな反発がなかったことには、BiS時代を知る者としては寂しくもありましたが、やはり今後の現場のさらなる拡大に向けては正しい選択だったのでしょう。ステージは見えたほうがいいですし。

通過儀礼、そしてさらなる高みへ

もうひとつは、セントチヒロ・チッチがキャプテン(リーダー)を降格されたことです。彼女がダイエット企画に失敗したために、2016年3月19日の沖縄でのワンマンライヴでキャプテンから降格されました。この原稿を執筆している時点で、BiSHはリーダー不在の状態になっています。セントチヒロ・チッチは音楽サイトのOTOTOYでのインタビュー(http://ototoy.jp/feature/2016050407/)で、「自分がもし戻ったとして、前向きに今までみたいにひっぱっていける自信がない」と、キャプテンに戻ること自体に迷いを見せています。

このふたつの変化によって、現在は清掃員、そしてメンバーの双方が試されている状況だと感じています。同時に、それは人気が急上昇し続けてきたBiSHにとって必要な通過儀礼であるとも考えています。

そうした通過儀礼と「DEADMAN」でのメジャー・デビューを経て、BiSHはさらなる高みへと向かって行けるはずです。そう信じています。

◆文/宗像明将

1972年生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」「Yahoo!ニュース個人」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。近年は時流に押され、趣味の範囲にしておきたかったアイドルに関しての原稿執筆も多い。

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