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女子走幅跳 秦澄美鈴 優勝でパリ五輪代表に内定 「ポジティブに考えるタイプです」かかとの痛みとの戦い【日本選手権プレビュー】

TBS NEWS DIG Powered by JNN / 2024年7月2日 17時52分

TBS NEWS DIG

陸上競技女子走幅跳の秦澄美鈴(28、住友電工)は昨年7月に6m97の日本記録をマークし、パリ五輪参加標準記録の6m86を突破。6月30日の日本選手権に6m56で優勝してパリ五輪代表が内定した。
 
スムーズに代表を決めたように見えたが、昨年の日本記録更新後にかかとの痛みが発症していた。底の厚いスパイクや助走速度、踏み切り直前の準備動作など、新しいものに挑戦しながらの代表入りだった。

パリ五輪内定も「よっしゃとなれない」状況

秦の優勝記録は6m56で自身の日本記録の6m97とは41cmの開きがあった。だが2位に20㎝差を付けて4連勝を果たしたことを考えれば、国内での強さは頭ひとつ抜きん出ている。雨天ということも間違いなく記録に影響した。


 
だが本人は、納得していない。「雨でも記録を出さないといけない競技です。助走が本当に走れていなくて、後半の3本でようやく走れてきました」

前半3回は6m17、6m37、6m41だったのに対し、後半3回は6m32、6m44、6m56だった。「前半は助走の中盤が走れていませんでした。結果的に踏み切りが遠かった(踏切板にしっかり乗らず、手前で踏み切った)のですが、前半の3本で6m70台後半を跳んでおかないと、パリ五輪で決勝に進むことができません」
 
どんな大会でも決勝は、3回目終了時点の上位8選手が後半3回、計6回の試技をする。それに対して予選は、全員が3回の試技しか行うことができない。3回以内に良い記録を残すことが陸上競技のフィールド種目では求められる。
 
国際大会本番で6m70台後半を跳ばないといけないことは、昨年の世界陸上ブダペスト(6m41、予選23番目)以降意識してきたが、今回の日本選手権は優勝すれば代表に内定する。直前になるまで目標をきちんと決められなかったという。「木南記念(5月12日。6m72で優勝)後に、ケガではありませんが、ちょっと痛いところが色々出てしまい、練習が100%積めた状況ではありませんでした」
 
日本選手権1ヵ月前から「しっかりした練習」ができるようになり、前半の試技で6m70台後半を跳ぶ目標を立てられた。しかし目標には届かなかった。「パリ五輪への出場が決まったのは嬉しいのですが、よっしゃ、と思い切れないのが正直な気持ちです」
 
しかし後述するように、今回の日本選手権は調整をそれほどしないで出場した。五輪前、最終戦の実業団・学生対抗(7月20日)でどこまで良い感触を得られるか。

底の厚いスパイクに変更したことで助走にも変化

秦は昨年7月のアジア選手権に6m97の日本新記録で優勝した後、両足のかかとに痛みが出るようになった。試合には出られるが、対策が必要だった。どう対処してきたのかを坂井裕司コーチに話を聞いた。
 
昨年8月の世界陸上も10月のアジア大会(4位・6m48)も、「両足のかかとにクッションを入れて試合をしていた」という。シーズン後は「走る練習」はできたが、助走を付けて踏み切る跳躍練習や、バウンディングなどバネを鍛える練習は行うことができなかった。それまで使っていたスパイクではかかとに痛みが出るため、底の厚いスパイクに変更した。「2月の沖縄合宿から跳躍練習ができるようになりましたが、かかとを保護するために、感覚は以前と変わってしまいますが、そのまま底の厚いスパイクを履き続けることを決めました」

感覚が変われば以前と同じ動きをすることが難しくなる。室内競技会は2月のベルリンが6m40、3月のグラスゴー(世界室内)が6m43。「全然合わなかった」と坂井コーチ。4月の兵庫リレーカーニバルも6m39に終わったが、そこでデータを採取し、助走スピードは昨年より上がっていることがわかった。「底の厚いスパイクでは助走最後の準備局面(4歩)で上に跳ねる動きが強くなります。上に弾む力を抑えつけるようなイメージで踏み切りに入っていったのですが上手く行きませんでした」
 
5月の木南記念では6m72を跳ぶことができた。自己記録の6m97とは25cm差があったが、自己2番目の6m75とはほぼ同じ。自己記録の更新が期待できるレベルになった。「兵庫までは踏み切り準備動作を昨年までと同じ4歩でやっていましたが、木南からは2歩に変更して、踏み切り直前の走り込む動きを強くしました」
 
言葉にすると簡単だが、速くなった助走スピードで踏み切り近くまで走り込み、以前より少ない歩数、所要時間で踏み切り準備を行うことは簡単ではない。速いスピードで踏み切りに入っていくと、業界用語でいう“潰れる”踏み切りになる。助走スピードを上げる試みをしても、多くの選手が実行できないのが現実だ。何人ものトップ選手を指導してきた坂井コーチも、今回の秦の変更を「大変なんですよ」と言うほどだ。
 
5月下旬に出場したスロヴァキアの競技会は6m52。「新しいことをしているので、これまでとは違うところに張りや疲労が出て、助走スピードを出せませんでした」

6月2日の台北での試合も6m37とさらに記録が下がった。だが最後の6回目で良い跳躍ができたという。「日本選手権よりひどい土砂降りで、最後の6回目に1cmくらいのファウルで6m70~80の距離が出ていました」

パリ五輪本番までに必要なトレーニングの流れを考えて、台北から帰国後は、試合に向けて調整はしていない。秦が日本選手権の目標設定をなかなかできなかったのは、それが理由の1つだった。それでも日本選手権では、試合用の動きも少しだけできるようになった。「秦と一緒に考えて前に進んでいます。動きをこうしよう、速くしよう、と1本1本確認して、(選手の感覚と指導者の目を)すり合わせながら跳んでいます。(変更した助走と踏み切りが)もう少しで合いそうです。合えばオリンピックにもしっかりチャレンジできます」日本選手権の6m56という結果に秦は不安も感じていたが、坂井コーチは「予定通りです」と手応えを持っている。

変化を怖れない秦のメンタル

秦自身は、かかとの痛み発症後のスパイクや助走スピード、感覚が変わってきたことへの対応を、どのように感じながら行っているのだろうか。「踏み切り準備を4歩から2歩にしたのは、その前の助走は動きが大きくなりすぎて、踏み切り準備で(ストライドを狭めて走る)さばきができないことが起こっていたからです。スパイクが変わって感覚が若干違ってきて、その感覚に合わせるため、最後の最後まで(スピードを落として踏み切りに備えるより)走り込むイメージでやった方が上手く行くと思いました」
 
そのために練習内容など、取り組み自体を大きく変えたわけではない。「普段の練習から最後の2歩までは走りきる、最後の2歩でさばくところを意識しています。イメージを変えて対応しました」秦自身は劇的な変更をしているつもりはないが、坂井コーチが言っているように、客観的に見れば大きな変更をしている。痛みの影響があったからではあるが、五輪イヤーにそこまで大きな変更にチャレンジできるのは、秦のメンタリティーだからこそ。
 
大学時代の秦は、走高跳で日本のトップレベルだった選手。学生の間にも走幅跳に出場していたが、卒業後に世界を狙うために走幅跳に種目を変えた。「私は何かを変えることへの抵抗がほとんどありません。スパイクもですし、走り方やリズムの取り方もです。合わなかったらやめようで済む話ですから、まずはやってみる。変えた先にまだ何かがあるんじゃないか、とポジティブに考えるタイプです」
 
日本選手権の試合直後は「大丈夫かな」と感じる部分もあった。「7mと言えるところまで来ていない」と感じてしまったが、前述のように木南記念では6m72と、セカンド記録と同レベルまで達している。五輪代表選手に不安がつきまとうのは仕方がないこと。秦も「不安になっている時間はないので、これからできることをしっかりやっていきます」と本来のポジティブ思考に切り替えた。
 
客観的に見ても、痛みへの対処から派生したことだが、速い助走スピードが生かされれば記録が伸びる。残り1か月のトレーニング次第で、秦のパリ五輪は7mジャンプが期待できる。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)
 

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