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自動音声が「女性声」なのはなぜか~隠れたジェンダー意識が社会を支える訳~【調査情報デジタル】

TBS NEWS DIG Powered by JNN / 2024年7月13日 7時30分

TBS NEWS DIG

AIアシスト、家電、エレベーター、駅のホーム。われわれの身の回りには多くの自動案内音声が存在する。そして、その多くは女性の声だ。なぜそうなっているのか。その背景には何が潜んでいるのか。立命館大学産業社会学部・坂田謙司教授による論考。

われわれの日常にある音と声の存在

われわれの日常は、音や声で溢れている。能動的に聴く音や声もあれば、否応なしに聴こえてくる音や声もある。

NHK放送文化研究所が5年に1度行っている「国民生活時間調査2020年」によれば日本人全体の平均睡眠時間は7時間12分で、残りの約17時間は屋内外で何らかの活動をしていることになる(1)。

われわれの耳は、構造上外部からの音を遮断することはできない。言い換えれば、まぶたのような器官を持たない耳を、自らの意思で塞ぐことができないのだ。ヘッドフォンなどにあるノイズキャンセリング機能は、ヘッドフォン以外の外部の音をシャットアウトしてくれるが、ヘッドフォンからの音は聴こえ続けている。そして、われわれは音や声が存在することに慣れてしまい、かえって静寂を恐れてしまっている。

その恐れが現実になったのが、2020年から始まった新型コロナウイルス感染症拡大に伴う外出自粛であり、音と声が単なる空気の振動ではなく、われわの生活を構築し、社会やコミュニケーションと深く関わっていたことを改めて知らしめてくれたのだった。

このような音と声、そして社会との関係を改めて考えてみたとき、1つの大きな音に関する疑問がわいてくる。それは、自動音声の声だ。

日常のなかで多くの自動音声を聴く機会があるが、そのほとんどが「女性声」であることに気がついている人はほとんどいない。いや、むしろ「女性声」であることに対して、安心感を持っている人の方が多いかもしれない。自動音声が「女性声」である必然性はないはずなのだが、「女性声」であることに違和感を感じない。

ジェンダー・フリーの社会が徐々に拡がっているにも関わらず、自動音声が「女性声」というジェンダーを纏い続けているのはなぜだろうか。本稿では、この問題について、社会史的な観点から考えてみたい。

お世話を焼いてくれる「女性声」の自動音声

大学の講義がある時や30分以上移動する際には、音楽やPodcastを聴くことが多い。ワイヤレスイヤホンをケースから出し、耳に装着すると女性の声で「接続しました」あるいは「Connected」と知らせてくれる。カバンにしまってあるスマートフォンとBluetoothで自動的につながったことを知らせる声だ。ワイヤレスイヤホンを購入した後、最初に接続設定を行えば、あとは自動的に接続してくれる。便利なものだ。

授業の合間にキャンパス内のATMで現金を引き出そうと機械の前に立つと、自動的に「いらっしゃいませ」と挨拶してくれる。もちろん、そこには自分以外の誰もいない。無事に現金を引き出すと「ありがとうございました」とまた挨拶してくれる。無機質な機械の操作が、この声のおかげで少しだけ人間の存在を感じさせてくれる。実際には人間の声ではなく、機械が話している擬似的な「声」にもかかわらずだ。

このような機械が話す「声」は、今やわれわれの社会生活の至る所で耳にする。一部コンビニやスーパーにある自動精算機、エスカレーターやエレベーター、動く歩道、駅のホーム、電車やバスの車内、カーナビゲーション、SiriやアレクサのようなAIアシスト、視覚障がい者向けのトイレ案内、お風呂があと何分くらいで入れるのかを知らせてくれる音声などなど、至るところに機械の声はある。だが、われわれはその声に注意を払うことは殆どないと言っていいだろう。

なぜなら、これらの声は自分たちの身の安全を守ってくれたり、生活を便利にするための「お世話」を焼いてくれる声だからだ。毎日毎日お世話を焼いてくれる存在は、やがて普段耳にしている日常化された音のなかに埋め込まれ、特別な注意を払うことはなくなっていく。

ヤカンでお湯を沸かすと「ピー」という音で知らせてくれるし、トースターでパンが焼けたことや電子レンジで温めが終わったことを知らせてくれる「チン」という音と何も変わらないからだ。

しかし、ただ一つ違うとすれば、機械が話す「お世話声」には性別があるという点だろう。その性別はもちろん肉体的なものではなく、意識や認識上での性別、すなわち「ジェンダー・ヴォイス」なのだ。

これらの声は、かつては生身の人間が行っていた仕事や作業が自動化された際に作られたと考えるのが妥当だろう。典型的なのは、エレベーターの運転係とバスの車掌で、どちらも大正末から昭和初期にかけて社会に登場した職業だ。そして、どちらも自動音声による「お世話声」が使われているだけでなく、その声は自動化する前にその仕事を担っていたジェンダーを引き継ぐ形で女性の声が使われているのだ。

単純に考えれば、自動音声化される際にその「声」を代替させる必要があるが、利用者が違和感を抱かないために女性の声にするのが順当だろう。しかし、筆者はそこに社会のジェンダー意識も働いていたと考えている。つまり、男性の声にすることも可能であったにもかかわらず、あえて女性の声を選んだと考えられるのだ。しかも、先述のような女性が担っていた「お世話」というジェンダー・バイアスが、深く関わっていたのである。

女性と「お世話」という仕事

日本社会において、一部の例外を除いて女性の存在は長らく補助的な役割を強いられてきた。それが大きく転換したのが、1874(明治7)年に東京女子師範学校が設立されて女子教育が制度化されて以降である。それまで教育の埒外に置かれていた一般女子たちに教育の機会が開かれ、その結果一定の教育を受けた働き手としての女性が誕生した。いわゆる、「職業婦人」の誕生である。

職種としては、電話交換手、タイピスト、百貨店店員、女給などであったが、全体に通底するのは補助的な役割、つまり「お世話」だったのである。1885(明治18)年に師範学校の女子部が設立され、より高度な教育を受けられる環境が整ったが、男性を中心とした社会構造は容易には変わらず、就ける職業の幅は拡がっても仕事内容は限定的であった。

そんな職業婦人のなかでも、百貨店の店員は人気であった。百貨店の前身は、呉服屋である。呉服屋の販売方法は「座売り」と呼ばれ、客が店を訪れるのを座って待機していて、男性販売員である「手代(てだい)」が接客をする形式であった。手代の上司は「番頭(ばんとう)」であり、部下として「丁稚(でっち)」がいて、どちらも男性の仕事だった。店主の妻である「お上さん」以外の女性は店頭を含む表にはおらず、店の奥で家の仕事を手伝っていた。

この座売りの販売形式を現在のような商品を陳列する形式に変えたのが百貨店であり、1904(明治37)年に三越呉服店が「デパートメント宣言」を行い、近代的な百貨店の嚆矢となった。

その際に女性店員が雇用されたが、女性店員が行った「丁寧な応対」や女性客に対する「会話」が好評を得た(2)。その結果、専門的な知識を必要とする売場では男性店員が接客し、それ以外の売場では女性店員が次第に増えた。現在のような百貨店店員=女性のようなイメージができあがった。言い換えれば、百貨店という近代的な商業形式への女性の進出は、女性に求められていた「補助的」で「お世話」をすることが前提となっていたのである。

当時の百貨店には、エレベーターやエスカレーターなどの近代的な設備が整っていた。日本で最初にエレベーターを設置したのは1890(明治23)年浅草の凌雲閣であったが、百貨店では1925(大正14)年に神戸市にあった「小橋屋呉服店」が最初である。

当時は「昇降機」と呼ばれていたが、初期の設備は操作が複雑で、男性の運転係が乗務していた。1929(昭和4)年になると上野の松坂屋百貨店が初の女性運転係である「昇降機ガール」を採用した。後に「エレベーター・ガール」と呼ばれてテレビドラマにも登場するこの職業だが、最近は自動運転になってある年齢以上の人でないとエレベーター・ガールを観た記憶はないと思う。

基本的にはドアの安全な開閉と客の要望に応じた停止階の設定。そして、各階の売り場案内が仕事内容であった。そして、その声だけがエレベーター・ガールという身体から切り離されて、現在のエレベーター自動音声として採用されているのだ。

バスの自動音声は、どうだろうか。日本に乗合型のバスが移動手段として登場したのは、京都市で1903(明治36)年のことだった。現在の箱形車両とは異なり、蒸気機関で走る幌が付いた8人乗りの車だった。

初期のバスは故障が多くて本格的に普及し始めたのは、大正期に入ってからであり、最初に普及し始めるのは需要の多い都市部からだ。1923(大正12)年の関東大震災は東京を中心とした路面電車の軌道を破壊し、急遽代替手段として800台余のバスが導入された。バス事業を営む事業者が複数設立され、乗客に選ばれるために揃いの制服を着た女性車掌たちを採用し、女性車掌を使った宣伝合戦も激しくなった。

例えば、最初の女性車掌は1920(大正9)年に東京市街自動車会社(後の東京乗合自動車)が採用した女性車掌であり、制服は黒のツーピースに白い襟であった。1924(大正13)年には東京市電気局が市営バスの女性車掌を採用し、紺色のワンピースに赤色の襟が付いた制服を採用した。このような制服による話題性はともかく、女性車掌たちに求められたのは乗客への切符販売、停留所の案内、乗客の乗降手助け、運転手の補助など、あくまでも補助的な役割であった。もちろん車内での会話や案内は肉声で行われていた。

敗戦を挟んでバスと車掌による輸送はますます需要を増していったが、1960年代に入ると高度成長に伴う全国的な人手不足と女子の進学率が高まったことによる、中学校卒女子が主な就職先であったバスの車掌離れなどによってバスの車掌は廃止され、ワンマン化した際に自動音声案内が誕生した。

そして、ここでもエレベーターの自動音声と同じように、それまで女性が行っていた声による案内は身体から切り離され、録音した声だけが車内に響くようになったのである。

百貨店のエレベーター・ガールやバス車掌以外にも、戦争による男性の徴兵で人員不足に陥り、それまで男性が担っていたさまざまな仕事を女性が担うことになった。しかし、これは前記のような女性に対する社会的な規範を背景とした仕事とは異なり、あくまでも男性の代役でしかなかった。敗戦後の社会に男性が復帰し始めた後は代役の必要性はなくなり、元の補助的な仕事へと女性も復帰していったのである。

自動音声とAIアシスト音声

さて、このような自動音声と女性声の関係は歴史的な背景を持っていたわけだが、現在の自動音声で身近な存在は、冒頭で紹介した場面に加えてAIアシストだろう。

AppleのSiriやGoogleのアレクサはAIアシストの代表であり、利用者の指示や問いかけに自動音声が答えてくれる。AI化が進む現代社会において、自動音声は不可欠と言っても過言ではない。

そして、その声のほぼ全てが女性声なのだ。ジェンダー・フリー、ジェンダー・ニュートラルな意識が社会のなかに少しずつではあるが浸透しつつある現代社会において、なぜ自動音声の声だけは女性声であり、なぜその点には誰も疑問を持たないのだろうか?

一つには、先述のように元々女性が担っていた仕事が機械化、自動化される際に案内用の音声が必要となり、そもそも女性が担っていたのだから女性の声を使うという無意識の流れだ。この流れは、ある意味で自然な流れであり、姿の消えた女性の身体を、切り離された声で違和感なく受け入れてもらう方法だったと考えられる。

例えば、エレベーター・ガールがある日突然エレベーター・ボーイに変わったとしたら、どうだろうか?最初は違和感を持つが、それが日常化されるにつれて人びとは違和感を持たなくなる。しかし、不評は存在する。例えば、丁寧さがない、威圧感がある、仕事内容に合わないなどだ。そして、新聞やワイドショーのネタとして取り上げられ、ジェンダー問題として形作られていく。

その一方で、男性声が使われている自動音声もある。例えば、近鉄電車の車内自動音声は男性声だ。また、JR北海道の自動音声も一部男性声になっている。近鉄電車に乗った際には最初違和感があったが、次第に慣れてしまった。

あと、駅のプラットフォーム自動音声は男女の混合だ。これは、視覚障がい者向けに、声の性別によって区別ができるように配慮されているからだ。つまり、声の性別は、われわれにとって極めて認識しやすい音声情報なのである。であるならば、なおのこと使われている自動音声にジェンダーの偏りがあるのは、何らかの事情や理由があるはずだ。

カーナビやAIアシストは、まさに「アシスト(補助)」という役割を担っている。どちらも音声を男性声に切り替えることはできるが、わざわざ切り替える人は少ないであろう。なぜなら、デフォルトが女性声であることに違和感も問題も感じないからだ。

2019年に国連の教育科学文化機関「UNESCO」が、AIアシストの音声において女性声がデフォルトに設定されていることに対して、ジェンダーの偏りを助長するという報告書をまとめた。

この報告書の中で、AIアシストの初期設定声が女性声であることで「女性は愛想良く従順で、いつでも人を助けて喜ばせたいと思っており、ボタン一つ、あるいは音声で命令するだけで利用できるという概念を固定させるだけでなく、不当な扱いでも我慢するという偏見を助長させる」と指摘している(3)。

つまり、AIアシストが女性声であることで、現実世界の女性に対するジェンダー的な役割が固定され、指示に逆らうことなく従順に従い、しかもそのことに喜びを感じているような意識も利用者に持たせる危険性があるということだ。

そして、もっとも重要視しているのが、AIアシストの開発者たちが無意識に、無自覚に女性声をアシスト音声として初期設定にしてしまっていること自体なのだ。つまり、アシストという役割は、女性を前提に認識されている結果なのである。

19世紀末から始まった電気的機器とジェンダーの関係

このように、本来一体であるはずの声と身体は、自動化という身体を排除する作業を契機に、声だけが切り離されるようになった。しかし、自動化以前から声と身体は切り離された存在として、社会のなかに存在していたのだ。

生身の声が身体から切り離されて独立した存在となったのは、1876年にアレクサンダー・グラハム・ベルが発明した電話からである。電話が発明されるまでは声と身体は必ず一対で存在していたが、電話は声と身体を切り離し、声だけを遠隔地に届ける技術として社会に示された。

しかし、当時の人びとは声と身体が切り離されることをうまく理解できず、声だけで会話する道具としての電話とは異なる使い方をしていた。初期の電話は、劇場から離れた場所でオペラや歌劇を楽しむ「音の娯楽装置」として、あるいは利用者の自宅に声で情報を届ける「声の情報装置」として使われていた。

劇場の生中継は、ホテルのロビーに置かれた受話装置にコインを入れ、一定時間中継音声が聞けるという仕組みだった。また、情報装置としての電話は、現在のラジオのようなタイムスケジュールを持ち、朝8時から夜10時半までさまざまな声と音の情報や娯楽を提供した。スケジュールも時間帯によって変わるユーザー・オリエンテッドに編成され、一ヵ所の電話局から多数の利用者へ情報を伝える、一種のマス・メディア的な有線ラジオとして存在していたのだ。

やがて、声の双方向コミュニケーション装置としての電話利用が広まっていくと、身体から切り離された声は浮遊し、声だけが意識を持つようになる。意識を持った声は切り離された身体が属する社会との関係性からは離れられずに、見えない社会階層やジェンダー規範との結びつきが維持された。

例えば、電話の初期利用者であった男性ブルジョアジーと中産階級出身の女性交換手は、それぞれの身体が属する社会階層のジェンダー規範を、声だけのコミュニケーションにそのまま置き換えた。初期の電話交換手は10代の労働者階級の少年たちだったが、上流階級の電話利用者たちが求めた従順で補助的な役割にうまく応えることができなかった。

その大きな理由としては、声だけのコミュニケーションが服装や儀礼と言った視覚的階級差、並びに言葉遣いという一種のハビトゥスを排除してしまったからだ。社会のなかでは対面でのコミュニケーションが希有であった階級差を、声はいとも簡単に埋めてしまったのだ。その結果、男性交換手は女性交換手へと転換してゆくことになった。

女性交換手は、電話回線を接続するという本来の交換手の仕事ではなく、男性利用者の補助や手伝いをする「女性」交換手という存在として認知された。同時に、女性交換手たちもそのことに従順に従っていたのは、彼女たちが属していた中産階級が、19世紀末のビクトリア朝的社会規範である「女性は家庭において子育てや家事全般を行う補助的な存在」のなかで生きていたからである。そのため、女性交換手たちの声は身体から切り離されてもなお、男性の補助という役割を担い続けていたのである。

一方、1890年(明治23)年に東京―横浜間で日本最初の電話サービスが始まった当初は男性交換手と若干の女性交換手が働いていたが、日本における女性の補助的な役割というジェンダー規範のなかで、次第に女性へと置き換わった。電話利用者の大半を占める男性利用者たちは、女性交換手の「女性」としての身体と同様に、身体から切り離された「声」にも新たな関心をもった。「声のルッキズム」の誕生である。

身体の見えない声は直接耳という聴覚器官に刺激として注入され、鼓膜と感情を震わせる。声は、女性という身体とは別の性的な感情を引き起こす。同時に、その声は社会における女性という役割も纏ったまま、身体と引き離されて浮遊しつづけたのだ。

先述の「職業婦人」が社会に登場し、女性たちの声が身体と共にさまざまな職業場面で社会に現れるようになった。それまで家庭の奥に閉ざされていた女性の声は社会の表に移動したが、女性への眼差しやジェンダー規範は依然として家の奥に置き去りにされたままであったのだ。

なぜ自動音声は女性声なのか、そしてどこへ向かうのか

このように女性の声は社会のなかにあたかも「存在しない」状態として認識されていたが、明治維新以降の教育機会の誕生とそれに伴う職業婦人の登場によって「存在する」ものとして立ち現れた。

その声は電話交換手以外は身体と共に存在したが、逆に電話交換手の登場によって女性の声と身体は切り離され、声のみへのルッキズム的な興味関心が芽生えた。1925年のラジオ放送と女性アナウンサーの登場も、それを拡大し強化していった。しかし、戦争の激化によって女性の声への関心はいったん戦争の背景に隠され、敗戦と共に訪れた新しい社会のなかに再び現れた。

敗戦を経て女性たちが働く場所も拡大し、発する声も大きくなったが、社会のジェンダー規範は以前と大きくは変わっていなかった。高度経済成長に合わせて多くの働き手が必要となり、中学校を卒業したばかりの若者たちが地方から都会の労働力として集団で就職してきた。バス車掌や観光バスガイドもその一つで、多くの若い女性たちが憧れる仕事であった。電話は職場から家庭へと徐々に普及を進め、国家資格となった電話交換手は女性たちの人気の職業であった。

観光バスガイドは、運転手の補助的な役割を担うだけでなく、声で観光客を案内してもてなす職業である。その声は身体と共に存在するが、観光客は目の前にあるバスガイドの身体から声を切り離し、声にのみ注目する。バスガイドに指示された方向を向き、バスガイドが唄う歌に拍手を送る。

観光バスガイドと女性声の関係は、1928(昭和3)年大分県別府市の「亀の井バス」創業者油屋熊八(あぶらや くまはち)が、揃いの制服を着た10代の少女を地獄巡り観光バスにガイドとして乗車させたところから始まっている。彼女たちの観光案内は七五調で行われ、当時の観光客たちは観光地と共に少女たちの可憐な声に魅了された。

その後観光バスガイドは全国の観光地へと拡がり、1935年にはラジオの生中継番組「名所巡り」にも東京の観光バスガイドが「ガイドガール」の名で登場した。彼女たちは新しい女性の職業として注目されたが、そのジェンダー的役割は社会が期待する女性の役割に固定されたままであった。そして、現在において男性のツアーガイドも存在はするが、観光バスガイドは基本的に声の職業であり、女性が担うべき補助的な職業なのである。

そして、どこへ向かうのか

自動音声の女性の声と社会のジェンダー規範は強く結びついているにも関わらず、その他のジェンダー格差や固定的役割のように問題視されない。それはなぜだろうか。そして、この先どこへ向かっていくのであろうか。

自動音声が女性の声であることが意識されない理由は、あまりにも多くの声が発せられているという面もあるが、先述のように「お世話」を女性が行うことを無意識のうちに内包してしまっているからである。その内包が男女に関わらず社会全般で行われている点から考えると、日本的な家族観や家庭内でのジェンダー役割に起因していると考えられる。

つまり、子どもに対する「母親的なお世話の声」として、われわれは自動音声の声を聴いているのだ。例えば、「エスカレーターは歩いちゃダメよ」「ドアから離れてのりなさい」「切符はとった?」「どの支払い方法にするの?」など、日常でも聞こるような子どものお世話声と同じなのだ。もちろん、女性の親だけとは限らないが、日本人が共通してイメージする「母親象」と一致すると考えられる。日本社会は母親的なお世話の声に包まれていることで、安心感を感じていると言えるのだ。

あるいは、ジェンダー・フリーが拡がっているなかで、声だけは男女の区別が求められているとも言える。「WEIRD」ウェブサイトに2019年5月28日掲載された「ジェンダーレスなデジタル音声『Q』は、社会を変える可能性を秘めている」によれば、AIアシストで使われている声とジェンダーのステレオタイプに対して、テクノロジーによって作り出した性別中間的な声で変革を行おうとしている(4)。

ジェンダーレスなデジタル音声「Q」は、社会を変える可能性を秘めている。われわれが男女の声を聴き分けているのは、周波数の違いである。一般的な女性の基本周波数は225ヘルツ程度、男性の場合は120ヘルツ程度と言われている。つまり、この中間の周波数を持つ声を作れば性別の区別がない声ができることになる。

記事によれば145ヘルツから175ヘルツの間が、性別をわけるポイントのようだ。最新のテクノロジーを使えば簡単に作れるように思われるが、実際にはそれほど単純な問題ではないようだ。人間の脳は周波数の違いを認識し、無意識に修正を加えてしまうのだ。

例えば、自分の声を録音して周波数を変更できるアプリを使って、中間的な声を作ったとする。できあがった声は、実に奇妙な声に聞こえるはずだ。性別の差というよりも、人間の声としての違和感が先に立つ。

「Q」プロジェクトは、「自らを男性、女性、トランスジェンダー、ノンバイナリーと識別している20人以上の声を録音する」ところから始まった。その声のデータを元にして最終的に4種類の声が作られ、そのなかでもっともジェンダー・ニュートラル(中性的)に聞こえる声が「Q」となった。実際に「Q」の声を学生に聴かせると、性別の認識がほぼ半々になった。つまり、どちらにも聞こえるし、どちらにも聞こえないのだ。

このようなジェンダー・ニュートラルな声は、手間と技術を使えば作ることは可能だ。だが、問題はそこにはない。もっとも重要な課題は、われわれが自動音声の声を無意識にジェンダー化してしまっており、社会のなかで自明視されている点にある。

社会に存在する自動音声を先の「Q」に置き換えたとしよう。果たして、われわれはそれを自然に受け止めるだろうか?筆者は懐疑的に感じている。なぜなら、繰り返すが自動音声と社会におけるジェンダー役割が一致しているからであり、「声」という身体性を伴わない情報はジェンダー規範との重なりが「見えない」からである。

つまり、われわれは自動音声の声に母親的なお手伝い、女性職業としての案内や補助的な役割を内包し、他の背景音と同じレベルで認知しているのである。したがって、「Q」や男性声に変わった瞬間に自動音声は、日常に隠されたジェンダー関係が表面化し、にわかに混乱を招くことになるのだ。言い換えれば、長い年月で培われた声のジェンダー・バランスは、強くわれわれ自身のなかにすり込まれ、容易には入れ替われないのである。

今後ますますAIアシストが社会に広まって行くに従って、ジェンダー化された声も拡がっていく。その声に内包されたジェンダー問題に対して、われわれがどのように向き合って行くのかが、今問われ始めている。

注記
(1)NHK放送文化研究所「国民生活時間調査2020年」
(2)※江口潔「戦前期の百貨店における技能観の変容過程 ──三越における女子販売員の対人技能に着目して──」『教育社会学研究第92集』2013
(3)※オリジナルの報告書は現在リンクが切れているが、「Explore the Gendering of AI Voice Assistants」でUNESCOサイトを検索すると概要を観ることができる。また、渡辺珠子「AI技術におけるジェンダー平等」『日本総研』2020でも言及されている。
(4)※2019.05.28 「WEIRD」「ジェンダーレスなデジタル音声『Q』は、社会を変える可能性を秘めている」

<執筆者略歴>
坂田 謙司(さかた・けんじ)
立命館大学産業社会学部 現代社会学科教授。研究テーマはメディア社会史、音声メディア論など。
1959年東京生まれ。中京大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。
著書に「『音』と『声』の社会史:見えない音と社会のつながりを観る」(法律文化社・2024)、「『声』の有線メディア史:共同聴取から有線放送電話を巡る<メディアの生涯>」(世界思想社・2005)など。

【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版(TBSメディア総研が発行)で、テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。2024年6月、原則土曜日公開・配信のウィークリーマガジンにリニューアル。

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