“故郷を護るため”ゲリラ戦を強いられた沖縄の少年たち 戦後PTSDになり…閉じ込められた2畳の座敷牢【報道特集】
TBS NEWS DIG Powered by JNN / 2024年8月10日 21時1分
「当たり前のことだから」少女が憧れた軍隊での生活は…
福岡県・久留米市に住む、綾戸麗子さん、96歳。
終戦間際の1945年6月、地元のゴム工場で地下足袋づくりに従事していた。
当時17歳だった綾戸麗子さんは、兵力不足を補うために結成された「女子防空通信隊」に応募した。欧米風の制服を颯爽と着こなすその姿に、憧れていたという。
元女子防空通信隊員 綾戸麗子さん(96)
「(入隊が決まると)親子ともに飛び上がって喜んで。特に喜んだのは母親」
「あの頃は軍人は最高レベルの生活をしている人たちの集まりだった」
厳しい試験を突破し、招集されたのは地元の軍司令部…
だが待ち受けていたのは3交代制の過酷な勤務だった。
元女子防空通信隊員 綾戸麗子さん(96)
「夜中だろうがなんだろうが電話が鳴ったら取って…『空襲警報発令』『現在(敵機が)足摺岬、北上中』って、それから久留米市内にウーっとサイレンが鳴った」
担当したのは、福岡の司令部から受けた空襲警報などを、各方面の施設に知らせる任務。通報内容を少しでも間違えると、容赦なく、ビンタの制裁が待っていたという。
昼夜を問わず極度の緊張状態を強いられ、疲労困憊の日々だったが、日本の勝利を信じ、任務に邁進した。
ーー当時、自分は戦争に加担しているというような感覚は?
綾戸麗子さん「全然ない」
ーー自覚はなかった?
綾戸麗子さん「そんな考え方は全然ない。当たり前のことだから」
軍国少女だった綾戸さん。昭和20年の敗戦直後に感じた戸惑いを、こう綴っている。
当時の綾戸麗子さん「久留米空襲を語り継ぐ会」の冊子より
「職員室には民主主義を教える先生が赴任し、 教室では『デモクラシー』を連発し、英語のわからない私たちを戸惑わせた」
「昭和20年の前半は軍国主義、後半は民主主義の教育を受けた私たちは、いったいどんな人間になるのだろうと不安を抱いた頃もあった」
ーー戦後に女子通信隊の話は?
綾戸麗子さん「滅多にしない。やっぱり戦争に加担したという後ろめたさがあった」
「自分も戦場に行く男の子と同じように対等な立場になりたい」
20年近く女子通信隊の調査を続けている西田秀子さん(73)。
これまで、70人近い元隊員に聞き取りやアンケート調査を行ってきた。
「『愛国心のみの生活に何の矛盾も感じず 過ごしたと思います』ということですね」
彼女たちの多くが「自ら入隊を希望し、自身の任務を誇りに感じていた」と記している。当時、女性は『軍人』にはなれなかったものの、綾戸さんたちは軍隊に関わる道を選んだ。
地域史研究家 西田秀子さん(73)
「日本の女性たちには、良妻賢母であくまでも結婚して、将来兵士になる男の子をたくさん産んで、というスローガンの運動がありました」
「軍隊に入れるのは、限られた女性たち。つまり選ばれたエリート女性しか入れない。自分も戦場に行く男の子と同じように対等な立場になりたい。それには軍に入るのが一番だと思うわけです」
故郷を護るために…ゲリラ戦を強いられた 少年たち
80年前、ふるさとを護るために結成された少年部隊がある。
「護郷隊(ごきょうたい)」だ。
激しい地上戦で兵力が不足する沖縄。国は、兵士に代わって10代の少年たちを召集した。その数、約1000人。 与えられた任務は、敵に気づかれず、奇襲攻撃を繰り返すゲリラ戦。本土決戦を遅らせることが最大の目的だった。
沖縄県中部の山岳地帯に、今も護郷隊が活動していた痕跡が残されている。地元の研究者に案内してもらった。
恩納村史編さん係 瀬戸隆博さん
「こちらがいわゆる蛸壺壕、兵が身を隠していた場所ですね」
少年たちが潜んで戦ったとみられる蛸壺壕。この山中では40か所ほど確認されている。
瀬戸隆博さん
「できるだけ敵を1人でも殺して、アメリカ軍を1日でも長くここに引きつける」
「まさに時間稼ぎのために「捨て石」と言っていいのかもしれない、そういう意味では」
存命する元少年兵を訪ねた。
17歳で入隊した宮城清助さん、96歳。
わずか3週間の訓練で実戦に投入された宮城さんは、アメリカ軍の侵攻を食い止めるために橋を壊したり、敵が寝静まったのを見計らって夜襲をかけたりしたという。
元護郷隊員 宮城清助さん(96)
「昼は隠れて行動しないで、夜になると(行動する)。掃討戦の中に入ってしまっているから。生きて帰れるかなと不安はありました」
宮城さんには今も忘れられない記憶がある。
移動中に手榴弾が暴発して死んだ仲間の姿だ。
宮城清助さん(96)
「はらわたをえぐり取られて、アンマ、アンマ(お母さん)と断末魔の」
「15分ぐらいは生きてますよ。ここで死んで」
敵の攻撃から逃れるため、死んだ仲間は置き去りに。それでも可哀想という気持ちは湧かなかったという。
宮城清助さん(96)
「教育のおかげで、軍隊に憧れていく、これがその時の思想です」
「16、7歳で、そういったことに疑いを持つということはないです」
負傷して歩けなくなった兄 本当の最期は…
ゲリラ戦で命を落とした少年は160人。 中には負傷して戦えないという理由で、上官に殺された少年兵もいたという。
16歳で入隊し、亡くなった高江洲義英さん。
弟・義一さんが、兄の本当の最期を知ったのは、終戦から70年経ってからのことだった。
洲義英さんの弟 義一さん(86)
「仲泊さん(同僚の少年兵)の証言によってでした。銃殺されるのを見たと」
負傷して歩けなくなった義英さんは、軍医によって銃殺されたという。
間近で見たという元少年兵の仲泊栄吉さんは、役所が行った聞き取りでこう答えている。
仲泊栄吉さんの証言
「拳銃でやられた。(野戦)病院のはしの方。毛布かぶしてね。一発やってから、当たらないわけ。そのあと、もう一発やってね。何も言わなかったですよ、軍医は」
ーー本当だったら、けが人を治さなきゃいけない軍医が人を殺したことについてはどう思いますか?
義一さん
「『捕虜になるな』ということ、捕虜になってばれてしまうということでしょ」
「人間の尊厳・生きる幸せが保障されていなかった」
心の傷は癒えず…PTSDで苦しむ元少年兵
1945年6月、沖縄では組織的な戦闘が終わり、大人たちは武器を置いた。
だがそのあとも少年たちはゲリラ戦を続けた。
戦後、その過酷な経験からPTSDで苦しんだ元少年兵もいる。
16歳で入隊した瑞慶山良光さん95歳。
元護郷隊員 瑞慶山良光さん(95)
「迫撃砲で吹っ飛ばされる。手も足も頭もバラバラ、(木に)引っかかる。これが生きた人間、僕たちが見てる」
凄惨な光景を目の当たりにするうちに、人としての心が無くなっていったという瑞慶山さん。
戦争が終わった後も、村を荒らし回るなど、まともな精神状態ではなかったという。
瑞慶山良光さん
「国道、海岸通りを駆け足したり、海に飛び込んだり。戦争状態になっている、心はね」
「自分一人だけの戦争状態になってる」
そんな姿を見かねた親戚たちは、自宅の横に座敷牢を作り、その中に瑞慶山さんを閉じ込めたという。
瑞慶山良光さん
「この辺ですね。1間 畳2枚分の座敷牢」
「ただ軍国主義の教育だけやってるから頭がおかしくなって、一生涯こういう頭になるんじゃないかなと思って」
その後、入院し治療を続けたが、幼くして受けた心の傷は未だに癒えることはない。
2024年6月、沖縄戦の戦没者を追悼する「慰霊の日」
護郷隊の慰霊碑がある小さな公園には、朝から地域の子供たちと保護者が集まり、
清掃活動を行った。
ここを訪れる人が年々少なくなる中、慰霊碑に向かって手を合わせる瑞慶山さんの姿があった。
瑞慶山良光さん
「14、5歳の子供たちを戦争に飛び込ませる。物と同じように考えていた。人間を物資と同じと考えていた。人の命を粗末にするようなことはあっていけない」
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