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高知の廃校で見つかった超一級資料 95年分の「学校日誌」戦時中は多くの“墨塗り”…山梨では「頭部粉砕」子どもたちの犠牲の記録も【news23】

TBS NEWS DIG Powered by JNN / 2024年8月15日 14時45分

TBS NEWS DIG

コウモリの棲み処となった高知県の廃校で、明治から昭和まで95年分の「学校日誌」が見つかりました。燃やされたり、破棄されるケースも多いという戦時下の日誌。学校が戦争に巻き込まれるようすや、子どもたちの犠牲も記されていました。

「絶対に残していかなければいけない」廃校で見つかった“超一級資料”

高知県土佐清水市。海と山、自然豊かな集落にその廃校はあります。

明治8年に創立された旧大津小学校。戦後に建て替えられた校舎が今も残されています。1993年に休校となり、その後再開されることはありませんでした。

約30年間、時が止まっていたこの廃校で、ある貴重な資料が見つかりました。

土佐清水市 教育委員会 田村公利さん


「この校長室が主なところで、明治からの学校日誌等が丸々残っていましたので、びっくりしました」

4年前に校長室などから見つかったのは「学校日誌」。明治から昭和にかけての95年分が眠っていました。

田村公利さん
「超一級の地域の資料。手が震えるというか重みを感じながら。『これはもう絶対に残していかなければいけない』という思いで」

日誌を含む4000点以上の学校資料が廃校から救出され、現在は休校中の別の小学校に保管されています。教師たちが毎日書いていた日誌。その日の天気や児童数などに加え、学校の日常が記されていました。

戦時下の「学校日誌」に書かれた黒塗りしても消せない歴史

23ジャーナリスト 須賀川拓 記者
「明治44年ですね。少し緊張しますが…」

『明治四十四年 五月九日 晴天 児童ヲ引率シテ濱辺ヘ遊ビニイタ』
『明治四十四年 五月十日朝 晴 今日モ一人デ随分多忙デアッタ』

須賀川記者
「先生もワンオペでしんどかったんですね」

『大正六年一一月五日 晴天 朝礼式ニ無作法アリ訓戒ス』

須賀川記者
「校長先生の話を聞かなかったのか、ぺちゃくちゃお喋りをしていたのか。いつの時代も小学生はやることが同じですね」

また、天皇の崩御やスペイン風邪の流行など社会的な出来事も記録されていました。日誌を読み進めていくと、次第に不穏な空気も。

須賀川記者
「少し今ドキッとしましたね、黒塗りがいきなり見えると。戦争の当時の空気感というか」

日中戦争が始まった1937年ごろから墨で黒く塗られた部分が増えていきます。日の丸のイラストも塗りつぶされていました。

須賀川記者
「『徴兵検査』って書いてあるんですよ。黒塗りしても歴史は消せないですからね」

墨塗りされたのは戦争を想起させる言葉たち。

『海軍記念日』(1937年・昭和12年5月27日)
『日独伊三国同盟』(1940年・昭和15年10月11日)
『防空壕堀』(1945年・昭和20年5月3日)

須賀川記者 
「『敵機多数上空旋回』。学校の上を?なるほど…」

「消す必要ない」墨塗りは誰が?

空襲警報などで、終戦間際には学業どころではなかったことがうかがえる日誌。溝渕廣という教師の名前も記されていました。

溝渕清彦さん(81)は終戦当時、2歳でした。旧大津小学校に勤めていた母親の廣さん。その名前が書かれた日誌が見つかったことについて…

田村清彦さん
「すごいことだと思いました。(日誌に)おふくろの名前が残っているのは、知りませんでしたけどね。残したものって本当に大事ですね」

大人になり、自身も教師の道を進んだ清彦さん。廣さんら当時の教師たちが記した日誌が墨塗りされた理由を知りたいと話します。

田村清彦さん
「消したのはおふくろではないと思うんですね。(敵機が)来たことをなんで消さなきゃいけないのか、ということなんです。消す必要がないと思うんです、僕はね。GHQが書いているからといって罰するか、とは思うんだけど。怖かったんじゃないでしょうか、書いていること自体が。上からの指令があったんだろうか」

戦後GHQの統制下で、軍国主義的な教科書の内容が墨で黒く塗られました。一方、学校日誌については今まさに研究が進められているといいます。

学習院大学 斉藤利彦 名誉教授
「敗戦直後に学校日誌を軍国主義教育の証拠を残さない、という意味で燃やしたケースもあるんです。戦災で校舎ごと燃えたり、戦後の統廃合の中で破棄されてしまったり。(学校日誌が)ほとんど残っていない地域もある。見つけるのも大変なんですね」

『頭部ヲ粉砕セラレ即死ス』子どもの犠牲も記録

米軍機に取り付けられたカメラが捉えた空襲の様子。白煙が上がっている校舎に、さらに機銃掃射を浴びせていきます。同様の映像は複数残されていて、学校も標的となっていたことが分かります。

山梨県南アルプス市の大明小学校。約20年前、市内の戦争遺跡を調べる過程で戦時下の学校日誌が見つかりました。

南アルプス市文化財課 田中大輔 課長
「もともとは校長室の金庫の中に保管されていたんですが。子どもたちが空襲に遭って亡くなってしまった記事が書かれています」 

『昭和二十年 七月三十日 晴 午前六時半ヨリ三回二亘リ空襲アリ 爆撃ニ依リ破片ノタメ頭部ヲ粉砕セラレ即死ス』

米軍機が学校の周辺を襲い、3人の子どもたちが亡くなったことが記されていました。そのうちの1人は頭部が粉砕され、即死したといいます。

田中大輔 課長
「少し字が揺れている気もしますよね。先生にとってはショックだったのではないでしょうか。自分の教え子が3人もいっぺんに亡くなってしまう。戦争を体験した方の証言を生で聞くことができない時代になっている。今のうちに(学校日誌の)掘り起こしを行って適切な保存を図っていければとおもいます」

これまで注目されてこなかったという「学校日誌」。高知県の廃校で眠っていたように、新たに日誌が見つかることで戦争の実態が見えてくる可能性もあります。

斉藤利彦 名誉教授
「こんなに大事な資料なのに、見落とされてきてしまった後悔は私にもありますね。中央(政府)の教育政策がどうだったかなど、そういう方向に(研究者は)流れる傾向がありますよね。『そういえば我が校にもあるぞ』と時代に埋もれていた学校日誌がこれからも見つかっていくといいなと」

文字から伝わる“戦争の息遣い” 学校日誌に記されていた戦時下の日常

小川彩佳キャスター:
日々、したためられた日誌から浮かび上がってくるもの、伝わってくるものというのがありますね。

トラウデン直美さん:
大きな戦争の出来事に気を取られがちですが、日常の中にある戦争、日常に襲いかかってくる戦争というものが、一人ひとりの人生の中で出会って欲しくないものがこういった資料から見えてくるというのは、すごく感じるものがありますね。

小川キャスター:
突然戦争が起きるのではなく、じわじわと日常を侵食していくものなのだな、ということも感じられます。黒塗りをしようにも文字が浮かび上がってくる、手書きの記録の力というのも感じますね。

須賀川記者:
当時の戦争の息遣いがこのような文字からでも見えてくるんだ、ということをすごく感じました。紹介したのは「敵機襲来」というような言葉ですが、そのような悲劇的なシーンだけではなく、「校庭で芋を作るために動員された」というように、生活のひとつひとつが浮かび上がってきます。

そして、驚きなのが「79年前の記録」ということです。私たちは約80年前の戦争から色々と学び、国際人道法のようなものが世界の常識になりかけています。しかし結局、今はウクライナやガザ、スーダンのような様々な国で、そのようなものが全くないがしろになってしまっている。

だからこそ、「日本の私たちが何が出来るか」を考えると、私たちは戦争当事国であり、当然被害者でもあり加害者でもありました。その痛みを乗り越え、今このような資料を伝えて、当時の戦争の記憶を物語にして伝えることができる、というのはひとつ私たちの責任でもあり、世界にそのようなことを発信していくべきだと強く思います。

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<プロフィール>

須賀川拓 記者
前JNN中東支局長
ガザ・イスラエル・イラン・シリアなど中東地域を取材

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