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能登半島地震にみる「自覚無きメディアスクラム」~人命にも影響の被災地渋滞を助長か~【調査情報デジタル】

TBS NEWS DIG Powered by JNN / 2024年9月14日 6時0分

TBS NEWS DIG

能登半島地震では、被災地への通行可能なルートで深刻な渋滞が発生した。その影響で救援活動が遅れるなどして失われた人命もあったとみられるが、この渋滞車列の中には取材へ急ぐメディア関係の車両も少なくなかった。地元紙・北國新聞社の宮本南吉記者(編集局主幹)はこの現象を「自覚無きメディアスクラム」と名付け、今後の災害対応に向けて問題提起する。

メディアスクラムの「もう一つの層」

能登半島地震の被災地で起きた現実を通し、「メディアスクラム」の問題を「二つの層」に分けて考えてみたい。

「一つ目の層」は文字通りのメディアスクラム、つまり「集団的加熱取材」の問題だ。これについては、胸に手を当てて考えれば、大なり小なり「罪悪感」を覚えるメディア関係者もいるかもしれない。

一方、この文章で取り上げる「もう一つの層」は、取材している本人が「自分もメディアスクラムに加担している当事者である」と気づきにくい側面がある。「自覚無きメディアスクラム」と呼んでもいい。

筆者が書こうとしているのは、次のような問題だ。

アクセスルートが限られた奥能登の被災地で、メディア関係の車が「被災地渋滞」を助長した側面はなかったか?

この問題は「報道の自由」、さらに言えば、基本的人権の一つである「移動権(交通権)」に関わるデリケートな要素を含み、また、メディア側だけに限定されない広範かつ重大なテーマである。単純な答えの出る話ではないが、能登の教訓を次の災害対応に生かすためにも問題提起していきたい。

「人が閉じ込められています」

地震発生から3日後の1月4日、能登半島先端に位置する北國新聞珠洲支局の谷屋洸陽記者(当時、入社1年目の24歳)が、福井県から駆けつけた消防隊による救助活動を取材しようと、ある集落に足を運んだ。そこで倒壊家屋を目にして衝撃を受けた。1階部分がペシャンコにつぶれた家屋に1枚の紙が貼ってある。そこには、こう記されていた。

「潰れた1階部分に人が1人閉じ込められています」

元日の地震発生から、既に3日近く経過している。その間、被災者が倒壊した家屋の中に、埋もれたままになっている。象徴的な事例の一つであり、同様のケースが奥能登の各地で生じた。

今回の震災では、全国各地の緊急消防援助隊が奥能登を目指したが、生存率を左右するとされる「72時間」以内にたどり着けない隊も多かった。

能登半島の道路があちこちで寸断され、行く手を阻んだからだ。そして、道路寸断に伴い、平時の能登ではあり得ないレベルの渋滞が発生した。

被災地・奥能登の地理的事情とアクセス路の寸断

里山・里海の自然に恵まれ、豊かな伝統文化と生活文化が息づく「日本の原風景」のような土地。それが能登だ。

能登半島は日本海に突き出した長大な半島である。その規模は、石川県外の人が想像するより大きいかもしれない。

県庁所在地である金沢市から、半島先端の珠洲市まで約150キロの距離がある。たとえるなら、石川県庁と珠洲市は、大阪府庁と福井県敦賀市と同じくらい離れている。福井県敦賀市で起きた震災の対応を、滋賀・京都を飛び越え、大阪府庁から指揮している…そんなイメージを抱いても、あながち間違いではないだろう。

今回の地震では、半島最奥部の「奥能登」で特に大きな被害が出た。奥能登は珠洲市・輪島市・能登町・穴水町の2市2町からなり、少子高齢化が進んで人口は計約5万人。奥能登の入り口に位置する穴水町でも金沢から約100キロの距離がある。

さらに奥能登は全体が「低山」ないし「丘陵」で構成されており、海沿いなどのわずかな平地に街や集落が点在している。山あいの道路をずっと走り、峠を越えれば、海と街が現れる。

そのように長大で、険しい地形も多い能登には、半島を縦貫する幹線道路が「3本」ある。「のと里山海道」「外浦側の国道249号」「内浦側の国道249号」だ。(外浦とは能登半島の外側=日本海に面した北西側、内浦とは能登半島の内側=富山湾に面した南東側)

最大震度7を観測した元日の地震では、ただでさえ本数の限られた奥能登へのアクセス路がズタズタに寸断された。特に能登半島の大動脈である「のと里山海道」の28か所で大規模崩落が発生したのは痛恨の極みだった。

「外浦側の国道249号」経由ルートも発災直後、大型車両が安全に通れる状況ではなく、県が公表する奥能登へのアクセス経路図に記載されなかった。

残されたルートで深刻な渋滞 人命にも影響か

その結果、能登半島の道路で何が起きたか。

甚大な被害の発生した奥能登に向かうため、自衛隊や消防、警察、一般車両、そしてメディア関係の車が、残された「内浦側の国道249号」に集中し、能登半島中心部の七尾市から奥能登の入り口である穴水町を結ぶ区間で深刻な渋滞が発生したのである。

穴水から輪島市街地に向かう「県道1号」や、穴水から半島先端部の珠洲市に向かう通称「珠洲道路」でも渋滞が起き、交通が麻痺した。

「道路寸断」と「被災地渋滞」のために命を失った被災者がいる。筆者はそう考えている。
 
能登半島地震の犠牲者は石川県内で337人(9月3日時点)。そのうち、避難生活中の体調悪化などで亡くなった災害関連死が110人に上る。関連死の審査は継続中で、さらに増える見通しだ。

奥能登から金沢まで10時間

現在、北國新聞の珠洲支局長を務める安田哲朗記者(47歳)は能登各地の支局に計12年赴任経験のある能登取材のベテランである。地震発生時は販売局に所属しており、元日に発行した特別号外などを何とか避難所に届けようと、1月2日早朝、金沢から奥能登を目指し、車を走らせた。

安田記者が2日、内浦側の国道249号を北上した際、今回の震災で奥能登アクセスの「ボトルネック」となった七尾市中島地区では既に渋滞が起きていた。その後、安田記者は連日、奥能登の道路を車で走行した。

国道249号、県道1号、珠洲道路ともに路面が至る所で崩れ、自衛隊や消防などの大型車が1台ずつ、恐る恐る通り抜けねばならないような箇所が随所に見られた。奥能登から金沢まで平時なら2~3時間ほどだが、発災後は10時間前後かかるケースが珍しくなかった。

発災後1週間ほどで渋滞は悪化した。乗用車がパンクし、道路脇に放置されたのが一因だ。通行可能な道でも路面に亀裂が入っていたり、アスファルトがささくれ立ったり、液状化現象でマンホールが地面から飛び出したりしており、パンクしやすい状況だった。放置車両のため細い車道がさらに狭くなり、渋滞に拍車をかけた。

各地で水道が止まり、公衆トイレは機能していない。渋滞とトイレの問題は深刻で、道路沿いで用を足す男性の姿が多く見られた。車から女性が慌てた様子で外に出て、雑木林の奥に駆け込む光景もあった。

雪国で厳冬期に起きた震災であり、やがて道路にも雪が積もる。全国から集まった給水車やゴミ収集車が足をとられ、次々とスタックして「渋滞の先頭にいる=渋滞を引き起こした」ケースが見られた。警察や消防の車両は屈強な警察官や消防隊員が大勢乗車しているため、スタックしても比較的早く脱出できたようだ。

全国から駆けつけた支援車両は被災地で大きな力となり、心から感謝を表したい。一方で雪道に不慣れな側面があり、そうした観点からの対策を考える必要がある。

マスコミの車両も被災地渋滞を助長か

金沢方面から奥能登を目指した車の内訳はどうだったろうか。安田記者の肌感覚では、発災直後の1月2日は「緊急車両4割、一般車両5割、救援物資を積んだトラックとマスコミが1割」といった感触だという。

このうち「マスコミ」とは、テレビ局の中継車などのほか、金沢のタクシー会社の車で奥能登にやって来た「見るからに同業者」と思われる人たちのことだ。それ以外にも、レンタカーなどで奥能登入りした記者がいた可能性もあるだろう。ちなみに、全体の5割を占める一般車両の中には、奥能登の親族を助けに行く人がいるとみられる。

安田記者の体験で注目したいのは、次の証言だ。

「テレビ局の中継車の多くは大型車両のため、ひび割れて陥没した国道249号や珠洲道路で慎重に走る姿が散見された。これも渋滞の一因となっていた可能性がある」

「民放online」の記事「能登半島地震 地元局の1カ月を聞く」によると、石川県にある民放4局のうち、ある局の取材態勢は「同局からの3班」と「系列から3班」の「計6班体制」で「応援記者は延べ140人程度」。別の局は「応援記者は26局から70人」、また別の局は「11班前後が取材で現地入り」などとなっている。

「新聞協会報」(1月30日付)に掲載された能登半島地震の「応援記者派遣」に関する記事によると、ある全国紙は「2月1日までに約200人の派遣を予定している」とのことだった。

北國新聞社では発災後1か月余り、奥能登の常駐記者5人(現在は6人)に加え、金沢の本社などから1日あたり、最大10人程度が応援取材に入った。

NHKや通信社、BBCなど海外メディア、そのほかの媒体も合わせ、相当な数の取材記者や撮影クルーが奥能登入りしていた状況が浮かび上がる。

救援活動に駆けつけるにせよ、取材で駆けつけるにせよ、金沢から100キロ以上離れた能登半島の最奥部に行くためには「道路」を使う必要がある。

道路には「交通容量」があり、その限界を超えた数の車両が走れば、渋滞が起きる。能登半島地震では、土砂崩れによる道路寸断によって、奥能登へと至る比較的安全なアクセス路が「内浦側の国道249号」だけとなり、そこに通行が集中した。

国土交通省金沢河川国道事務所の資料によると、地震後の1月6日、国道249号の七尾-穴水間の中間地点で計測した1日交通量は5989台(七尾方向)。一方、2021年度の国交省の調査によると、同様の区間の1日交通量は推定4132台(小型車3162台、大型車970台)で、発災後、交通量が増えている。

それだけではなく、先述した路面状況の悪化や積雪、細い道に迂回する交通規制などが積み重なり、能登半島の「命綱」とも呼ぶべき道路の交通容量はさらに減少した。

奥能登から金沢へ向かう道も渋滞で…

地震によって道路の交通容量が減る中で、本来は、どのような車両が優先的に通行すべきなのだろうか。

第一に、家屋倒壊や土砂崩れに巻き込まれて救助を待つ被災者の生命を助けるため、救助隊の通行を優先すべきだろう。また、自宅が倒壊した人々が奥能登から金沢などに2次避難するための移動に使われるべきだ。

医療機関も被災した中、体調が悪化した奥能登の住民が、金沢などで医療を受けるための救急搬送も緊急性が高い。震災のフェーズが変わり、復旧局面に入れば、復旧資材を運ぶために「貴重な交通容量」を活用するのが適切だと思われる。

北國新聞が震災報道の柱の一つに据えた災害関連死に関する取材の中で、次のような事例があった。

「健康状態の悪化した高齢の父を奥能登から金沢近郊に避難させようとしたが、渋滞が深刻なため、父の体力では長時間の移動に耐えられないと考えて断念した。そのまま父は奥能登で亡くなった」

「高齢の母を奥能登から金沢に避難させる際、移動に10時間かかり、金沢で入院したが亡くなった」。もう少し道路状況がましだったら、このような悲劇は生まれなかったかもしれない。

こうした事例に接した時、ふと、ある思いが筆者の脳裏によぎる。

生命の危機が迫る奥能登の限られた「交通容量」のうち、いったい、どれくらいをメディアが使ってよいものだろうか-。

集団的加熱取材と「相似形」

むろん、私たちのような地元メディアはもちろん、県外を含め多様なメディアが訪れ、被災地の実情や課題を取材し、全国や世界に発信することが、復旧や復興、支援の広がり、今後の防災や災害対策などに資することは言うまでもない。報道にはその使命がある。今回、全国各地の報道機関が被災地の苦境を伝えてくれたことに、この場を借りてお礼を申し上げたい。

一方で、奥能登の「命綱」とも呼ぶべき道路の交通容量が圧迫され、被災地で深刻な渋滞が起きれば「目の前の命」が危険にさらされる。

地元紙も含め、各地からメディアが被災地に集中すれば、その分、必ず、交通容量は消費される。1台1台の車両通行が消費する交通容量は微々たるものだとしても、積み重なれば渋滞の要因となる。

1台1台の車両が消費する交通容量が少ない分、自分の通行が渋滞の一因になるとの考えに至りにくい側面がある。この点に、筆者は「メディアスクラム=集団的加熱取材」と「被災地渋滞」との「相似形」を見る思いがする。

メディアスクラムの現場でも、1人1人の記者としては報道の使命を果たそうとの思いを抱いているだろう。個々の取材行動自体は、相手に大きな負担をかけるものではないかもしれない。しかし、それらが積み重なればメディアスクラムに発展する。

個々の現場での集団的加熱取材よりも、実は「被災地渋滞」の方が、救命活動などの遅れを生むという点で、より広範囲で深刻な悪影響を及ぼしている恐れもある。

だが、「被災地渋滞」は、メディアも、メディア以外も含め、車列にいる一人一人が「自分もスクラムの加担者である」という意識を抱きにくい。「広く薄いスクラム」「本人の自覚無きスクラム」が、実は、より大きな損失を社会に与えている可能性はないだろうか。

本稿のテーマに関連して筆者が抱く問題意識について、いくつか箇条書きし、拙論を締めくくりたい。

(1)メディア各社が大型バスなどに乗り合わせて被災地入りすれば、交通容量の温存につながると指摘する論者もいる。だが、その場合、被災地に到着後、広大な現場を徒歩だけで取材することはできず、現地で「足」に困る。何か、いいアイデアはないか。

(2)代表取材のような対応が必要になる可能性もあるが、その場合、メディア統制につながったり、メディアの多様性が損なわれたりする恐れはないのか。

(3)中継車のような大型機材や、多人数の取材班をできるだけコンパクト化しながら、報道の質や量を保つ効果的な方法はないか。

(4)被災地渋滞を防ぐため、行政側がより適切に交通規制を行ったり、震災のフェーズに応じた交通情報を発信したりすることは可能なのか。それとも、そうしたことをすると、逆に混乱が生じたり、移動権や取材の自由の制限につながる恐れがあるのか。

(5)馳浩石川県知事が発災直後、渋滞を念頭に一般ボランティアの能登入りを控えるよう呼びかけたが、どう評価すべきか。発災直後に一般ボランティアが多く被災地入りすれば渋滞に拍車がかかった可能性がある。一方で馳知事の呼びかけが、ボランティアの能登入りにブレーキをかけたとの見方もある。行政やメディアは震災のフェーズに応じて、ボランティアの重要性を訴える情報発信を、もっと効果的にできなかったのか。

(6)発災後、奥能登で渋滞が起きたにもかかわらず、SNS(交流サイト)などでは「渋滞は起きていなかった」との言説が出回った。こうした言説はなぜ生じたのか。背景に、どのような心理があるのか。

(7)道路が寸断され、海岸隆起も起き、冬季で天候に恵まれなかったとはいえ、自衛隊などは、もっとホーバークラフト揚陸艇など海路や、大型ヘリなど空路を活用できなかったのか。自衛隊は自然災害以外の有事を想定しているはずだが、もしそうした事態が起きた場合、実効性のある対応ができるのか。

(8)志賀原発は運転停止中とはいえ、今回の震災では、原子力災害が起きた場合の避難経路でも多くの道路寸断が起きた。バスで住民を避難させるにしても、発災時に、人手不足の奥能登で、十分なバスや運転手を確保できるのだろうか。

(9)道路寸断が多発した能登ではインフラ強靱化が必須である一方、あれだけ多数の土砂崩れを全て防ぐのは難しい。道路が寸断しても対応可能な輸送手段や備蓄、エネルギー確保策を考える必要がある。だが、人口減少が進む過疎地にそれだけの投資が可能なのか。

南海トラフ地震や、首都直下地震を想定すれば、能登半島のような過疎地だけでなく、人口過密エリアでも考えるべき課題を含んでいるように、筆者には思われる。

〈執筆者略歴〉
宮本 南吉(みやもと・なんきち)
1976年石川県生まれ。
早稲田大学第一文学部卒業後、2000年北國新聞社入社。
小松支社、社会部、富山本社などで地方自治や公共交通を取材。
2023年から現職(編集局主幹)。
北國新聞で発災直後の1月7日から休刊日を除き毎日掲載している連載「1・1大震災 日本海側からのSOS」でデスクを務める。同連載は掲載230回を超え、継続中。

【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版(TBSメディア総研が発行)で、テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。2024年6月、原則土曜日公開・配信のウィークリーマガジンにリニューアル。

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