「復興・復旧なんて夢のまた夢」能登半島地震から1年 被災地で加速する人口流出【報道特集】
TBS NEWS DIG Powered by JNN / 2025年1月18日 6時30分
能登半島地震の発生から1年が経ち、被災地では今、人口流出の問題が深刻化しています。被害の大きかった珠洲市、輪島市を取材しました。
被災地で加速する人口流出
山本恵里伽キャスター
「地震発生から1年が経ちましたが、崩れた家屋はそのまま。その瓦礫の上に、雪が降り積もっています」
能登半島地震で大きな被害を受けた、石川県・珠洲市。大雪の影響で倒壊した家屋の解体作業は中断していた。
山本キャスター
「傾いたまま、家財道具も、丸見えの状態ですね。中が全て、丸見えになっています。これ、半年前も同じ場所に…全く同じ状況でした」
地震で隆起したマンホール。1年経った今も、手つかずで残されている。
2024年元日、午後4時10分。最大震度7の大地震に襲われた能登半島では、災害関連死を含む、504人が死亡(2025年1月7日時点)。10万棟以上の住宅が被害を受け、181件の土砂災害が発生した。
被害の大きかった輪島市と珠洲市では、特に人口減少が加速した。
2024年1月時点の人口は輪島市で2万1903人、珠洲市で1万1721人だったが、県の推計では、いずれも9%減少した。
しかし、実際の人口流出はその推計をはるかに上回るという専門家の分析がある。
ロケーションマインド 柴崎亮介氏
「普通の意味の人口移動では、考えられないぐらいの量ですね」
輪島市の中心部では28%、輪島市中央では34%。さらに珠洲市外浦・若山、珠洲市内浦沿岸などでは37%も人口が減少したとみられるという。
個人を特定できないように加工されたNTTドコモの携帯電話の位置情報をもとに分析した。
ロケーションマインド 柴崎亮介氏
「同じ市の中でも、やっぱり中心市街地は人口減少が少なめですけれども、中央とか東に行くと(人口減少率が)かなり大きいという感じになります」
人口流出が激しい街では、何が起きているのか。珠洲市の若山地区を訪ねた。
自宅再建の目途は立たず「復興・復旧なんて夢のまた夢」
橋元泰博さん(83)は珠洲市・若山地区の仮設住宅で、妻と息子の3人で暮らしている。隣にある自宅は、天井や柱が大きく壊れ、住める状況ではなかったためだ。
番組では、地震の直後から橋元さんが車庫で避難生活を送る様子を取材してきた。
橋元さん
「復興・復旧なんて、夢の夢」
2024年6月、仮設住宅に移り住んだのを機に自宅は解体した。今その場所には…
橋元さん
「あの木がある手前から、ずっと家があったの。全部解体して、無くして。車庫だけ、残ってる」
家財道具や思い出の品は車庫に移し保管しているが、自宅を再建する目途は立っていない。
――半年前に「復興・復旧なんて夢のまた夢」とおっしゃっていた。その気持ちに変化は?
「変わらないね。こんな状況で。復旧があって、復興があるんですから。僕らの夢なんて到底追いつかんね」
この若山地区は、珠洲市の中でもとりわけ家屋の倒壊が著しかった。橋元さんの集落も約40世帯のうち、すでに半数が去っていったという。
橋元さん
「解体されるのを見て、皆泣いていた。解体される現場を見て、皆泣いて帰った。僕らはここにいるからと慰めるけど、涙止まらん。そんな状況」
続く断水は人口流出の一因に
ライフラインが復旧していないことが人口減少に影響した地域もある。
山本キャスター
「珠洲市宝立地区です。家屋の解体作業が進まない影響で、1年経った今も断水が続いているエリアがあるといいます」
能登半島の東側の海に面する宝立地区は地震の直後、2.7メートルの津波にも見舞われた。
倒壊した家屋のがれきが、波で流され道路上に放置されているため、地下の水道管の工事に手がつけられない状況だ。
地震後もこの地区で暮らす川口昇さん (68)。
――家にはいつ戻ってきた?
川口さん
「ずっといる」
――水は?
「水はまだ来てない。そこまで来てるんだけど」
生活用水は3日に1度、50リットルの水を学校に取りに行っている。トイレは、近くの公園を利用しているという。
だが、水が使えない不便な生活にも慣れたという。
――1年経って水が通っていない想像は?
「全然、最初は仮設住宅を申し込んでたけど水が来ると思ってキャンセルした」
20世帯ほどいたこの集落でも、ほとんどが仮設住宅に移っていった。
――仮設にいる人も戻ってくる話は?
「いや、どうだろう、わからない。家を建てる人もいるし、特に年寄りは行くところがないから残るけど、若い人は仕事もないでしょうから」
海に面するこの町で盛んだった漁業も、大きな影響を受けた。
漁師の酒谷徳次さん(69)は、1年間仕事ができなかったという。
――ご自身の船は?
酒谷さん
「津波で沈没した」
――この船は?
「また中古の船(を買った)」
――相当経済的にもダメージ受けますね
「大変です」
酒谷さんが暮らしていた集落では、150世帯のほとんどが全壊。酒谷さんは今、仮設住宅で暮らしているが、いつか集落に戻りたいと思っている。
――このあとどうされる?
「(家を)建てられたらいいけど。お金の問題もある。排水など、役所にやってもらわないと家を建てられない」
――それでもやっぱり住み続けたい?
「子どもらの故郷やろ。じじ・ばばがこっちにいて盆・正月に子どもが帰ってくる、そういうために住んでいる。出て行った子どもの故郷」
――帰ってくる場所ですもんね
「それでこっちにへばりついておろうかなと思ってる」
豪雨災害が阻んだ復興への道
2024年9月、被災した能登半島を襲ったのが豪雨災害だった。わずか3時間で1か月分の雨が降り、土砂崩れや川の氾濫が相次いだ。
雨で16人が死亡。1600軒以上の住宅が被害を受けた。(2025年1月7日時点)
この豪雨により人口流出がさらに加速した地域がある。輪島市の西保地区だ。
元日の地震で700人以上が孤立。その後、電気や水道が復旧し、一部の集落で孤立が解消された。(2025年1月11日時点)
だが、豪雨による土砂災害などで再び孤立状態になった。
大晦日、山側の林道がようやく通れるようになったため、集落を訪れた。
西保地区で生まれ育った浜朝子さん。自宅の周辺は地震と水害で壊滅的な被害を受けた。
浜さん
「ブルーシートもこんな感じ。ここはお宮さん、崩れてしまった。水が流れて、大雨で。すごいやろここ。雨の土砂、こんなにいっぱい流れてきて」
浜さんの自宅は地震の日から手つかずのまま。先祖代々、暮らしてきた集落は水田の広がる緑豊かなところだった。しかし豪雨災害で、米を作っていたたんぼに大量の土砂が流れ込んだ。
ふるさとで再び暮らす目途はたたなくなった。
浜さん
「こんなところ住める?なんとも言えんけど、ひどいやろ。住みたいけどわからん。いつになるかわからん」
職と住まいを失い…「地震で頑張ってたら、急に水害。もう終わりですね」
輪島市の中心部も地震と豪雨の両方の被害が大きかった。
職と住まいを失った宮腰治雄さん(68)は、輪島市内の繁華街で居酒屋「山海」を営んでいた。
宮腰さん
「2024年の準備して、全部掃除して、2024年から新規頑張ろうと思ってました。一瞬にして終わりですね」
40年前、夫婦で始めた大切な店。地域の人に愛され、連日多くの客で賑わっていた。地元の情報誌に特集を組まれたこともあった。
宮腰さん
「無我夢中でやってきましたね。予約せんと入れない状態のときもありました。急に震災になったもんで、いきなりできなくなっちゃうと寂しい思いもありますね」
店を切り盛りしながら農業を営み、自分で作った新鮮な野菜や米を使った郷土料理を振舞っていた。
しかし、豪雨が宮腰さんの田んぼや畑を飲み込んだ。地震で自宅も、食料を保存していた蔵も1000万円以上かけた農機具も全て潰されてしまった。
68歳という年齢と、開店資金のことを考え、店の再開は諦めざるを得なかった。40年の歴史に幕を下ろした。
宮越さん
「もうお店無理かなって感じになってきた。振り返るとさみしい気持ちもありますし、地震で頑張ってやっていたら、急に水害になって、もうダメだって。もう終わりですね」
県の推計に現れない人口流出の実態
石川県は震災後、輪島市と珠洲市で9%程度人口が減少したとしている。
だが柴崎亮介氏は、県の推計よりも人口の減少が進んでいると分析する。実態が数字に出てこない要因をこう話す。
ロケーションマインド 柴崎亮介氏
「(地方)公共団体でみているのは住民票の移転なので、住民票を移すというのは、短期的には戻ってくることは考えられない。『もう移っちゃおう』という決断をされた方を把握されていて、一時的にでも生活の拠点を変えたいという人は、そこ(住民票)まで普通やらないので、いわゆる自治体ではわからない。一時的には生活圏を動かさないと厳しい。そういう現実がかなりちゃんと見えているのではないかなと思います」
柴崎氏の分析を裏付けるのが、輪島市と珠洲市の小中学生の数だ。
教育委員会によると震災以降子どもの数は3割ほど減ったが、その3分の1程度は住民票を残したまま市外へ転校したという。
人口の増加と道路や家屋の整備の関係を分析することが大切だと話す。
ロケーションマインド 柴崎亮介氏
「どのくらい家が戻れば人も帰ってくる。人が帰ってくるためにはこのくらい建て替えが進まないと厳しいんじゃないか。そういう関係はかなりちゃんと見えてくると思います。今後どんどん復興が進むに従って、どれくらい(復興が)進んだかというのをみるいい指標かもしれません」
村瀬健介キャスター
「そうすれば、どこにリソースをかけるのが効率的なのかということがわかってくるわけですね?」
ロケーションマインド 柴崎亮介氏
「少なくとも『帰ってきてください』という意味において、どれが効率的・効果的かよくわかってくるはずです」
なぜここまで復旧に時間がかかっているのか。輪島市の坂口茂市長が取材に応じた。
輪島市 坂口茂市長
「(崖の)上からの崩れと、道路の下の部分も崩れると、復旧はなかなか大変です。極めて厳しい。工学的に土木的に困難な道路工事だったので、時間はかかったということです」
さらに地形の影響もあったという。
輪島市 坂口市長
「能登半島の先端にあるという地形的な特徴があって、そこが原因になっていると感じています。1本道で縦に入ってこないといけないということで、先端に入るのに発生当初は片道十何時間かかっていました。通常は2時間で来れるところ」
今後の見通しをこう語った。
輪島市 坂口市長
「今後輪島市がどうなるのか、色々な見通しや希望を見いだせないと、ここに生活するというのは苦しくなってくる。住まいだけではなく生業、仕事が再建されないと住むことができない。未来に希望をもてるような復興を、しっかりと計画に基づいて色々なものをやっていきたいと思います」
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