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能登半島地震から1年~被災地出身の記者として今思うこと~【調査情報デジタル】

TBS NEWS DIG Powered by JNN / 2025年1月25日 8時30分

TBS NEWS DIG

2024年元日に発生した能登半島地震。被災地出身で、2か月後に本誌に緊急寄稿してくれた北陸放送の平歩生記者が、地震発生から1年経った今の思いを率直に綴った。

記者という仕事をしていても、表現が思いつかないほどの凄まじい揺れから、1年が経ちました。

この1年は瞬く間に過ぎていきました。27年間の人生の中で一番短い1年でした。ただその一方で、能登が揺れたあの日が遠い昔のようにも感じています。

1年が経った2025年1月1日は、被災地でも最北端に位置する珠洲市で取材をしていました。友人や知人にも会いましたが、みんな新年の第一声に困っていました。

本来、元日に会った時、開口一番に言うはずの「明けましておめでとうございます」は言えない。「今年もよろしく」「明けたね」など、歯切れの悪い会話しかできませんでした。

私の実家は石川県の能登町にあります。私が勤める北陸放送の本社や自宅のある金沢市からは車で2時間ほど、能登半島の中でも北の方に位置する「奥能登」と呼ばれる地域です。幸い、実家の被害は少なく家族は全員無事でした。

「被災地出身の記者」だからこそ

私が被災地に記者として足を踏み入れたのは2024年1月2日、地震の翌日です。地元の風景はまるで知らない町のようでした。陥没した道路、大きく飛び出たマンホール。あったはずの建物は崩れ落ちてがれきとなり、町を通ると木材の香りがしました。がれきの隙間には家具や靴、食器などが挟まっていて、当たり前の生活がほんの少し前までそこにあったことが分かりました。

住民はみな避難所に身を寄せていて、町全体がシーンとしていました。時折、緊急車両のサイレンが響くだけでした。

避難所にいた、薄着でサンダルを履いたおばあちゃん。「もう帰る場所もないげん」と悲しそうに笑いながら話してくれました。記者として失格だと思いながらも、涙は止められませんでした。返す言葉は見つかりませんでした。

2日は、通っていた飯田高校がある珠洲市で車中泊をすることになり、停電が続く町から空を見上げると満天の星が美しく輝いていました。

記者として、地元を取材する。あまり馴染みの無い土地では記者の平でいられたと思います。

一方、友達や恩師、お世話になった方々が大変な状況で生活する中「取材させてくれ」と連絡するのはとても嫌でした。「歩生の頼みなら」と言ってくれる方もたくさんいて、私は自分との関係性やみんなの優しさを利用しているのではないかとよく自己嫌悪になりました。

それでも記者を辞めなかったのは、私が地元のためにできることで一番の影響力につながるのが記者であり、記者を続けることだと思ったからです。

ただの平歩生では、ボランティアに行ったり、募金したりすることで精一杯でした。「被災地出身の記者」という肩書でテレビやネットニュース、ラジオで放送することで、少しでも関心を持ってくれる人がいるなら。それが私が記者を続ける理由でした。

私は1年を通して、珠洲市に暮らす高校時代の同級生の男性を取材しました。被災地に暮らす子供たちの笑顔を守るために、運動会や歌手を呼んでの被災地ライブ、停電した町に灯る夢ちょうちんなど、男性は意欲的に活動していました。同級生同士だからこそ生まれる会話がたくさんあったと思います。ほかの人ではできない取材ができたと思っています。

一方で、同級生を取材する度、どこか後ろめたさを感じていました。私は大学進学を機に奥能登を離れ、金沢市で生活しています。結婚し、もう、能登に戻ることはありません。故郷であることには変わりありませんし、今も大好きなまちですが、「私は能登を捨てた」そんな思いを持ちながら今も能登に暮らす友人を「同じ」能登出身として取材することに後ろめたいような、恥ずかしいような気持ちを感じていました。

「能登だから」ではなく、ただそこで生きる人たちのために

1年経った被災地。がれきだらけだった町も少しずつ解体が進み、今は空き地が目立ちます。完全とまではいかないもののインフラの整備も進んでいます。

ただ、家を失い、この土地から離れていった人が全員戻ってくるかというと、そうではありません。人口流出は地震以前から問題視されていたことですが、能登半島地震をきっかけにいよいよ歯止めが利かなくなりました。

奥能登地域はすべてが「消滅可能性自治体」です。言葉にするのは嫌ですが、能登は「終わりゆく土地」だと私は思っています。じゃあ、見放すのか。そうは思っていません。

「のどかで、美しい自然が能登の良いところ」と話す人をよく見かけます。「この景色を守っていかなければいけない」と話す人もいます。確かに、美しい自然はありますし、守りたいとも思います。でも、本当に守らなきゃいけないのはそこじゃない、と私は言いたくなるのです。

終わりゆく土地だろうがなんだろうが、今日もそこで生きている人達がいます。仕事をして、スーパーに行って、ご飯を食べて寝る。新しい命が生まれることだってあります。そういう至極当たり前の生活を守ってほしいんです。

能登にいる人にとってこの土地は観光地でも何でもなく、住まいのある、日常を送る場所です。今、この文を読んでいるあなたが住む場所と何ら変わりありません。

「能登だから」という特別なこともありません。いつか人がいなくなるかもしれない、仕事がなくなるかもしれない。大きな地震が起きるかもしれない。それでも今、能登で生活を続ける人たちのために、少しでも何かできることをしていくことが大切なのではないかと考えています。

能登を離れた私にできることはやはり、放送業界に携わり発信し続けることしかないと考えています。故郷が、被災地が、どうなっていくのかを1人でも多くの人の目に留まるよう、発信し続けていきたいです。

〈執筆者略歴〉
平 歩生(ひら・あゆむ)
1997年    石川県能登町生まれ
2020年3月 金沢大学 卒業 
  同年4月 北陸放送入社 報道部配属
        警察担当として事件事故を取材し司法キャップを経て
      2023年~警察キャップ
2024年1月 能登町の実家へ向かう道中で能登半島地震が発生し被災

【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版のWebマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。

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