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【特集】“佐渡島の金山” 光と影 「世界遺産になっても供養を続ける」 江戸時代に過酷な労働で支えた人々 山奥に残された“無宿人の供養墓” 《新潟》

TeNYテレビ新潟 / 2024年6月21日 20時40分

TeNYテレビ新潟

7月の世界遺産委員会の開幕まであと1か月となりました。

「佐渡島の金山」はそこでの登録を目指しています。

一時は世界最大の金の生産地として栄えましたが、その繁栄を支えた存在を忘れないでほしいと活動する人たちがいます。

■金山の象徴「道遊の割戸」とともに暮らす

TeNYテレビ新潟

山が2つに割れた光景は生まれてから77年間、当たり前のようにそこにありました。

佐渡市相川地区・万照寺の住職・小林祐玄さんです。

この地で生まれ育ち鉱山と、時代の変化を感じて来ました。

〈万照寺 小林祐玄 住職〉

「こんな山の中なのに人がいっぱいいたなというか。 覚えているのは昭和25年、26年より後だと思うんですが、人がいっぱいいた」

日本最大の金銀山と言われた佐渡金銀山。

江戸時代からのおよそ400年間で金78トンを産出しました。

ゴールドラッシュによって金山の麓・相川地区は大都市に……

最盛期の人口は約5万人ともいわれています。

小林さんの先祖はいまの富山県の僧侶で、江戸時代、地元の仲間と共に佐渡の鶴子銀山を目指してやってきたと言います。

その後、金が採れるようになると金山の近くに移動してきました。

〈万照寺 小林祐玄 住職〉

「キャッチフレーズは道遊の割戸が見える所で最後まで暮らした小林君という感じですかね」

昭和22年に生まれた小林さん。

当時、金山はまだ採掘が行われ多くの人で町はにぎわっていたといいます。

しかし金の産出量が徐々に減少……

〈万照寺 小林祐玄 住職〉

「昭和28年の時に三菱金属鉱業佐渡鉱山が大縮小する。当時、 三菱の正社員が600名くらいいたんですが、10分の9、60名くらいを残して、540名くらいは転出していくんですよね」

そして相川金銀山は400年近くの長い歴史に幕を閉じ、平成元年に操業を休止しました。

しかしいま、その馴染みの場所が世界の注目を浴びようとしています。

■7月の世界遺産委員会で登録目指す「佐渡島の金山」

TeNYテレビ新潟

ことし世界遺産登録を目指す「佐渡島の金山」。

「相川鶴子金銀山」と「西三川砂金山」で構成されます。

「17世紀における世界最大の金の生産地」として去年1月、ユネスコに推薦書を提出。

6月6日、ユネスコの諮問機関イコモスから4段階中上から2番目の「情報照会」の勧告を受け、3つの追加情報が要請されました。

7月21日からインドで開かれる世界遺産委員会での登録を目指します。

■江戸時代に過酷な労働で支えた者たち

TeNYテレビ新潟

私たちは金山の繁栄の光と影を示す場所があると聞いてやってきました。

山の斜面をならすように石垣が連なっていました。

鉱山で働いていた人たちがこの場所で暮らしていたと言います。

さらに奥へ進むと……

そこにあったのは無宿人の墓。

「無宿人」とは、江戸時代に治安対策で幕府に捕らえられた住所不定の人たちをいいます。

佐渡には全国から1800人余りの無宿人が送られ金山の坑内で過酷な労働に従事……

その寿命はとても短かったといいます。

墓に刻まれていたのは、「定吉、36歳」「亀七、17歳」など、28人の名前や年齢です。

鉱山の中で火災が発生し犠牲となったといいます。

毎年4月「道遊の割戸」に響くお経……

犠牲となった無宿人の供養祭です。

全国各地から集まった参加者は「何妙法蓮華経」を唱えながら墓まで列をなし法要しています。

この供養祭の開催を中心となって呼びかけたのが相川にある寺「光栄山 瑞仙寺」の先代の住職だといいます。

佐渡に伝わる絵巻物の複製を見せてもらいました。

岩を掘ったり、運んだりする人が描かれる中、水の入った桶を運ぶ人の姿がありました。

「水替」と呼ばれる作業で、坑道を掘り進めると湧き出て来る水を運び出しています。

〈光栄山瑞仙寺 青木錬誠 住職〉

「1番大変でしたからね。どんな壮健な者でも5年も持たないという過酷な坑内の過酷な中で働いていたので」

「先代住職も言っていたことだが、金山の影の部分、目立たない縁の下の力持ちみたいな形で、そのうえで今の金山の繁栄があるわけで。世界遺産になってもしっかりと 供養を続けていく。皆さん佐渡金山に来た時にお参りしていただければ」

■「夢をもう一度」地元も後押し

TeNYテレビ新潟

「佐渡島の金山」の象徴ともいえる割れた金山…「道遊の割戸」です。

その光景を見ながらこの地で暮らしてきた小林祐玄さん。

佐渡を世界遺産にする会で顧問を務めています。

〈万照寺 小林祐玄 住職〉

「志半ばで皆さん亡くなっていっているので、そういう人たちのためにもぜひ(世界遺産に)なってほしいと思います」

20年ほど前から個人でも調査を続け、去年「道遊の割戸」の名前の由来や、金山にゆかりのある人たちの証言などをまとめた冊子を発行しました。

自分なりの方法で世界遺産登録の後押しをしたいと考えています。

〈万照寺 小林祐玄 住職〉

「ならないよりは、なったほうが 佐渡全体として活性化する130万人観光の平成3年辺りがそうだったが、旅館だけが儲かるんじゃなくて。 それを中心にして全部周囲も潤うので、だから“夢をもう一度”じゃないけど、もしなればそういう効果があるんじゃないかと思う」

志半ばで亡くなった仲間のためにも世界遺産の登録へ……。

再び金山を中心ににぎわう島を夢見ています。

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