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【特集】“ふるさとが一変” 石川県輪島市から夢をかなえるため新潟へ 若者が歌に込めた「19歳の自分がいまできること」 《新潟》

TeNYテレビ新潟 / 2024年7月5日 20時33分

TeNYテレビ新潟

半年が経過した能登半島地震。

大きな被害を受けた石川県輪島市から新潟へやってきた若者について取材しました。

一変した故郷から持ってきたのは伝統の輪島塗と夢を叶えるための楽器。いま自分にできることをカタチにしようとしています。

■夢を叶えるため新潟へ 持ってきたのは楽器と輪島塗

食器棚の輪島塗を手に取る謙斗さん

部屋に並ぶのは夢を叶えるための楽器と、幼いころから親しんできたふるさとの伝統工芸品。

この春、石川県輪島市から進学のため新潟市へやってきました。

七浦謙斗さん(19)

「これは輪島から持ってきた輪島塗の器とかコップとかになります。おじいちゃんおばあちゃんは輪島塗の塗りの仕事をしていて、お父さんは輪島塗をつくるうえで地の粉っていう材料が必要なんですけど、その地の粉を作る仕事をしていて」

食器棚に並ぶのは祖父や父が持たせてくれた輪島塗。

家族と離れてひとり暮らしの今、祖父がつくったカップがなにかと重宝しているといいます。

七浦謙斗さん(19)

「ちっちゃいころから輪島塗がそばにある状態だったので逆に輪島塗があるっていうのが僕にとっての普通の生活だった」

普通の生活が一変したあの日……

■ふるさとを変えた地震「俺が知ってる輪島じゃない」

元日の地震により発生した輪島朝市での火災

元日に起きた能登半島地震。

石川県輪島市は最大震度7を観測し観光名所の朝市は大規模な火災も発生しました。

死者は輪島市だけで130人と発表されています。(※7月1日時点)

地震当日は東京に出かけていた謙斗さん。輪島市に戻ると、変わり果てたふるさとの姿がそこにはありました。

七浦謙斗さん(19)

「いざ輪島に行ったら全然知らない場所で。俺が知ってる輪島じゃなくなってて、それこそ絶句でしたね。いつも通る道でバスから眺めるんですけど、知らない町すぎて何もかもなくて。いまのこうなっている現実を受け止め切れない。受け止めざるをえないんですけど、受け止め切れなくて」

楽しい思い出と、傷ついたふるさと。

七浦謙斗さん(19)

「印象的なのはもうこれですね。朝市の近くの通りなんですけど、通学路でよくとおっていた道で。ああここ友達と一緒に歩いたなとか、なんかいろんな輪島での思い出とかがたくさんふわーて出てきて、うるうるしちゃいますね」

■被災した思い出だらけの実家 半年経っても復旧せず

輪島市にある謙斗さんの実家(車庫)

輪島朝市から車で10分ほどのところにある謙斗さんの実家。

母と妹は金沢に避難し、父親の重人さんがいまは一人で住んでいます。

父・重人さん

「以前は車庫の下が車2台分入れて上が和室二つだった」

自宅は一部損壊。友人を集めバーベキューなどでも使っていた思い出のつまった車庫は押しつぶされました。

幸い七浦さん一家は無事でしたが、近所に住む50代の女性が自宅の下敷きになり亡くなったといいます。自宅の周りには倒壊した建物が……。

父・重人さん

「町内はかなりひどいですね。残ってる軒数の方が多分少ないので。仕事柄輪島を離れることができないので、僕は。地場産業に関わっている部分も ありますし、仕事の面でもがんばっていかないといけませんし」

輪島塗の材料をつくる仕事を1人で担っていた重人さん。自分が輪島市を離れると職人が仕事をできなくなるため住み続けることを決めました。

しかし半年経ったいまもまだ、自宅の風呂には入ることができずつぶれた車庫も当時のままだといいます。

七浦謙斗さん(19)

「すごい心配ですね。半年経ったけどほとんど変わらない現状、街並みが変わらない。まだ見つかってない人もいるし。いざこういう風な目にあって普通の日常っていうのが特別なんだなって言う風に思いました」

■19歳の自分がいまできること 歌にのせて届ける決意

新潟市の専門学校で学ぶ七浦謙斗さんと菅井椎名さん

謙斗さんが新潟に来た理由。

幼いころからの夢、音楽の道です。

今は友人の菅井椎名さん(18)とふたりでユニットを組み音楽に打ち込む日々を送っています。

菅井椎名さん

「私音程下がるんだっけ?上がるんだっけ?」

七浦謙斗さん

「俺がはもりやすいのはこう(歌う)」

菅井椎名さん

「だよね、おっけ」

練習しているのは作詞・作曲を自分たちで手掛けたオリジナル曲です。

地震を通じて見つめ直したふるさとへの思いを込めました。

♪『遥か先へ』 ともだち/ともだち

「過ぎていく 今を この時間を

噛み締めて 前に 進んで行け

声に ならない この気持ちも

みんなと共に 歌にのせて

遥か 先へ

あの気持ちを伝えたくて

叫んだ 青い空には

思い出のひとつひとつを

繋げてできた虹

止まらないこの想い

留めたくない心の中(内)に

今しかないこの瞬間を

駆け抜けて その先へ」

地震で傷ついたふるさと。

祖父母は元日から輪島塗の仕事はできておらず、いまも自宅と避難所を行き来する生活を送っています。

七浦謙斗さん(19)

「自分が輪島いたらおじいちゃんおばあちゃん助けたりとか、情報収集とか手伝うこともできるんですけど…自分が何もできないっていう無力さが自分のなかでひっかかる」

19歳の自分がいまできることは何か?

歌詞に込めた葛藤と決意。

七浦謙斗さん(19)

「何があるか起きるかわからないから、いまやりたいこと、したいこと、できることを全力で楽しんでほしいっていう意味で作りました。帰るときにギター持って行って 家族に聞かせてあげたいなと思ってます」

地震から半年。

当たり前の大切さに気づいた今だからこそ伝えられる歌を新潟から届けます。

(2024年7月3日放送「夕方ワイド新潟一番」県内ニュースより)

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