【特集】あの日避難所では何が起きていた…課題と教訓 中越地震から20年「自分でできる事は自分で」≪新潟≫
TeNYテレビ新潟 / 2024年11月15日 20時2分
中越地震では600か所以上の避難所に、一時、10万人もの避難者が身を寄せました。
過酷な状況の中、支援に奔走したのが自治体の職員……
語られる当時の経験からは、いまなお続く避難所の課題が浮かび上がります。
「20年前、避難所だった」
この場所に来ると20年経った今でもあの日のことを思い出します。
≪記者≫
「皆さん地べたに寝ていたんですよね」
≪前小千谷市長 大塚昇一さん≫
「はい、そうです。ほとんど毛布1枚で寝ていた方が多いと思います」
≪記者≫
「けっこう冷たさが伝わりますね」
≪前小千谷市長 大塚昇一さん≫
「冷たいですね」
中越地震で避難所となった 小千谷市の総合体育館です。
あの日、市の職員として被災者支援に奔走した前市長の大塚昇一さん。
≪前小千谷市長 大塚昇一さん≫
「本当にここに3,000人の方々が寝泊まりしていたという。信じられない。だけどそれが大規模災害になると現実になる、そういうことですよ」
小千谷市震度6強
2004年10月。
震源にほど近い小千谷市では震度6強を観測多くの建物が倒壊しました。
地割れや土砂崩れも頻発し、集落の孤立が相次ぐなど市内全域にわたり壊滅的な被害が発生……
一時、およそ2万9000人……市の人口の7割が避難を余儀なくされました。
3,000人を収容「小千谷市総合体育館」
総合体育館は市の指定避難所として最大3,000人を収容。
当時の映像をみると、体育館の中は多くの人であふれかえっています。
さらに、取材中には震度5強の余震が……
≪須山司アナ(当時)≫
「こちらの方ではどういった対応が必要になってきますかね。またいま揺れていますね。いまこれかなり強いですよ。きょう感じた余震の中では一番大きかった余震ではないかと思います。いま私も立っているのが辛くなるぐらい……」
不安そうな人々の姿がそこにありました。
冷たい床 寝返り打てず
災害から身を守るため一時的に身を寄せる避難所……当時の様子を再現した場所に案内してもらいました。
実際に座ってみると……
≪記者≫
「思った以上に狭いですね。これで1人ですか?」
≪前小千谷市長 大塚昇一さん≫
「1人じゃないです。ここで大体3人ぐらい」
≪記者≫
「3人ぐらい!?」
冷たい床……。
一度寝たら寝返りを打つのもままならない環境……。
体調を崩す高齢者も少なくありませんでした。
空いた場所の奪い合い、物資の盗難など様々なトラブルも起きました。
総合体育館に3,000人もの人が集中した理由の一つが避難所の被災です。
地震の前、市は64の施設を避難所に指定していました。
しかし、半数の避難所が被災し使えない状態に……。
一方、市内では指定避難所に行けない人々が自主的に避難所を開設する動きも多く見られ、市内には最大136の避難所が開所。
さらに余震を恐れ、車中泊を続ける避難者も……
血液の流れが悪くなり血栓ができる病気「エコノミークラス症候群」が問題となりました。
「避難者の把握」が課題に
災害対策本部の調達部長として食料や毛布など物資の手配を担っていた大塚さん。
避難者の把握に三日三晩かかったと振り返ります。
≪前小千谷市長 大塚昇一さん≫
「物資とか食料を届けたくても、どこにおられるかわからない。大きな我々の課題でもあるし、多分避難された皆さんもどうしたら食料がもらえるとかどうしたら物資がもらえる、そう言った不安はずっと持っておられたのでは」
「自分の命は自分で守る」
行政の支援が届かない中で市民の命を守ることにつながったのが住民同士の助け合いです。
ある地区では声をかけあい、食料を持ち寄りました。
≪当時の市民≫
「きょうごはん前だったんですよ、皆さん。きょうありったけのインスタントラーメン持ち寄って皆さんがいま食べたんです」
ある地区では、住民が力を合わせて炊き出しを……
≪当時の市民≫
「ここは夏場のトマトハウスを利用して避難所にさせていただいています。2軒ほどプロパンガス持ってましたんで」
当時、市の防災計画で市内全域の被害は想定されておらず、食料の備蓄は2Lの水400本とアルファ米が1200食ほど……とても足りませんでした
中越地震は「自分の命は自分で守る」……その大切さを突き付けた災害でもありました。
≪前小千谷市長 大塚昇一さん≫
「当時使った市の指定避難所にはほとんど職員を配置できたのは何か所もありません。自治体の職員って減ってますので当時よりきっと小千谷市も減っていると思う。そういう意味ではみんなの力を合わせていくというのが大事だと思います」
教訓を未来へ
教訓を未来へ……
10月20日に行われた県と南魚沼市の防災訓練。
市民が参加し段ボールベッドの組み立てが行われていました。
県によるとこうした住民参加型の避難所の設営訓練は増えつつあるといいます。
≪南魚沼市民≫
「意外とやってみて簡単にはできたんですけど、実際寝てみても寝心地が良かったです」
≪南魚沼市民≫
「(ベッドの組み立ては)はじめてですので。こういう訓練して置かないとやっぱりね。いい経験だと思います」
避難所の入り口で行われていたのは、マイナンバーカードやアプリを使った入所手続きの実証実験。
デジタル技術を取り入れることで避難者の把握をスムーズに行うことができるシステムで県は今後、自治体の意見を取り入れながら技術開発を進める方針です。
20年後も変わらない課題
あの日から現在まで全国で発生する未曽有の災害。
1月の能登半島地震では各地で自治体の想定を超える被害が発生。支援の届かない孤立集落が相次ぎました。
避難所に身を寄せる避難者の姿は20年前の中越地震を思い起こさせます。
≪前小千谷市長 大塚昇一さん≫
「20年前とどれだけ変わったかっていうと被災された方に対する支援っていうのは制度的には変わった部分もずいぶんあるんですけど一番困った時に何ができるかっていうとあまり変わっていない。避難された方が自分たちでできることは自分たちでやってもらうそういう仕組みになっていかないといけないと思いますし、そういう意識で頑張ってもらわないとこれからの災害にはますます厳しくなると思います」
中越地震から20年たった今も変わらない避難所をめぐる課題。
次の世代に安全を手渡すためにどうすればよいのか、あの日の教訓を受け継ぎ課題と向き合い続けることが私たちにできることなのかもしれません。
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