【特集】戦後80年 経験つなぐ…子どもたちが学んだ戦争と平和 劇で伝える長岡空襲 願い込めて打ち上げた花火 “白菊” 《新潟》
TeNYテレビ新潟 / 2025年1月26日 18時2分
1945年、1488人が犠牲となった長岡空襲。 長岡市のある小学校では毎年6年生が1年かけて空襲について学びます。 2025年は戦後80年。戦争体験者が少なくなる中、子どもたちが考える戦争とは、そして、平和とは。
長岡空襲を学ぶ子どもたち
長岡市にある黒条小学校。
毎年6年生は、平和学習として1年かけて長岡空襲について学び、秋に発表会を行っています。
劇やポスター発表
発表会では戦争体験者の証言などを元に制作された劇や、平和について考えるポスターの発表があります。
児童はこの日も準備に追われていました。
児童
「人に見られたりするのは緊張するけど、戦争の悲惨さとかをみんなに伝えていきたい」
市街地の8割が焼け野原になった長岡空襲
1945年8月1日午後10時半。
アメリカ軍が16万発以上の焼夷弾を市街地に投下した長岡空襲。
死者は1488人。
市街地の8割が焼け野原になりました。
ひいおばあちゃんから聞いた空襲
11才の小川旺臥さんは、ひいおばあちゃんから空襲について聞いたことがあるといいます。
小川旺臥さん
「急に空襲警報が鳴って、みんながパニックになって、みんな川だ川だって言って川に飛び込んだけど、その中に油が混じっていて、火が川について、みんなが亡くなったって言う。かわいそうだな…悲しいと思った」
旺臥さんが持っているのは協力金を募る募金箱。
ちぎり絵で、鎮魂の花火「白菊」を再現しました。
この募金箱や、自分たちで育てたコメを売って集めた資金で、発表会の最後に「白菊」を打ち上げる予定だといいます。
黒条小は「白菊」花火師の母校
実はここ黒条小学校、「白菊」を打ち上げている花火師・嘉瀬晃さんの母校でもあるのです。
子どもたちは打ち上げに向けて「白菊」にどんな思いが込められているのか直接、嘉瀬さんから授業も受けました。
小川旺臥さん
「みんなに平和と慰霊、鎮魂を知ってもらうために打ち上げたい」
記者
「みんなにとって花火どんな存在ですか?」
子どもたち
「きれい」
「かわいい」
「思いがのってる」
「シンボルみたいな感じ」
空襲経験者 “池田ミヤ子さん” を演じる
「白菊はシンボル」と話すのは、推耳はなさん。
劇では、長岡空襲を経験した“池田ミヤ子さん”という女の子を演じます。
推耳はなさん
「戦争があることと、それについて自分の考えを持ちながら見てほしいと思います」
長岡空襲の劇
迎えた発表会当日、保護者や地域の人がやってきました。
劇・司会
「昭和19年2月の長岡駅。長岡で暮らす10歳の女の子池田ミヤ子さんにも大切な人との別れがありました」
池田ミヤ子さん役・推耳はなさん
「ねえ、お兄ちゃんどこ?お兄ちゃん」
兄・忠義さん役
「ミヤ子、行ってくる、元気でな」
池田ミヤ子さん役・推耳はなさん
「お兄ちゃん(涙)」
兄との別れに涙する池田ミヤ子さん
兄との別れに涙を流す“池田ミヤ子さん”という少女。
4人兄弟の末っ子でした。
兄の忠義さんは海軍の通信兵として出征を志願。
しかし、南シナ海を海防艦で航海中、撃沈され戦死しました。
長岡駅での別れの後、二度と会うことはできませんでした。
長岡市で暮らす池田ミヤ子さん91歳
兄を亡くした少女は現在、91才に。
今も長岡市で暮らしています。
池田ミヤ子さん
「兄が出征した日、朝まで涙が止まらなかったです。長岡駅まで見送って…」
夜、空襲警報が…
1945年8月1日の夜、ミヤ子さんは父と母、2人の姉とともに寝る支度をしていました。
そんな中、空襲警報が鳴りました。
姉役
「空襲警報!早く防空壕に入って!」
池田ミヤ子さん役・推耳はなさん
「お姉ちゃんは?」
姉役
「私はあの火を消さなきゃ」
10歳上の姉・壽美子さんは、父や母と共に、焼夷弾が落ちた自宅の火を消し止めようとしていました。
ミヤ子さんは、言われるがまま真ん中の姉・節子さんと自宅近くの防空壕に潜んでいたといいます。
倒れていた姉・壽美子さん
すると、壽美子さんの声が聞こえました。
池田ミヤ子さん
「節子、ミヤ子、出てらっしゃい!って普段聞いたことのないような声で呼ぶもんだから、(防空壕にかけてあった)畳2枚を持ち上げて、はい出して…」
防空壕から出ると、さっきまで自分たちに声をかけていた姉が… 。
池田ミヤ子さん
「母親が手を引っ張っても何も言わない、言葉も出ない、うめき声も出ない、全然その時はもうこれは死んでるんだなと思いましたね」
さっきまで生きていた壽美子さん。一瞬で奪われた命。
あたり一面は火の海に
しかし、あたり一面は焼夷弾が落ち火の海に。
みんな逃げ出していました。
父は、叫びました。
「ここいらんね、危ない逃げんばならん。壽美子さんを置いて逃げよう」
残された家族を守るため父の苦渋の決断。
しかし、母は動こうとはしなかったといいます。
池田ミヤ子さん
「母親は最後まで手を離さないで、そこにいたいという感じでしたからね…。母親が姉の手を離す時の気持ちっていうのはこっちが考えると身が切られる思いが今でもする」
せめてもの償い…。
壽美子さんに布団をかけて逃げました。
「どんな気持ちだったんだろうと…」
一夜明け、壽美子さんはその場所に。
布団はなくなっていました。
その日、警察からの指示で父と母、真ん中の姉・節子さんの手によって壽美子さんの遺体は焼かれました。
留守番をしていたミヤ子さんのもとには遺骨を抱えた家族が静かに戻ってきたといいます。
池田ミヤ子さん
「どんな風に焼いたか、どんな風な燃え方したかなんて私には一言も言わないんですよ。でもね、後から考えると生きてたわけじゃないけど、亡くなった自分の娘を焼くっていうのがどんな気持ちだったんだろうと一生気持ちは聞けないし…」
絶対に忘れちゃいけないこと
自分たちが生まれるよりもずっと前の出来事。 だけど、絶対に忘れちゃいけないこと。
児童たち
「私たちは平和や命について真剣に考えるようになりました。身近な人々が、日本が、ふるさと長岡が、日本が、世界が、平和になることにつながっていければと思います」
発表のラストを飾るのは自分たちで資金を集めた「白菊」です。
込められた思いを考えながら見てほしいと子どもたちは話します。
推耳はなさん
「長岡に空襲があったことと平和が大切だということを考えてほしい」
小川旺臥さん
「戦争がこんな大変だったんだとか平和や慰霊・鎮魂のことを知ってもらいたい」
願いが込められた花火
願いが込められた特別な花火。
その瞬間を固唾をのんで見守ります。
子どもたちの平和への願いをのせて夜空に打ちあがった「白菊」。
推耳はなさん
「白くて大きいところが一番最後に散るときにきらきらなっているのがきれいでした」
小川旺臥さん
「音はすごく迫力があったりしたり、平和とかの思いが伝わってくるような感覚でした。戦争とかなくて平和な世界になってほしいなと思います」
「平和とは、どんなことだと思いますか?」
戦争と平和を学んだ子どもたち。
戦後80年。彼らが私たちに問いかけています。
「みなさんは、平和とはどんなことだと思いますか?」
2024年12月18日「夕方ワイド新潟一番」放送より
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