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スポーツ王国が支えたBリーグ広島の下剋上 資金難克服した広島ならではの「組織力」と「営業力」

THE ANSWER / 2024年5月29日 20時3分

初優勝を果たした広島ドラゴンフライズ【写真:B.LEAGUE】

■日本生命 B.LEAGUE FINALS 2023-2024

 広島に新しい「誇り」が誕生した。バスケットボールBリーグで初優勝した広島ドラゴンフライズ。28日に横浜で行われたファイナル第3戦で前年覇者の琉球ゴールデンキングスを下し、2勝1敗でプロ野球のカープ、Jリーグのサンフレッチェに続く「日本一」のタイトルを獲得した。国内3つのプロリーグで、同じ市に本拠を置くチームが優勝したのは初めて。東京や大阪、名古屋、横浜など大都市でもできない快挙を支えたのは「王国」広島の力だった。(文=荻島弘一)

 ワイルドカードから「下剋上」の初優勝を果たし、今季限りで引退する朝山正悟は「この優勝で、カープやサンフレッチェに少し近づけたかな」と胸を張った。チャンピオンシップのMVPに輝いた山崎稜は「広島はカープとサンフレッチェの知名度が高くて、ただそれに負けたくないという思いがあった」と明かした。

 アルバルクが優勝しても、同じ東京の巨人と比べることはない。すべて千葉県のチームといっても、ジェッツ優勝で柏レイソルや千葉ロッテマリーンズの優勝が話題になることもない。バスケットボールの会場で、野球やサッカーが語られる。「スポーツ王国」広島のドラゴンフライズならではだった。

 もともと、広島はスポーツが盛んだ。1928年、陸上三段跳びで日本人初の五輪金メダリストとなったのは、広島出身の織田幹雄。野球やサッカーも戦前から全国的な強豪校が多く、戦後に原爆からの復興へ市民の支えとなったのがカープの存在だった。球団が市民の希望になり、市民の「たる募金」が資金難の球団を救った。

 そんな「スポーツ王国」が2000年、各競技のトップリーグ所属チームによる「トップス広島」を結成した。「すべての広島の人々が、すべての広島のスポーツを応援する」がコンセプト。ハンドボールの日本リーグを各8回制した男子の安芸高田ワクナガ、女子のイズミメイプルレッズ、14-15年のVプレミアリーグで初優勝したJTサンダーズにカープ、サンフレッチェなど全国的なトップチームが名を連ねる。

 日本初の画期的な異競技交流組織。05年に発足した日本トップリーグ連携機構は団体球技の国際的な競技力向上に貢献しているが、それよりも前から広島では「トップチーム」同士の連携を進めていた。

 野球やサッカー、さらにハンドボールやバレーボールが全国的に活躍する中、バスケットボールだけは蚊帳の外だった。W1リーグに所属した広島銀行が03年に廃部となってからは、全国リーグに参加するチームもなし。「広島でもバスケットボールを盛んにしたい」とドラゴンフライズが発足したのは2013年。2016年創設のBリーグにも参加したが、トップス広島への参加は、B1昇格の2020年だった。

 カープがサンフレッチェカラーの紫色のユニホームを着る、サンフレッチェが赤いユニホームで試合をする……こんな異競技交流で新たなファン獲得につなげるのも広島流の手法。3番目のプロクラブも「先輩」たちの力を借りた。カープとの「コラボゲーム」を実施し、新井監督や選手を始球式で招待した。今回のファイナルでは、サンフレッチェが「広島スポーツぶちあつ応援!」として今年完成したピースウイング広島でパブリックビューイングを開催した。


初優勝を果たした広島ドラゴンフライズ【写真:B.LEAGUE】

■「スポーツ王国」ならではの営業努力と強化策

「スポーツ王国」はスポーツ好きの多さでも分かる。総務省の社会生活基本調査では、1年に1回以上スポーツを生観戦する人が16年の調査で32.9%。都道府県別2位の宮城が26.4%、全国平均が21.5%だから、突出して多い。新型コロナの影響で全体的に激減した21年の調査でも、広島だけは20%超え。広島市民、県民にとって、スポーツは身近な存在だ。

 カープ、サンフレッチェなど人気プロチームとのコラボ、クラブの営業努力もあってドラゴンフライズのファンも増えた。今季の入場者は初めて平均4000人超え。ファイナルの横浜アリーナでは、圧倒的な人気を誇る琉球のゴールドに負けないほどチームカラーの朱色がスタンドを染めた。それが、チームの快進撃を支えた。

 カープやサンフレッチェと同じように、ドラゴンフライズも決しビッグクラブではない。人気はあっても地方都市では入場料収入もスポンサー収入も限られる。22-23シーズンの総収入は約14億4000万円。24チーム中11位で、アルバルク東京(約27億円)千葉ジェッツ(約25憶1000万円)などと比べて潤沢とはいえない。

 傑出した選手はいなくても、組織力で戦うのが広島らしさだ。全員がチームのために献身的に最後まで走り、強いメンタルで勝利を目指す。日本一を決めたファイナル第3戦、ドラゴンフライズはスイッチディフェンスを駆使して琉球をファイナル史上最少の50得点に抑えた。「チームスピリットの勝利。全員が勝つことを信じて戦っていた」とミリング監督は胸を張って話した。

 50年のセ・リーグ創設から資金難で長く「お荷物」だったカープが初めて日本一になったのは30年目の79年、93年のJリーグ発足から参加しながら2部落ちも経験したサンフレッチェ初の年間優勝は20年目の12年だった。ドラゴンフライズは13年の創設から、わずか10年で日本一になった。資金難に苦しみ、Bリーグも2部からのスタートだったが、B1昇格4年目での優勝は、B2経験クラブとして初の栄冠でもあった。

 かつてサンフレッチェがカープを目標にしたように、ドラゴンフライズはカープとサンフレッチェを追いかけて広島で3チーム目のプロクラブになった。野球、サッカーに続くバスケットボールの日本一。「スポーツ王国」にまた1つ、新しい歴史が生まれた。(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

荻島 弘一
1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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