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父はスカウト、息子はドラフト候補 大学侍J入りの飯山志夢、プロ20年の背中から学んだ“職人魂”

THE ANSWER / 2024年6月27日 7時43分

飯山は俊足好打を誇る外野手。大学代表の1番打者を狙う【写真:羽鳥慶太】

■初の大学日本代表入り…目標叶えた裏に父・裕志さんからの学び

 父はプロ野球のスカウト、息子はドラフト候補という立場で勝負の季節を迎える親子がいる。7月にチェコとオランダで2大会を戦う大学日本代表「侍ジャパン」入りした飯山志夢(もとむ=立正大4年)外野手は、進路をプロ入りに絞り、大学ラストシーズンでの更なるアピールにかける。父は日本ハムで内野守備のスペシャリストとして活躍し、今年からスカウトになった裕志さん。その背中から学んだという“生きる術”に迫った。(取材・文=THE ANSWER編集部 羽鳥慶太)

 22日から神奈川県平塚市で行われた日本代表候補合宿で、飯山はベンチにいる時もひたすら投手の動きに目を凝らしていた。「代表でも1番を打ちたい。そう考えて1年間レベルアップしてきたつもりです。走塁でも観察力を上げていきたい。クセとかに気づければ、確率を上げられますから」。昨年は候補入りしたものの、代表メンバーからは漏れた。今年こそは名を連ねたいと必死のアピールが実った。

 そしてこの習性は、野球を始めた頃から染みついたものでもあった。「1球1球に集中するのは、父を見ていて学んだことですから」。

 裕志さんは1998年にドラフト4位でれいめい高(鹿児島)から日本ハム入り。内野守備のスペシャリストとして知られ、通算911試合出場。鉄壁の守備力を武器に20年間の長い現役生活を送った。時には外野を守り、2軍では捕手も務めたことがある。チームに欠かせぬ戦力だった。

 2017年10月には札幌ドームで引退試合が行われ、場内は超満員。家族で札幌に足を運んだ飯山は、ここでも守備固めで出場した父の最後のプレーを目に焼き付けた。試合後はグラウンドで父に花束を渡し、選手全員からの胴上げを間近に見た。場内に広がる飯山コール。自分もこんな選手になりたいと思うのは自然の流れだった。


大学代表の堀井監督と言葉を交わす飯山(左)【写真:羽鳥慶太】

■ブレない父「やるべきことは絶対にやってから…笑わせにくるんです」

 あれから7年。大学でプレーするようになって、より父の存在を大きく感じるという。プロを目指すという方向性がはっきりしてきたからかもしれない。グラウンドでは無口な職人肌と見られた父は、家でもそのままの姿だったという。

「みんなが言うように、ものすごくマジメなんです。家でもとにかくやるべきことは絶対にやってからダラダラする。朝からランニングとかしてるんですけど……」。あまり知られていない、もう一つの顔もあった。「家族で晩ごはんを食べるときには冗談言って、笑わせにくるんです」。

 東京で生活する家族と離れ、北海道のチームでプレーする父。事あるごとに1球、1回、1日に集中するよう、説かれながら育った。どんな大きな目標も、小さな一歩をおろそかにしないことから始まると知っている。だから「黙々とやる姿は目に焼き付いています。20年間プロでプレーしたお父さんを超えたいんです」と言い切る。

 今年から現役時代の父と同じ背番号「4」を志願してつけた。ポジションも、本当なら同じショートを守りたかった。中央学院高(千葉)2年の春、監督が1か月の期間限定でレギュラー奪取のチャンスをくれたが、認められるだけの結果を残せなかった。遠投120メートルの強肩を生かして外野に転向。立正大では3年春に東都大学リーグ2部で打率.365を残し首位打者。今春も.327の高打率を残した。最後の秋に向け、さらに俊足強打に磨きをかけたいという。

 23日の代表候補合宿、スタンドには父の姿があった。知らなかった飯山は「え、来てたんですか?」と驚いた。大学トップクラスの選手の動きをチェックしていた裕志さんも、話が飯山に及ぶと「やっぱり息子ですからね。本人がプロに行きたいと言えば、親としては背中を押すだけですよ」と、ここばかりは父親の顔だ。職人魂を受け継いだ親子。秋のドラフト会議ではどんな結果が待っているだろうか。(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)

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