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横浜にサヨナラ負けも…武相ナインが見つけた「一生の宝物」 古豪復活へ道を開いた仲宗根主将の1年間

THE ANSWER / 2024年7月24日 6時33分

武相の主将・仲宗根琉空【写真:中戸川知世】

■第106回全国高校野球選手権・神奈川大会

 第106回全国高校野球選手権の神奈川大会は23日、横浜スタジアムで準決勝を行い、武相は横浜に1-2でサヨナラ負けを喫し姿を消した。1960年代に夏の甲子園に4度出場し、一時代を築くも近年は低迷。それが今年は春季大会を42年ぶりに制し、夏も2010年以来14年ぶりの4強進出で復活を印象づけた。チームをまとめあげたのは、主将の仲宗根琉空内野手(3年)。背中で見せ続け、豊田圭史監督や仲間からも信頼を寄せられた主将は、2年3か月の高校野球を「一生の宝物」と言い切った。

 武相ナインの夏が幕を閉じた。1-1で迎えた9回2死、先発しマウンドを守ってきた八木隼俊(2年)は、中前打と2つの四球で満塁のピンチを背負った。マウンドに集まった内野陣は円陣を組んで意思統一。ただ最後は横浜の「2番・二塁」で先発した奥村凌大(2年)に左前適時打を許し、サヨナラ負けに終わった。

 崩れ落ちて涙する武相ナインの中で、ゆっくりと整列に向かった仲宗根主将。報道陣に囲まれると「サヨナラ負けになってしまったけど、自分たちのやれることは出し切った」とどこか淡々と、言葉をつむいだ。

 90人の部員を背中で引っ張ってきた。新チームが発足した昨秋、県4回戦で桐光学園に延長タイブレークの末に3-4で敗戦。「最後のバッターになってあの1試合、1球は本当に悔しかった」。心と体にずっしり残った疲労感は、仲宗根がチームを変えていく原動力となった。


8回、ベンチから仲間の攻撃を見守る仲宗根【写真:中戸川知世】

■春の県大会V、夏も4強…武相復活は仲宗根主将の小さな一歩から始まった

 夏にいい思いがしたい――。その一心で始めたのが朝練だ。毎朝6時に家を出て、7時から30分間練習。7時半から部員で行う地域清掃の前に汗を流し続けた。主将の姿は、いつしかチーム全体を変えていった。他の部員も朝練に参加するようになり、春季大会以降は、課題だった守備を二遊間を組む広橋大成(3年)と磨き上げた。この夏、再三に渡って流れを引き寄せた好守備は、努力のたまものだった。

 率先して動くのは、中学時代の経験が影響しているのかもしれない。硬式の綾瀬ボーイズ(神奈川)での同学年は9人。少人数の仲間たちと白球を追ってきた。グラウンド整備やコーチャー、ボールボーイなどもみんなで手分けしていた。武相という大所帯のチームで主将となっても、自らがまず行動するのは変わらなかった。「指示を出す人が動いていないと、聞いてもらえることも聞いてもらえない。自分も一緒にやることを心がけている」。ナインにその姿はしっかり届いていた。

 豊田監督は仲宗根を「チームで一番学力も高くて真面目。技術では劣る部分があっても、『自分がやってみせる』という部分でしっかりとしたキャプテン」と評する。ベンチ入りメンバーだけではない。スタンドで応援団長を務めた沼崎吾朗(3年)も「自分たちを背中で引っ張ってくれた」と感謝する。古豪が復活ののろしをあげられたのは、決して手を抜かず、行動し続けた主将がいたからだった。

「雑草の逆襲」を合言葉に、泥臭く戦ってきた。夢であり、目標だった甲子園には届かなかったが「中学校時代には名前の知られていない選手たちの集まりでも、1つのチームになればここまで戦えることを示せたと思う」と仲宗根。そして最高の仲間と過ごした2年3か月は「一生の宝物」と言い切った。神奈川の頂点まであと2つに迫った夏。武相ナインの新たな1ページとなる。(THE ANSWER編集部・山野邊 佳穂 / Kaho Yamanobe)

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