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五輪の聖火リレーはなぜ始まった? 背景にヒトラーの思惑…もし火が消えちゃったらどうする?

THE ANSWER / 2024年7月25日 9時3分

パリ五輪の聖火リレーの様子【写真:ロイター】

■「シン・オリンピックのミカタ」#2 連載「オリンピック・トリビア」第2回

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 今回は連載「オリンピック・トリビア」。いろんなスポーツが行われる五輪を見ていると、それぞれの競技のルールやしきたりなど「よくよく考えると、これってなんで?」と不思議に思うことがないだろうか。スポーツ新聞社の記者として昭和・平成・令和とスポーツを40年追い続けたスペシャリスト・荻島弘一氏が、そんな今さら聞けない素朴なギモンに回答。オリンピック観戦を楽しむトリビアを提供する。第2回は「聖火リレーって、どうして始まったの?」。

 ◇ ◇ ◇

Q.聖火リレーって、どうして始まったの?

A.ヒトラーがドイツの領土を拡大したかったから

【解説】

 ギリシャのオリンピアで採られた聖火を、大会の開催地までリレーで運ぶようになったのは1936年のベルリン大会から。聖火は28年のアムステルダム大会からメインスタジアムで燃やされていましたが、リレーはこの時が初めて。ギリシャからベルリンまで3187キロ、ユーゴスラビア、ハンガリー、オーストリアなどを3331人のランナーが12日間でつなぎました。

 公式には大会の認知度を高め、平和の祭典としてのオリンピックムードを盛り上げるためのものとされました。ただ、当時のドイツはヒトラーの独裁下。そのヒトラーが権力を誇示し、ナチスの宣伝のために使ったという側面もあります。

 大会から2年後の38年に本格化した欧州侵攻。同年にオーストリアを併合すると、翌年にはチェコスロバキアを支配下におきます。侵攻ルートは、いずれも聖火リレーのコースをさかのぼったもの。そこから、ベルリン大会聖火リレーは「ヒトラーの下見」とされるのです。

 戦後48年ロンドン大会に向けて、聖火リレーの取り扱いが問題になりました。ベルリン大会のリレーが決して「平和的」なものではなく、後の戦火拡大につながったことから廃止意見も大きかったといいます。ただ、古代オリンピックを起源とする聖火リレーそのものの価値は不変。「平和の象徴」として行うことが決まり、現在のオリンピックに受け継がれているのです。

 ちなみに、聖火が消えたら? と心配する声もありますが、大丈夫。実はランタンに入れられた予備の火がリレーに同行。アクシデントで消えた場合には、すぐに点けられるように準備されています。(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

荻島 弘一
1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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