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五輪開幕で考える「スポーツの力」 震災から半年、能登でバドミントン福島由紀が届けた涙のエール

THE ANSWER / 2024年7月27日 14時3分

中高生向けのトークイベントで涙を流して語るバドミントン・福島由紀さん【写真:荒川祐史】

■「シン・オリンピックのミカタ」#6

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

「THE ANSWER」を運営するCreative2は、今年1月に起きた能登半島地震の復興支援イベント「能登にエール アスリート こども支援」を21日、石川・能登で開催した。正月に襲った震災から半年。パリ五輪が迫る中、スポーツの力で能登にエールを――。そんな願いを込めたスポーツ教室とトークイベントに、パリ五輪を目指し、わずかに届かなかった一人の現役アスリートが参加。アスリートとして被災地の子どもたちに想いを届けた。(取材・文=THE ANSWER編集部・神原 英彰)

 ◇ ◇ ◇

 パリ五輪が開幕する6日前。石川・能登のどこまでも高く、広い空に子どもたちの無垢な歓声が響く。

 今年1月1日午後4時10分、能登半島を襲った地震。犠牲者は300人超え、最大3万4000人が避難生活を余儀なくされ、故郷を出て、県外に移り住んだ人も少なくない。あれから半年。情報があふれ、記憶が刻々と上書きされる現代では「半年」は遠い過去になってしまうが、今も懸命に前に進もうとしている人がいる。


スポーツ教室で子どもたちと笑顔で汗を流す福島さん(左)【写真:荒川祐史】

 スポーツの力で、能登にエールを――。

 そんな願いを持って開催された「能登にエール アスリート こども支援」に、ラグビー元日本代表の山田章仁さん、陸上アテネ五輪代表の伊藤友広さんとともに参加したのが、バドミントン女子ダブルスのフクヒロペアとして活躍する福島由紀さん。

 午前に行われたスポーツ教室で児童と運動したり、小さな子どもを抱っこして走ったりして、笑い合った。会場の芝生の隣、数メートルほどにあるアスファルトはひび割れたまま。規制された赤いコーンが今も消えない震災の爪痕を感じさせるが、この時間だけはそれを忘れさせた。

 復興はまだスタートも切れてない。 

 富山から車を走らせ、石川県内に入ると、車体が弾むように揺れ始める。そして、夏の空とも日本海の海原とも違う“青”が視界に飛び込む。隆起した地面が補修されておらず、割れた窓や崩れた屋根をブルーシートが覆っているからだ。

 震度6だった能登は、震度7だった輪島市や志賀町といった地域に比べ、被害規模だけで言えば小さい。

 しかし、地元関係者は言う。「能登は家屋の半壊以下が多い分、補助金が下りず、高齢者は立て直すのも躊躇する。『それなら、この街に住んでいなくてもいいのでは?』と思って、能登から離れる人もいる。そういう事実はなかなか世の中に知られない」。1万5000人から、およそ1000人減った。

 そんな場所で、スポーツに何ができるのか。

 奇しくもパリ五輪目前、福島さんがこの場所に来たい理由があった。午後、地元の能登高校の教室で行われた中高生向けのトークイベントで明かした。


ラグビーの山田章仁さん、陸上の伊藤友広さんとともに教室は開かれた【写真:荒川祐史】

■パートナーの怪我に翻弄された競技人生「受け入れて、少しずつ前に」

 自分でコントロールのできないアクシデントに翻弄された競技人生だった。

 世界ランク1位で金メダル有力候補だった2021年東京五輪は直前にペアの廣田彩花が右膝の前十字靭帯断裂を負い、出場は不透明に。なんとか五輪の舞台にはこぎつけたものの、ベスト8止まり。雪辱を期したパリ五輪は選考レース終盤となった昨年12月、廣田が今度は逆足の前十字靭帯断裂を負った。

 手術は回避したものの、最終的にパリの切符は逃した。2人で1つのチームで戦うダブルス種目。自分は万全の状態なのに、プレーができないもどかしさを味わってきた。「東京五輪の時はいろんな人に助けられて……」。そんな話を口にすると、福島さんは涙を流し始めた。

 視聴覚室の空気がピンと張りつめた。

「最初は目標だった五輪に出られることがうれしかったけど、廣田の怪我があって、私ってこんなにいろんな人に支えられて五輪に出られるんだと……。私だけじゃない、廣田だけじゃない。その人たちのために頑張ろう、と。怪我をしたことは仕方ない。受け入れるしかない。その中で周りを考えられる自分を知って、成長できた」


2つの挫折を経験した福島さんに訪れた発見とは【写真:荒川祐史】

 天災も予期せず、やってくる。そんな時、困難にどう向き合うか。

 もちろん、被災者と自分の体験をそのまま重ねられるなんて思っていない。ただ、自身も2016年の熊本地震で寮の部屋がぐちゃくちゃになり、2020年の熊本豪雨では地元・坂本町は近隣の橋5本のうち4つが不通になり、家族との連絡も途絶えた。故郷を失う不安に駆られた。

 だから、自然と言葉に熱が帯びた。

 小さい頃から「誰よりも負けず嫌い」という福島さんが、小さな教室の教壇で流した涙は、本気で向き合い、想いを伝えた証し。最前列で聞いたバドミントン部の女子中学生はまっすぐ前を見つめ、一言一言に聞き入った。

「今の状況を否定していても始まらない。『なんでこうしてくれないんだ』と言っても、できること、できないことがある。受け入れるしかない。その中で、絶対に少しずつ良くなっていくから諦めず、少しずつ前に進んでほしい。私に少しでもできることがあればと思って、今日ここに来たし、今の状況を知ることができて良かった」

 すでに選手としてリスタートを切っている福島さん。東京五輪の挫折、さらにパリ五輪を逃して、ある変化が生まれたという。

「東京五輪の後はパリを目指そうと思ってなかったけど、時間が経つにつれて『私、バドミントンするのが楽しいな』って思うようになった。それまでは勝ちを求めて、五輪でメダルを獲りたいと思っていた。でも、トライすることを純粋に楽しめるようになった。

 失敗を恐れずにやる。言葉で言うのは簡単だけど、実際に経験しないことには気づかない。今は小さい目標から一つ一つ掲げて、できなかったら反省して、また頑張る……の繰り返し。視野が広がり、いろんなバドミントンの形が見られているから楽しいです」

 現実を受け入れ、向き合い、乗り越えようとするから、強くなれる。そして、その先に今まで出会ったことのない自分がいる。

 当事者が口にした言葉には力があった。


能登で開かれたスポーツ教室、福島さんと子どもたちの笑顔にスポーツの力を感じた【写真:荒川祐史】

■パリ五輪はスポーツの力を体感する17日間に

 あれから6日後。パリ五輪が華やかに開幕した。

 必ずしも、五輪が歓迎される世の中ではなくなった。スポーツは何のためにあるのか。アスリートは社会に何をもたらすのか、考えさせられる時代になった。しかし、スポーツは教えてくれる。限界に挑むことの大切さを。転んでも立ち上がる大切さを。

 五輪に届かなかったから、アスリートの価値がなくなるわけじゃない。

 だから、福島さんが能登で伝えた言葉は響いた。

 アスリートが命を燃やし、スポーツの力を体感する17日間が始まった。(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)

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