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「日本はプロセスを大切にしすぎる」 英独仏の3か国語を習得、欧州生活13年で培った海外を生き抜く術――サッカー・熊谷紗希

THE ANSWER / 2024年7月28日 17時43分

欧州生活13年で熊谷紗希が培った海外を生き抜く術とは【写真:荒川祐史】

■「シン・オリンピックのミカタ」#16 熊谷紗希インタビュー「海外挑戦で得たもの」

 スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。

 “選択”の連続であるアスリートのキャリア。オリンピック選手もいくつもの決断を経て、夢の舞台に立っている。その選択と挑戦から得た経験は、次代を担う中高生はもちろん、一般社会に生きる私たちにとっても価値があるものだ。今大会に出場しているサッカー女子日本代表のなでしこジャパン主将・熊谷紗希は20歳でドイツに渡って移籍も経験し、以降13年間、欧州3か国4クラブでプレー。挑戦を続けた海外生活から学んだこととは。(取材・文=金 明昱)

 ◇ ◇ ◇

 熊谷紗希は今夏、海外生活13年目のシーズンを戦い終えた。2011年7月のドイツ女子ワールドカップ(W杯)終了後、2年半在籍した浦和レッズレディースからフランクフルト(ドイツ)に移籍し、海外挑戦をスタート。その後リヨン(フランス)、バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)でプレーし、23年から現在のASローマ(イタリア)に在籍している。

 海外を意識したのは高校生の時だったという。

「アメリカで行われる大会に、サッカー部で出場することになったんです。そこで現地ファミリーの家に1週間ほど滞在して、外国人の家族と初めて触れ合ったのがきっかけ。もっと英語を話せるようになったら、コミュニケーションが取れるのにとも感じたし、自分の知らない世界がたくさんあるということも知りました」

 多くの刺激を受けたものの、当時はまだ日本の女子サッカー選手が海外でプレーすることを思い描きにくい時代だ。

「当時は澤(穂希)さんがアメリカでプレーしていましたが、女子代表選手の多くが海外に出ることは珍しかった。いつか海外でやってみたいなと、漠然と思うくらいでした」

 浦和レッズレディースに加入した2009年に筑波大学に入学。そして翌10年、大学2年時に転機が訪れる。

「当時、日本サッカー協会が海外に出たい選手をサポートしてくれていたのですが、とりあえず、海外クラブチームの練習に参加してみないかと言われて、練習参加くらいならいいかなと思って向かいました」

 向かった先は、ドイツ・フランクフルトが合宿を行っていたトルコだった。すべてが初めての経験だったが、練習に参加し「これはいけるなと思った」と振り返る。

「私もここで戦える、通用すると感じました。ただドイツ語も英語も喋れない(笑)。英語なんて小学校から大学まで少し学んだ程度なので、少し話せるくらいでしたけれど、チームメートはすごくいい人たちばかり。何より、その10日間がすごく楽しかった」

 この時のプレーがチーム関係者の目に留まった。2010年のなでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ)のシーズンを終え、「冬からでも来てほしい」と声がかかったほどだ。しかし、当時は大学に在籍中ということもあり、簡単には決断できなかった。

「(11年)W杯の半年前ということもあり、大会が終わってからにしてほしいと伝えたんです。ただ、事前にオファーはいただいていたので、W杯前にはサインをして行くことを決断しました。決め手は“やっていける”という手応えがあったから。あとは若かったので、ダメなら帰ってこようという気持ちもありました」

 若さゆえの勢いもあるが、しっかりと実力が認められ、チャンスをものにしたわけだ。挑戦する以外に選択肢はなかったに違いない。


リヨン時代の同僚から熊谷は言語習得に大切な姿勢を学んだ【写真:荒川祐史】

■リヨン時代の同僚から学んだ言語習得に大切な姿勢

「私は言葉が話せないから周囲に溶け込めないとか、そういうことにストレスを感じないし、気にならないんです。喋れないのは当たり前だし、どうにかなるという考えでいました」

 それでも常盤木学園高校に首席で入学するほど、勉強も得意で熱心。言語の習得にも努力は欠かさなかった。

「文法の本を片手に読み書きして、しっかりと授業も聞く。日本の学校での勉強法ですよね。ドイツ語、フランス語、イタリア語も日本で本を買って、基本的な文法やルールをノートにきっちり書いて毎日勉強しました。ドイツ語学校にも通ったのですが、ドイツ語でドイツ語を教えてくれるので、わけが分からないと思うじゃないですか。これが案外、いけたんです(笑)。ドイツ語の文法と主要な単語が頭に入っていれば、何を言っているかが分かるようになりましたから」

 フランス語の習得話も面白い。

「リヨンでプレーしていた時は、チームの練習時間が不規則の中でも、毎日1時間は勉強していました。でもフランス語を勉強しているノルウェーの選手は、まったくノートを取らない。それでどう言葉を覚えるのか見ていたら、彼女はどんどん周りに声をかけていくんです。そこまで話せないから、間違えて笑われちゃったりする。日本人はどちらかと言えば、笑われると恥ずかしかったりしますよね。それでも彼女はおかまいなしに話すので、私よりも上達が早かった」

 さらに言語習得においては、考え方の違いにも上達の差が生まれるのではないかと指摘していた。

「例えば日本人に多いなと感じるのは、1回頭で考えて、こう言おうという考えが入ったりしますよね。思ったことをすぐに話せなかったり、これはもう言わなくていいやというタイミングが出てきたりする。でもそのノルウェーの選手は、言いたいことはすべて口から全部出てくるんです。だから私も間違ってもいいやと思って、ぶつかっていくようになりました」

 英語、ドイツ語、フランス語と3か国語を習得し、現在はイタリアで生活する。「これだけ話せれば、イタリアでもどんな選手とも会話ができて、なんとかなっちゃう世界なんです。だからか、今はイタリア語に対するモチベーションは上がっていなくて、自分に『もう少し頑張りましょう』と言っているところです」と笑う。

 常にポジティブで周囲の細かいことをあまり気にしない性格は、海外向きとも感じるが、長い海外生活の中で、“アジア人”ということで嫌な思いをしたことはなかったのだろうか。

「差別的な言動をされたことは本当にないんです。もしかしたら自分が気づいていないだけかもしれないですが、仮に何かを言われたとしても、(こんな性格だからか)心が病むこともないと思います」

 小さなことが気にならないくらい、毎日が充実しているということだろう。それに相手の懐に飛び込む上手さだけでなく、周囲とコミュニケーションを図る能力の高さも学んだはずだ。

 海外でプレーしなければ、知ることのないことが多い分、サッカーを通して世界を見る視野はさらに広まった。長く海外にいるからこそ、欧州と日本の違いや良し悪しも見えるようになった。

「日本人は自分の仕事を全うする人が多い。欧州は都合が悪くなったら『誰かに聞いて』を繰り返すんです(笑)。これでよく社会が回っているなと思うことは多々あります。人のせいにもするし、自分は知らないって平気で言ったりもする。

 フランスで自宅のWi-Fiのインターネット工事に来ると言っていた業者の人が、予約を取っていたのに当日になって風邪を引いたから行けないと連絡があったんです。その次は2か月後になると言うので、ズッコケました(笑)。そうしたら、2か月後にまた風邪を引いたと連絡が来る。これは、私が何も言わないからこうなるそうです。チームメートのフランス人選手に相談したら、そのネット業者相手に『2か月分のカフェで使ったインターネット代とカフェ代を払え!』と怒鳴っていました。まさにクレーマーという姿にビックリしていたら、1週間後にアポが取れて、業者の人も仕事をテキパキやっていましたからね」


熊谷自身は「欧州と日本の間くらいがちょうどいい」と笑う【写真:荒川祐史】

■プロセスを大事にする日本と、結果を重視する欧州

 こうした“ルーズ”な部分には慣れたと言っていたが、熊谷自身は「欧州と日本の間くらいがちょうどいい」と笑う。さらに日本と欧州のサッカーにおける違いについては、熊谷が発した「(欧州では)プロセスをそこまで大事にしない」という一言に、すべてが集約されていた。

「いい加減なことをしている人でも、別に結果を出せばいいでしょ、というのはめちゃくちゃあります。プロセスを大事にしすぎている日本と、あまり大事にしない欧州のどちらがいいのか、ですよね」

 欧州では自分の許容範囲を超えていくことばかり、と笑いながら、こんなことも教えてくれた。

「所属のローマでは、練習が始まる30分前から集合するのですが、いない選手がいるわけです。集まっても何も始まらないから『今はなんの時間?』ってなる。聞いたら自由にしていいよと言うけれど、その時間があまりにも長い。でも慣れてきたり、その場のルールに合わせていくわけですが、これだけ海外に長くいると、正解は一つじゃないことを学びました。私は結果がすべてなら、そこに至るまでのプロセスで何をしてもいいとは思いません。ただ、プロセスをあまりに重視しすぎる必要もあるのか、と考えることもあります」

 さらにサッカーの面での大きな違いとして、「選手が“痛い”と思う度合いが、欧州のほうが早い」と説明した。これはどういう意味なのか。

「日本では少しの痛みなら、多少は我慢して練習する風潮がありますよね。でも欧州は痛かったら、すぐに練習を休む。例えば欧州では月曜から木曜まで怪我した選手が練習にいないけれど、金曜だけ軽く練習して、土日のどちらかの試合に出るというのはよくあること。日本だと考え方が違いますよね。練習に週1回しか出ていないのに、試合に出られるという考え方にはならない。でも少しの痛みを我慢して月曜から金曜まで練習した選手と、しっかり休んでベストの状態に戻したうえで試合に出た選手と、どちらのパフォーマンスがいいのか、という話です。海外の選手は人のことなんて気にしていない。日本人は真面目だから全部やろうとするけれど、頑張りどころを学ばないといけないのかなとは思います」

 海外生活で得た思考と視野の広さは、サッカーにも直結していた。様々な経験を積み重ねるほど人は成長し、日本を飛び出したからこそ得られるものがたくさんあることを教えてくれている。

 成功するためには何が必要なのか。言葉の端々にたくさんのヒントが隠れているが、熊谷は最後に新たな挑戦、新たな一歩を踏み出そうとしている人たちに向けて、こんな力強い言葉を送ってくれた。

「本気でやりたいならまずやってみること、それが重要だと思います。心配事は誰にでもあるので、本気ならまずやってみたほうがいい。迷うくらいなら、やってみて考えるくらいがちょうどいい。私は勢いで生きているので(笑)、これが参考になるかは分からないですが、何かにチャレンジしようと思っている人に少しでも響いたならば嬉しいです」

■熊谷 紗希 / Saki Kumagai

1990年10月17日生まれ、北海道出身。常盤木学園高時代から日本女子代表に選出され、2009年に浦和レッズレディースに加入。20歳で出場した11年ドイツ女子W杯で世界一を経験した。大会後にドイツのフランクフルトへ移籍すると、13年からフランスの強豪リヨンへ。UEFA女子チャンピオンズリーグ5連覇など主力としてチームの黄金期を支えた。21年からバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)、23年からはASローマ(イタリア)と13シーズンにわたって欧州でプレーしている。五輪は12年ロンドン大会で銀メダルを獲得、21年東京大会は主将として戦った。(金 明昱 / Myung-wook Kim)

金 明昱
1977年生まれ。大阪府出身の在日コリアン3世。新聞社記者、編集プロダクションなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めた後、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。2011年からは女子プロゴルフの取材も開始し、日韓の女子ゴルファーと親交を深める。現在はサッカー、ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。著書に『イ・ボミ 愛される力~日本人にいちばん愛される女性ゴルファーの行動哲学(メソッド)~』(光文社)。

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