サッカーは「ミスが必ず起こるスポーツ」 味方のミスも自分の責任に…11人の競技だから育まれる資質――サッカー・熊谷紗希
THE ANSWER / 2024年7月28日 17時44分
■「シン・オリンピックのミカタ」#16 連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」第1回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
今回は連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」。現役アスリートやOB・OG、指導者、学者などが登場し、少子化が進む中で求められるスポーツ普及を考え、それぞれ打ち込んできた競技が教育や人格形成においてもたらすものを語る。第1回は今大会に出場しているサッカー日本女子代表(なでしこジャパン)主将・熊谷紗希。20歳で出場した2011年女子ワールドカップ(W杯)で優勝を経験し、日本の女子サッカーを長年牽引してきた33歳の考えとは。(取材・文=金 明昱)
◇ ◇ ◇
日本で女子サッカーがまだ盛んではなかった1990年代、それも冬場は積雪などの影響もあって“サッカー不毛”の地と言われていた北海道で、熊谷紗希はこの競技と出会った。
「4つ上の兄がサッカーをやっていたので、両親が試合を観にいったら必然的に私も観にいかなきゃいけなくて。だから子供の頃から身近にサッカーがあったという感じで、兄を真似するところから始めました」
学校の休み時間になれば、男子の中に混じって自然と校庭でボールを蹴った。本格的にサッカーを始めたのは小学3年の時だ。
「地元の少年団に入ったのですが、北海道には女子だけのチームがなくて、もちろん男子と一緒。それでもできないことができるようになる楽しさや嬉しさがあって、毎日が充実していた記憶があります。覚えているのは、リフティングが100回できたら表彰されるというので、それにどハマりしたんです(笑)」
2、3か月で100回できたそうだが、「かなり練習したんですよ。学校から帰って家に着いたら、玄関にランドセルを置いてボールを持って出ていくような女の子でしたから。それに今もですけれど、すごく負けず嫌いでした」と笑う。
“試合”とは「試し合い」と書く。言葉どおりに練習で培ったものを試す場所でもある。ただ、“試し合い”とは言っても、勝敗はつきもの。熊谷は「勝負へのこだわりが強かった」と振り返る。
「試合で負けたら悔しくて、帰ったあとに怒って、1人でボールを持って練習しにいくこともありました。もっと上手くなりたいし、勝ちたいというのは常にありました。負けるのはあまり好きじゃなかった」
負けん気の強い性格がサッカーに向いていたと言い切っては少し強引だが、どのスポーツをする上でも上達するためには、強い向上心が必要となる。そういう意味で熊谷は、学生時代に最も忘れられないのは「一番怒られた」という高校時代だと振り返る。
11人で行うサッカーには「みんなで助け合える良さがある」と熊谷は語る【写真:荒川祐史】
■サッカーには「みんなで助け合える良さがある」
地元の北海道から単身で宮城県に渡り、2006年から常盤木学園高校サッカー部に入部。そこでボランチとして主力となり、07年には高校2年ながらなでしこジャパンに初選出された。
宮城の地で出会ったのが、同部の阿部由晴監督だ。
「阿部先生との出会いはすごく大きかったです。言われた言葉はたくさんありますが、基本的に褒められたことはなかったです。例えばチームメートが忘れ物をしたとか、ボールの数が合わない、空気が足りていないとか、本当に基本的なことでよく怒られていました(笑)。でも今も思い出すのは、『練習は100%から120%でやって、試合は別に80%でもいい』という言葉。練習でそれだけ出せるなら、試合ではもっと余裕をもって戦えると自分なりに解釈していましたし、実際にそうだなと思えたので、練習から一生懸命でした」
学生時代の練習は厳しかったという。中には“練習嫌い”になりがちな選手もいただろう。ただ、熊谷に関しては真逆だった。
「試合より練習が好きっていうと、少し語弊があるかもしれないですが、試合ばかりで練習がちゃんとできないのはあまり好きじゃないんです。しんどい練習でも常に『自分にプラスになるから』という思いが強くて、嫌な思いはしたことがなかったです。むしろ達成感のほうが強かったです」
ここまで話を聞きながら、サッカーに傾けられる情熱の根底には「好き」と「向上心」の2つが、他の誰よりも強いからだと感じる。しかし、果たしてそれだけなのだろうか。サッカーという競技に“特別な何か”があるからではないだろうか――。
そう問うと、熊谷は「私はサッカーしかしてこなかったので、他のスポーツとの比較対象がないのですが……」と前置きして、こんな話をしてくれた。
「サッカーはミスが必ず起こるスポーツ。それを前提に考えた時、味方のミスは自分の責任でもあり、自分のミスもチームのミスになる。それをみんなで助け合える良さがありますよね。個人技も大事ですが、11人でやるスポーツなのでチーム力がないと強くはなれない。私の場合はそうしたチームとして戦うサッカーがあったから、ハマれたんだと思います。それに私はどのポジションでも、チームのために与えられた役割なのであれば全力でやります、というのはあります」
責任感の強さは、持ち前の性格に加えてサッカーでさらに育まれた。高校時代から強烈なキャプテンシーでチームを引っ張り、なでしこジャパンでは2017年から主将に任命されている。リーダーとしての資質を持った選手で、自分でも「どちらかと言えば、真面目なタイプだったと思います」と照れ笑い。一方で、「高校生の時に初めてキャプテンを任された時は『絶対に怒られるポジションじゃん』って、正直思っていました」と笑いながら振り返る。
「言いたくないことも言わないといけないし、嫌われ役までいかないまでも、チームのためにぶつからないといけないこともあります。だからこそ、説得力のある行動をしようと心がけていました。それが人として成長するきっかけになったのかなと思います」
与えられた主将という役割が、熊谷をサッカー選手としてだけではなく、人として大きく成長させたのは間違いない。
保護者世代へ「どんな分野でも子供たちがやりたいことを全力で応援してあげて」【写真:荒川祐史】
■ジュニア時代に育まれた、誰かのために献身的になれる強さ
それにしても“挫折”という言葉が、これほど似合わない選手も珍しい。「もちろん、サッカーをしていると楽しいことばかりじゃない」とも言っていたが、途中でサッカーをやめたいとか、逃げ出したいと思ったことはほとんどないと言い切っていた。
「ここまでサッカーを続けられているのは、もう好きでしかないから。楽しい瞬間が多くて、何よりも自分を一番表現できる舞台だからかもしれません。サッカーをしている時が、一番輝いている姿を見せられるし、やめられないなっていう瞬間がたくさんあるんです。それは準備してきたものが、成果や結果として出た時です」と目を輝かせる。
そのなかでも忘れられない象徴的なシーンが、日本の女子サッカー史に新たな1ページを刻んだ2011年W杯の優勝だという。
「本当に忘れられない景色でしたし、頻繁には出てきてくれないシーンでもありますよね。でも、もう一度味わいたい。なでしこジャパンにとっても、チームとして世界と戦う上での自信にもなったと思います。『娘がサッカーを始めました』という声もたくさんもらえて、実際に女の子のサッカー人口も増えた時期だったので本当に嬉しかったです」
幼少期から夢中でサッカーボールを蹴り、仲間とともに歴史を変える偉業を成し遂げた熊谷。育成年代の子供を持つ親に今伝えたいことを聞くと、「どんな時も応援してあげてほしい」という。
「私も中学生の時、クラブチームに約2時間くらいかけて通っていました。帰ってくるのが遅くても、母がご飯を作って待っていてくれて、洗濯物も出したらすぐに洗ってくれていたのを覚えています。そういうサポートがなかったら今の私は絶対になかったので、どんな時でもサポートしてあげてほしいです。もちろん、これはサッカーだと嬉しいけれど、そうじゃなくてもいい。どんな分野でも子供たちがやりたいことを全力で応援してあげてほしい」
両親の支えにも感謝し、それに応えたい想いがある――。誰かのために献身的になれる責任感の強さは、家庭のなかで自然と培われていたのかもしれない。
サッカーというスポーツを通じて、ピッチ内外でかけがえのない経験をしてきた熊谷は今夏、33歳で3度目となる五輪に臨む。W杯優勝翌年の2012年ロンドン大会では銀メダルも、16年リオデジャネイロ大会はアジア予選敗退、21年東京大会もベスト8で敗退し、近年は女子サッカーへの関心が薄れている危機感も感じている。
「自分たちが結果を出すことで、もっと高い関心を引きつけることにつながる。だからパリ五輪では必ず結果を出したい」
1人の人間として、自らを成長させてくれた女子サッカーの未来のために――。なでしこジャパンの頼れる主将は、12年前にあと一歩届かなかった悲願の金メダルを目指し、パリ五輪での躍進を誓っている。
■熊谷 紗希 / Saki Kumagai
1990年10月17日生まれ、北海道出身。常盤木学園高時代から日本女子代表に選出され、2009年に浦和レッズレディースに加入。20歳で出場した11年ドイツ女子W杯で世界一を経験した。大会後にドイツのフランクフルトへ移籍すると、13年からフランスの強豪リヨンへ。UEFA女子チャンピオンズリーグ5連覇など主力としてチームの黄金期を支えた。21年からバイエルン・ミュンヘン(ドイツ)、23年からはASローマ(イタリア)と13シーズンにわたって欧州でプレーしている。五輪は12年ロンドン大会で銀メダルを獲得、21年東京大会は主将として戦った。(金 明昱 / Myung-wook Kim)
金 明昱
1977年生まれ。大阪府出身の在日コリアン3世。新聞社記者、編集プロダクションなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めた後、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。2011年からは女子プロゴルフの取材も開始し、日韓の女子ゴルファーと親交を深める。現在はサッカー、ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。著書に『イ・ボミ 愛される力~日本人にいちばん愛される女性ゴルファーの行動哲学(メソッド)~』(光文社)。
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