阿部詩の号泣に見た五輪柔道の怖さ 他競技と違う位置づけ、柔道にとって「五輪は命がけ」の理由
THE ANSWER / 2024年7月29日 17時43分
■「シン・オリンピックのミカタ」#24 「OGGIのオリンピックの沼にハマって」第5回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
今回は連載「OGGIのオリンピックの沼にハマって」。スポーツ新聞社の記者として昭和・平成・令和と、五輪を含めスポーツを40年追い続けた「OGGI」こと荻島弘一氏が“沼”のように深いオリンピックの魅力を独自の視点で連日発信する。
◇ ◇ ◇
号泣する阿部詩の姿を見て、五輪柔道の怖さを感じた。圧倒的な優勝候補とされて臨んだ大会だった。ところが、過去2戦2勝のケルディヨロワ(ウズベキスタン)に一本負け。間合いを詰められ、谷落としで敗れた。しばらく立ち上がれないほどのショック。見ているこちらまで胸を締め付けられるような光景だった。勝ち続けることの怖さを見せつけられた思いだった。
柔道など格闘技では、相手選手の研究は特に重要。東京大会の金メダルラッシュの裏には、日本チームの徹底したライバル分析があった。もっとも、研究をするのは日本だけではない。世界中の選手が、研究を尽くし、戦略を練る。すべては五輪で勝つために。
加納治五郎が興した「講道館柔道」は、1964年東京大会で五輪の仲間入りをして世界に広まった。多くの柔術、格闘技の中から柔道が世界的なものになった背景には五輪の力がある。だからこそ、柔道の世界で五輪は特別な存在であり続ける。
柔道着に縫い付けるゼッケンは青字だが、直前の世界選手権優勝者は赤。五輪金メダリストは金色をつけることが許される。4年間、どんな場面でも「金メダル」を背負う。世界中の選手が五輪を目指し、金メダルをとることだけに照準を合わせる。
スケートボードやサーフィンなど「五輪だけが目標ではない」競技も増えた。サッカーのように「五輪は若者の大会」の競技もある。テニスやゴルフは重要な大会が別にもあるし、陸上や競泳なら世界記録という異なる目標もある。球技なら海外の強豪チームに加入し、世界的に活躍する夢を抱く選手も増えてきた。
しかし、柔道は五輪が最大にして唯一の目標だ。すべてのベクトルが五輪に向いていると言ってもいい。特に五輪メダリストが多い日本の場合、町道場で柔道をはじめた子どもたちもみな「夢は金メダル」と声をそろえる。「命がけ」「人生のすべて」と悲壮感すら漂う。阿部が号泣したのも、金メダルへの思いが強かったからだ。
■活躍したスケートボード女子とはあまりに対照的だった五輪の位置づけ
だからこそ、五輪の柔道は怖い。極論すれば、世界選手権など他の大会はどうでもいい。世界選手権で勝ち続けることで、ライバルたちのマークは厳しくなる。より研究もされる。ケルディヨロワは「阿部選手に勝つことだけを考えていた」と話したし、増地監督は阿部の敗因として「相手がよく研究していた」ことをあげた。
もちろん、阿部自身は勝ち続けながらも進化を目指した。「このままで勝てるほど五輪は甘くない」と話していたし、実際により強くなるための努力もしていたはず。ただ、勝ち続けると自身の弱点は見えにくくなる。実際にやられた経験がないと、想像しにくくなる。
実際に、世界王者の五輪成績は決してよくない。過去20年、五輪前年の世界選手権優勝者70人中、五輪優勝者は20人だけ。世界王者は「金メダル候補」だが、7人中5人は敗れている。五輪3連覇の野村忠宏も、世界選手権優勝は97年の1回だけ。五輪前年に息をひそめていたことが、柔道界唯一の3大会連続金メダルにつながったのかもしれない。
ライバルたちに厳しくマークされる中、王者としてのプレッシャーとも戦わなければいけない。五輪が特別すぎる舞台だから、緊張感も相当なもの。阿部自身も「緊張」を口にした。普段の力、勝ち続けてきた力が出せなくなっても、不思議ではない。
五輪柔道の怖さを感じた夜、スケートボード女子で日本勢が活躍した。世界ランク1位の吉沢が金、2位赤間が銀。3位レアウが銅。2年間積み重ねてきたポイント通りの結果だった。選手たちにとって、五輪本番は予選大会の延長。口にするのは「普段の大会と変わらない」という言葉は、五輪が「特別」な柔道とはあまりに対照的だ。
まだまだ柔道は続く。昨年世界選手権を制した女子70キロ級の新添左季や同78キロ超級の素根輝、個人種目では日本初の親子2代金メダルを目指す男子100キロ超級の斉藤立。五輪が「特別」な柔道だからこそ、どんなドラマを見せてくれるか楽しみだ。(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)
荻島 弘一
1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。
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